第百五十四話 カップル三組め 2
「べつに、恨まれるようなことはしていませんが?」
「そっちの意味じゃないさ。ほら、男と女のあれこれとか」
あまりにもあまりな発言に、僕はつい噴きだしてしまった。
「ああ、すみません。しかし、それは……。くっくっ、もし、そういうつもりであんなおかしなマネをしてきているんであれば、相当に摩訶不思議な人格の持ち主といわざるをえませんね、大羽さんは。ツンデレどころの話じゃないですよ」
ふいに、こころが僕の手をとってきた。まるで所有権を主張するかのように、しっかりと握りこんでいる。
とりあえず『心配しなくていいよ』という気持ちをこめて、目配せをしてみた。こころはすこしだけ、ほっとしたような笑みをかえしてきた。
「彼女は成績にこだわるタイプだそうですし、僕をライバル認定していると聞いたこともありますから、そのあたりが理由じゃないですかね」
「ふうん……?」
鏡寺さんが、腕ぐみをしつつ小首をかしげている。彼女の形のいいポニーテールが、頭の動きにあわせてゆれていた。
おそらく、大羽さんの態度は、はたから見ても奇妙なものなのだろう。僕自身、なぜこんなにも嫌われているのか、さっぱりわからないのだ。接点もそんなになかったのに、去年のいまごろあたりには、すでにあんな感じだった気がする。
成績のことで、反感を買ったというのが、まだしも一番ありそうな理由ではあるが、正直、やはり理解しがたかった。
僕は中間・期末テストの総合得点で、学年ベストテンにすらはいったことがないのだ。最高でも、十一位どまりである。目標や、ライバルとして扱うつもりなのであれば、もっと適した人物がいるのではないか。
たとえば目のまえの、学年トップを絶賛独走中の生徒会長とか。……いや、さすがにこのひとは規格外すぎるかな。三ノ杜学園に編入して以来、いちどとして首位から陥落したことのない怪物だし。
ともあれ、よくしらない相手から、かってにライバル視されたあげくに恨まれるなど、これほど意味不明かつ理不尽なことはなかった。
「やは……ひ……に……かな」
おや? 鏡寺さんが、なにかつぶやいたぞ。小声だったのと、カラオケが、ちょうどサビで盛りあがっていたため、よく聞き取れなかった。
「なんですって?」
「廣井。それと、堤さん」
いくらかあらたまった口調で、鏡寺さんがいった。同時に、片手をあげて、なにかのブロックサインのように指を動かした。すると、いままで、離れた場所で影のようにたたずんでいた男女ふたり組が、ゆっくりとこちらに歩み寄りはじめた。
しかし、鏡寺さんはふたりには目もくれず、なぜか、頭を回して視線を演壇のほうに向けはじめた。
見た感じ、彼女の視線のさきにあるのは、どうやら演壇のカップルではなさそうだった。その奥、僕たちがいるのとは反対側のカーテンのかげに、大羽さんの姿があったのである。
大羽さんは、カップルのカラオケに集中しているらしく、こちらのことは気にも留めていない様子だった。
「これはたとえ話なんだが……。敵をつぶすには、どうしたらいいと思う?」
「敵、ですか?」
はて? 鏡寺さんは、いったいなにが言いたいのだろう。話題の転換が、唐突すぎる気がするのだが。
例の男女ふたりが、さながら、越後のちりめん問屋のご隠居を守護する家臣たちのように、鏡寺さんの両わきに展開した。中心にいる彼女はといえば、あいかわらず大羽さんを注視しているようである。
「こーへいしゃん」
ちいさく、こころが話しかけてきた。
否、むしろ、単純におまじないのような感じで、僕の名前を唱えたというほうが、雰囲気としては適切かもしれない。横目でうかがうと、彼女はひどく不安そうにしていた。
「――そう、敵さ。君らにとって、いまのハトは敵みたいなものだろう?」
ようやくこちらに向き直ると、鏡寺さんはくちびるのはしを持ち上げた。
たぶん、笑みであるはずのその表情は、しかし、背筋がぞくりとするような凄絶なものだった。