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冥王星の少女 -the phantom girl of absolute zero-  作者: 草原猫
第八章前編 文化祭 メイドと執事と喫茶店
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第百四十七話 九月九日(日)夜 1

 さて、会場の出入り口を抜けた直後のことである。

 歩きながら、僕はなんとなく、視線をよこにうごかしていた。飲み物の自動販売機が設置されている方向である。

 昼間ほどではないにせよ、気温はまだ高い。それをぬきにしても、ライブの熱気に当てられて、体が火照っていたこともある。自分のなかで、無意識に、冷たいものを口にしたいというような欲求があったのかもしれない。

 とにかく、自動販売機と、そこで買い物をしているとおぼしき人影が、僕の視界内に入ってきたのだ。

 その人影は、小柄な女子だった。しゃがみこんでいて、自動販売機の受け取り口に手をつっこんでいるようである。

 彼女は髪をアップにしていて、黒っぽいシャツにタンクトップを重ね着していた。ちぐはぐに切り詰められたジーンズのしたには、ところどころ破れたストッキングを……。

「あっ?」

 こちらの声に反応してか、その女子――笹川さんが頭をあげた。一瞬、きょとんとしたような表情をうかべたあと、彼女はすぐに得心いったというような笑顔になった。

「なんだ、廣井くんじゃない。おひさしぶり」

「え……ええっ」

 ようやく、目のまえの相手がだれなのか理解したらしいこころが、おどろきの声をあげた。笹川さんは、自動販売機から取り出した缶飲料二本を手に、こちらにむきなおった。

「さっきのライブ、すごかったよ!」

 僕はといえば、興奮のあまり、勢いこんで笹川さんに歩みよっていた。

 実際、相手に握手を求めたいような気分だったのである。バンド『黒霊騎士』のメンバーは、僕にとってはすでに、ただの友人知人同学年から、尊敬すべき人物たちにクラスチェンジしていたのだ。

 ところが、だった。

「ど、どうもありがとう……」

 たいする笹川さんの反応は、どこか引き気味なものだった。

 はて? なにやらテンションが低いな。さきほどの激しいパフォーマンスとは大違いで、どちらかというと、おとなしい印象すらおぼえる。

 自分が、相手にとってはただの元クラスメイトであり、たいしたつながりがなかったことに気づいたのは、たっぷり数秒たってからだった。

「ご、ごめん。なれなれしくしちゃって」

 あわてて謝ると、笹川さんはぷっと噴出した。

「べつにいいよ。タクローから、よく話は聞いてるし。……そのひとがカノジョの、堤さんだっけ?」

「は、はい。こーへいしゃんの恋人の、堤こころです」

 どういうわけか、こころも動揺しているようだった。

「へえ、君たちってなんか……。すごいお似合いってカンジ? そっか、ふうん」

 しきりと、笹川さんがうなずいている。

 雰囲気を立て直すため、僕はひとまず、気になっていたことを質問してみることにした。

「おほん。えっと、黒田は?」

 すると、笹川さんは片手を腰にやり、もう片方の手の中指で、こめかみのあたりをおさえるようにして、深く息をついた。

「あいつはねえ……。いま、ちょうど人生の岐路の真っ只中というか」

「人生の岐路?」

 意味がわからなかった。ほんの十分ほどまえにライブを終えたばかりのバンドマンに、いったいどんな恐るべき難題が降りかかっているというのだろう。

「……廣井くんたち、時間はだいじょうぶ? おもしろいから、ちょっと見物に来なよ」

 缶飲料を片腕でかかえなおし、笹川さんがあいたほうの手で手招きをしてきた。僕は、こころと顔を見あわせた。

「こーへいしゃん、どうしよう」

「うーん……。いちおう、鏡寺さんも時間厳守じゃないっていっていたし、すこしぐらいなら、かまわないんじゃないかな」

 好奇心は猫を殺すというが、逆らえないのもまた好奇心である。結局、僕たちは彼女のあとについていくことに決めた。

 先頭に笹川さん、すこしおくれて僕とこころという順で並んで歩いた。どうやら、われわれは講堂の裏にむかっているらしい。そこには、控え室へとつながるスタッフ用の出入り口と、駐車場がある。

 もっとも、関係者でもないのに控え室に入れてもらえるとは思えないし、ということは、なにかあるのは駐車場でなのだろうか。

 ――と、建物の角にさしかかったあたりで、笹川さんがいきなり振り返った。そうして、人差し指をくちびるに押しあてた。静かに、という意味のジェスチャーである。すわ、なにごと。僕は身を硬くした。

 だが、彼女はすぐに指を口から離し、反対の手でちいさく合図をしてきた。僕は、目でこころをうながすと、ふたりして忍び足で笹川さんのそばによった。

 だれか、角のむこうにいるようだ。

「あれは……」

 駐車場の壁に、黒田がもたれかかっているのが見えた。となりで同様にしている女子にむかって、なにかさかんに話しかけている。

 距離があるのと、漏れてくるライブの音のため、声はほとんど聞き取れない。ただ、場所がちょうど電灯のすぐそばなので、ふたりの顔は、はっきりと確認することができた。

 相手の女子は、委員長である。いつもの制服姿で、しかし髪はまとめておらず、眼鏡もかけていない。

 委員長は、黒田の言葉に、じっと耳をかたむけているようだった。

「安倍さん、なんでこんなところに」

 つぶやくように、こころがいった。

「愛の告白ってやつ? タクローってさ、一年のころからずっと、安倍さんのことが好きだったみたいだよ」

 その言葉に、僕は思わず声をあげそうになった。

 よほど、こちらの表情に驚愕の色が貼りついていたのだろう。笹川さんはどこか満足そうにほほえむと、くわしい事情を説明してくれた。

 それによると、黒田は夏休みまえにいちど、委員長にラブレターで交際を申しこんでいたらしい。そのときは、色よい返事がもらえなかったそうだが、あいつはどうしても諦めきれなかったようで、バンド仲間に相談して、あらためて告白しなおすことにしたのだという。

 すなわち、今回のライブを利用して『この歌詞は君のことを考えて書いたんだ』というのをやったわけだ。

 けさ、店に遊びに来たのは、ライブを聞いてもらうことと、駐車場で待ちあわせること、両方の約束を取りつけるためだったのだとか。音楽で求愛とは、いかにもミュージシャンのやりそうなことだと思うが、あのお笑い好きの男がと考えると、かなり意外にも感じた。

「ちょっとまって、笹川さん。一曲めはともかく、二曲めを告白につかうのは、その」

 エロすぎるとは、いくらなんでも続けられなかった。僕が言葉をにごすと、笹川さんは目だけを動かして、こちらに一瞥をくれてきた。

「告白につかったのは、最初のやつだけだよ? なんでもする、協力してくれっていうから、一番めをタクローが私物化するかわりに、二番めはあたしらでかってに選んだんだ」

 けど、あたしはあとのやつのほうがえっちくて好きなんだけどね。笑いながらそういって、笹川さんはちろりと舌を出した。

「ま、しつこいくらいに一曲めを聞いてくれって伝えたらしいから、問題はないんじゃない? 振られるとしたら、まず違う理由でだろうし」

 なるほど……。それにしても、なんというか、衝撃である。

 いや、もちろん、あいつが委員長のことを好いていたというのは、とくにおかしなことではない。もともと男子から人気のあるひとだし、黒田も、いま考えると、彼女についての話題をだすことは多かったのだ。

 僕がおどろいたのは、すでに告白していたという部分である。

 思い返してみれば、徹子ちゃんがゴーに告白していたという話を聞いたときにも、おなじようにおどろいた気がする。どうやら、僕はそういうことにかんして、かなりにぶいほうであるようだ。

 いずれにせよ、あいつは友だちだし、つきあうなら祝福してやりたい。もちろん、委員長もである。黒田は見た目こそチャラチャラしているが、気のいいやつなのだ。

 ほかに好きな男でもいるならまだしも、あっさりと断るのは、さすがに惜しいだろう。

 胸に、なにかもやもやしたものが広がっていくような感じがしたが、あえてそれは無視することにした。

 いったい、黒田はいま、なんといって彼女を口説いているのだろうか。あいつが一方的にしゃべりまくっているのにたいし、委員長はうつむいているだけで、相手を見ようともしていないのである。

 必死すぎて、黒田の姿が痛々しく思えるほどだった。

「やっぱ、無理っぽいかなあ。安倍さんってさ、……お?」

 なにか言いかけ、しかし、ふいに笹川さんがだまりこんだ。どうしたのかと、僕も駐車場のふたりを注視した。耳元で、こころの押し殺したような息遣いを感じた。

 黒田が、ほうけたような表情をうかべている。ついいままで、なめらかに回っていた口も、半開きのままその動きを止めていた。

 原因は、ここからでもよくわかった。手だ。委員長の白い手が、黒田のそれに重ねられている。

 ゆっくりと、委員長が顔をあげた。その表情。ほほえんでいる。聖母のようなおだやかさで、そして軽くうなずいた。

 ありがとう。彼女のくちびるがそう動いたように、僕には見えた。

 泣きそうな顔で、それでも黒田は委員長の手を握りかえし、そのまま――。

「もどろう。これ以上は野暮だよ」

 笹川さんに、肩を叩かれた。

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