第百四十六話 九月九日(日)夕方 軽音部ライブ 3
二組めの演奏がはじまったのは、会場にはいってすぐだった。
いってはなんだが、じつにうるさい音楽である。ひずんだギターの音ばかりで、ボーカルの声がほとんど聞えてこない。
たしか『ザ・ラウド』とかいう名前のバンドだったと思うが、いやはや、名は体をあらわすとはよく言ったものだ。
およそ十分、二曲の演奏がおわるころには、耳がおかしくなりそうだった。会場は、わりと盛り上がっているようだが、このような音楽は、僕はあまり好きではない。
いずれにせよ、いよいよつぎが三組め、黒霊騎士の出番だった。
準備がおわったのか、するすると幕があがった。まんなかに、ギターをたずさえた笹川さんの姿があった。
ずいぶんと、派手なかっこうだと思った。
まず、頭である。鳥の巣などというと語弊があるが、髪をアップにしていて、まとめたさきの部分が爆発したような感じになっている。顔になにかアクセサリーでも貼りつけているのか、目尻から頬にかけてのあたりがきらめいていた。
服装は、上衣が黒っぽいシャツで、乳房を手で覆う図柄のプリントされたタンクトップを重ね着している。下衣は右足が付け根まで、左足は膝のあたりまでというふうに、長さをちぐはぐに切り詰めたジーンズだった。脚にはやはり黒系のストッキングをつけているようだが、ところどころ破かれていて、模様のように地肌がのぞいていた。
彼女の右にいるベーシストが黒田で、左奥のドラムセットに座っているのが木塚氏である。このふたりは、上半身裸だった。
意外にも、黒田はなかなかの体をしているようである。僕たちがいるのは、会場のかなりうしろのほうなのだが、ここからでも、腹筋が割れているのが見てとれた。いわゆるボクサー体型というやつだろうか。
いっぽうの木塚氏は、見るからに巨漢という感じで胸毛が濃く、知らなければ柔道部員あたりかと思ってしまうような雰囲気がただよっていた。
かつかつと、木塚氏がドラムスティックを打ち鳴らした。イントロはない。いきなり歌から入るタイプの曲である。
マリア。あの、僕を落ち着かない気持ちにさせた曲がはじまった。
ベースが、笹川さんの歌声にからみついていく。そして、スピード感あふれる裏拍子のドラムと、それを補強するような短い刻みのギターストロークがつづく。
黒田の演奏は、かなり特徴的なものだった。ベースなのに、歌のあいまの部分で、音をこまかく動かしているのである。おそらく、たった三人という楽器の少なさをカバーするために、第二のギターとして、譜面の隙間を埋める役割を担っているのだろう。
ふむ……。それにしても、じつに聞きやすい音楽だな。音量のバランスがいいのかもしれない。ボーカルが、きちんとこちらまで届いてくるのだ。
うれしいことに、歌詞もある程度は聞きとることができた。サビの『マリア』という部分で、男ふたりがコーラスを入れており、それが、うまく笹川さんの歌声をサポートしている。
これは、僕ごのみの音楽のようだぞ。
一番が終わると、間奏のギターソロだった。和音を主体としていて、小柄な笹川さんの姿からは想像もつかないほどワイルドな演奏である。また、メンバー全員のコーラスが音を補強しており、ほんとうに三人バンドかと思えるほどの重厚さを感じた。
歌詞が二番にはいると、演奏はさらに自由になっていった。カウンターメロディというのか、黒田のベースがボーカルを引き立てるように、歌にたいしてハーモニーをとったりしている。また、木塚氏のドラムも、変則的なリズムにしてみたり、また戻してみたりと、存在感を発揮していた。
しかし、自由なわりに、全体の音楽としての調和がうしなわれていない。もしかして、このバンド、ものすごくうまいんじゃなかろうか。僕は素直に感心してしまった。
やがて、二番のサビがおわり、リズムが四拍子から三拍子にかわった。二度めの間奏と思いきや、すこしちがうようだ。笹川さんが、メンバーの紹介をするつもりらしい。
「リーダー、ベースギター、タクロー!」
声とともに、黒田が弦をはじくようにして、ワンフレーズを奏でた。硬質の音。ええと、これはなんといったかな。そう、スラップ奏法というやつだ。くやしいが、ちょっとカッコいいと思ってしまった。すこし離れた客席から、女子複数の黄色い声援が飛んでいっている。
「ドラム、カツキ!」
木塚氏のドラムソロは、連打、連打、連打だった。シンバルやハイハットといった高い音は、あまり聞えてこない。バスドラ、スネア、タムなどの、息詰まるような低い振動がつたわってきて、体が熱くなる。僕だけのことではないだろう。会場全体のボルテージがあがってきているのだ。
「ギター兼ボーカル、タケヨ!」
自己紹介にかぶせるように、笹川さんが弦にピックを振り下ろした。空気を切り裂くかのような鋭いストローク。その背後から追い風のように、ベースとドラムが入ってくる。
三番。歌はBメロからだった。そしてサビ。さきほど読んだときに印象に残っていた仮定法の歌詞である。
祈りで あなたを守れるなら 僕は 悲しみのなかで
マリア あなたに捧げられるものを いつも 探しつづける
マリア あなたを守れるなら
最後のこの部分を 笹川さんは歌いあげるようにしてメロディを崩した。同時に、ベースとドラムが演奏を止めると、ギターのアルペジオとともに曲が終息していく。
ふと、手を握られる感覚があった。そちらに視線をおくると、こころと目があった。
うす暗がりのなか、それでも彼女の目元がかすかに光っているのが見えた。
「すてきな歌……だったね」
こちらに顔をよせて、こころがそうささやいた。
「ああ。ファンになっちゃいそうだよ」
笑って、僕もこころの手を握りかえした。
つづいての二曲めは『白裸』である。
笹川さんが、アンプにギターを近づけた。とたんに、強烈なフィードバック音が耳をつんざいた。あたかも、女性が金切り声をあげているかのようだった。
その絶叫のさなか、ドラムが、ベースが、それぞれ演奏を開始した。さらに、ギターを構えなおした笹川さんによるリズミカルなカッティングがはいってきた。
叙情的なベースと、低音の強調されたドラム。中・高音域ではギターがリズムや和音を補強し、女声の主旋律と男声ふたつのコーラスによるハーモニーをメインにすえる。それが、バンド『黒霊騎士』の音楽の特色であるようだった。
早くも一番がおわり、イントロが繰りかえされた。暗く、淫らで鬱な歌詞に似あわず、かなり激しい曲調だ。
タイトルは『はくら』かと思ったのだが、どうやら『びゃくら』という読みだったらしい。そんな読みかたがあるのかという気もするが、あきらかに、笹川さんがそう発音しているのである。
いささか下品な響きだが、この場合はむしろ、歌詞の卑猥さにあっているかもしれない。
二番にはいると、またしてもベースとドラムが自由に動きはじめた。おそらく、基本に忠実なのは一番だけで、あとは大胆にということなのだろう。黒田の演奏など、ベースギターというよりはむしろリードギターである。主旋律にたいする副旋律どころか、ほぼ同等の位置にあるといっていいほどなのだ。
さすがに、バンドのリーダーというだけのことはあると思った。フロントにいる笹川さんに負けないぐらいに、黒田は目立っていた。しかも、それが音楽の魅力を殺していない。ドラムがしっかりとリズムを受け持っていて、安心して聞いていられるのである。
変な比喩だが、神話などの巨人がそうするように、木塚氏が支える台のうえで、黒田と笹川さんがふたりして舞をまっている。そんなふうにすら、僕には感じられた。
いいバンドだ。もっと、曲を聞いていたい。
間奏をへて、最後のサビ。『紅く色づく 白裸 君の白裸』という想像するとみょうな気分になってしまいそうなフレーズで、歌が締めくくられた。……と思ったら、終奏が意外に長い。ここを先途とばかり、笹川さんのギターが泣く。黒田のベースが叫ぶ。木塚氏のドラムが悶える。
すべてが終わったとき、会場は割れんばかりの拍手と歓声の嵐だった。どよめきが、地面を揺らすかのようだった。
「おい、すげえな」
ゴーが、話しかけてきた。
「まったくだよ。黒田のやつ、あんなに楽器がうまいなんて」
「じつにいいバンド。とくに、ベースの子とギターの子の相性が抜群。あのふたり、つきあってるの?」
よこから、蛍子さんが口をはさんできた。
「そんな話は聞いたことがないですけど……。でも、たしかにいい雰囲気でしたよね」
正直なところ、蛍子さんのこういう直感は、あまり当てにならない気がする。なにしろ以前、僕と徹子ちゃんにたいしても『仲がいい。つきあってるの?』などと尋ねてきたことがあるぐらいなのだ。
とはいえ、今回に限っては、そのように考えたくなる気持ちもわかる。途中、背中に寄りかかりながらギターを弾くというようなこともしていたのである。ただの友だちであるにせよ、男女の関係であるにせよ、あのふたりが相当に良好なパートナーシップを結んでいることは、まず間違いないように思えた。
みんなで黒霊騎士の感想を言いあっているうちに、新手のバンドの演奏がはじまった。
会場の盛りあがりは、もはや最高潮といっていいほどである。バンドが、観客に押されるようにして、すばらしいパフォーマンスをやってのける。観客も、バンドに煽られて、さらなる興奮のるつぼと化す。僕自身、陶酔感をおぼえていたし、こころはうっとりと頬を上気させ、リズムをとって体をゆらしていた。
ほんとうに、いい時間をすごせたと思う。しかし、このライブを終わりまで見ていることは、残念ながらできなかった。
時計を確認したところ、すでに午後六時五十分を回っていたのである。名残おしいが、そろそろ生徒会室にむかったほうがいい。
「あの、ふたりとも、ちょっといい? 僕たちは用事があるんで、これで失礼するよ」
「えっ、もう帰るのか? まだいいだろ」
怪訝そうに、ゴーが眉をひそめた。僕はふたりに、事情をかいつまんで説明することにした。
「なるほど、カップルコンテストか。わかった、おれも投票してやるぜ」
「ぐっどらっく」
蛍子さんが、ぴっと親指を立てて、すこし不恰好ながらウィンクをしてくれた。ふたりの見送りを背に、僕はこころをつれて会場をあとにした。