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冥王星の少女 -the phantom girl of absolute zero-  作者: 草原猫
第八章前編 文化祭 メイドと執事と喫茶店
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第百四十五話 九月九日(日)夕方 軽音部ライブ 2

 講堂の入り口には、簡易の受付が設置されていた。といっても、係員らしき人間は、ひとりも見当たらなかった。

 はじめから無人だったのか、単純に、そこにいるべきだれかがサボって姿をくらましているのか、僕には判断がつかなかった。

 受付のわきには、長テーブルが設置されている。そこには『ご自由にお持ちください』という手書きの札とともに、安っぽい紙質の小冊子が積まれていた。

 手にとって、ぱらぱらとめくってみると、出演するバンドのメンバー紹介や、オリジナルの楽曲があるものは、歌詞などが掲載されていた。

「黒田のバンドって、たしか三番めだろ? まだ時間あるし、これを読んでいこうぜ」

 ゴーの提案だった。こいつは、買ったCDの歌詞カードを熟読するタイプだと聞いたことがある。さきに内容を把握しておかないと、曲を聞く気にならないのだとか。

 断る理由もないので、僕たちは、思いおもいに小冊子をひろげることにした。

「黒霊騎士……。おう、これだ」

 まず、画質の粗い白黒写真――黒霊騎士の三人が、ポーズを決めつつたむろっている感じのもの――が目にはいった。

 つづいて、メンバーの簡単なプロフィールページである。”TAKURO”、”TAKEYO”、”KATUKI”と、ファーストネームがアルファベットで表記されていた。自己アピールのたぐいはなく、なぜか血液型が掲載されていた。

 歌詞カードは、さらにそのつぎのページだった。

「へえ、一曲めのタイトルは『マリア』か。……うん?」

 ポップスの曲名としては、それはごくありふれたものだと言っていい。しかし、僕には『マリア』というニックネームの女子に心当たりがあり、そこにいくばくかのひっかかりを覚えた。

 もっとも、そのニックネームが使用されるのは、ごく限られた場面だけである。黒田が知っているはずもないし、ただの偶然の一致だろう。

 浮かびかけた雑念をはらい、僕は歌詞を目でおった。

 その歌は、要約すれば、マリアという名前の女性のしあわせを、神に祈るという内容のものだった。

 一読した印象は『とても甘ったるい歌詞だな』である。どれだけ相手の女性が好きなのかしらないが、ここまで褒め称えるかと、つい噴出しそうになってしまうほどだったのだ。

 おそらくは、キリスト教の聖母マリアをイメージしているのだろう。歌詞中に『病めるときも 悩めるときも』というフレーズがあり、これは韻をふんでいるのだろうと思われるが、同時に、結婚式での誓いの言葉を連想させる。

 また、随所に『神さま』という単語が入っているのも、そちらの関係かと思えた。

 しかし、なんどか読み返しているうちに、僕はみょうなことに気づいた。

 サビのフレーズとおぼしき箇所が、マリアという女性への呼びかけになっている。それはいいのだが『マリア あなたを守れるなら』と、すべて仮定として書かれているのである。

 この言いかただと、まるで歌詞中の主人公である『僕』が、ほんとうにはマリアを守る立場にいないかのようだ。

 さらに、べつの箇所では、自分がマリアを守りたいと願っているにもかかわらず、神に『あのひとを守りたまえ』と祈っている。この部分も、考えてみたらおかしい。

 これは、へたをすると、甘い恋の歌などではまったくなく、むしろその逆、すなわち、思いのとどかない相手のしあわせを願いつづける悲愴な気持ちをうたった歌なのではないだろうか。

 ふと、幸のことが頭をよぎった。

 こころと付き合うようになってからは、あまり感じなくなっていたが、かつての僕は、幸にたいして、この歌と似たような気持ちをいだいていたのではなかったか。

 しらず、落ち着かない気分になりかけた。しかし、その気持ちを、僕は意識して、深く思いつめないようつとめた。

 どんな種類のものであれ、芸術作品とはそういうものなのだ。つくった人間がなにを考えていようと、受け手はかってに影響されて、自分なりの感じかたをしてしまうものなのである。

 黒田も、本人なりの気持ちをこめてこの詞を書いたのだろうし、僕が自分自身をかさねて、必要以上におかしな気持ちになってもしかたがない。

 ちらりと、こころに視線をおくってみた。彼女は僕のとなりで、こちらとおなじように小冊子をながめている様子である。

 いまの僕には、こんなにすてきな恋人がいるのだ。あらためて、そう思った。幸のことは好きだったが、それももう過去のことである。

 ともあれ、つぎの歌詞である。

 しんみりした気分を引きりずりつつ、ページをめくると『白裸』というタイトルの文字が目に飛びこんできた。これは、なんと読むのだろう。『はくら』かな?

「えっ、なんだこりゃ。すごい歌詞だな」

 二曲めの歌詞を読んでいるうちに、ついさきほどまで感じていた神妙な気持ちは、あとかたもなく吹っ飛んでしまった。

 白い裸という、ありていにいえばすっぽんぽんの女性を想起させる字面に似つかわしく、それは男女のイトナミをうたう内容の歌詞だった。

 べつに、直接的な言葉がつかわれているわけでもないのに、意味するところは明白な比喩が多用されている。

 たとえば、サビと思われる部分で『Lady 君のなか ただよっているのさ 僕は まるで透明なくらげ 寄せてはかえす』というフレーズがあるのだが、これなどなんというかもう、動きそのままではないか。

 ただし、全体的な歌詞の雰囲気には、閉塞感とでもいうべきものも感じられた。『狂気に近いような 深い母性愛で』だの『僕を殺してよ 君の腕のなか』だのと、見るからに不穏なフレーズが、そこかしこにちりばめられているのである。

 はっきりいって、好きな女性と仲よく愛しあっているというよりは、もっとどろどろとした情念のようなものが読み取れてしまった。

 あいつ……。もしかして、欲求不満かなにかなのか?

 そんな失礼きわまりない、いわゆる下種の勘繰りをしつつ、じゃっかん引き気味に歌詞を眺めていると、ゴーがニヤけた表情で話しかけてきた。

「おい、コウ。こいつはずいぶんとエロい歌だな」

 顔が、かなり近かった。声もひそめた感じである。たぶん、すぐよこにいるこころを気にかけてのことだろう。

 彼女に聞かれないように、なにげないそぶりで、僕とゴーはほんのすこしだけ場所を移動することにした。

「なあ、笹川さんがうたうんだろ、これ。いろいろとヤバイんじゃないのか?」

「いや、むしろそこがいいんだよ。おれとしちゃ、ちゃんと女言葉の歌詞にして欲しかったけどな」

 一曲めのような、ある種プラトニックなラブソングならともかく、この二曲めを女言葉の歌詞にするのは、無理な気がする。サビのラスト、決めのフレーズと思われる部分が『君の白裸』となっているからだ。

 つまり、歌詞の核が、男から見た女の性的な魅力になっているため、女視点の詞になおすとなると、内容を根本から変えなければならなくなってしまうのである。

 ――などと、歌詞について、ゴーと下世話な議論を繰り広げていると、ふいにあたりが静まりかえった。

 漏れ聞えていたライブの音が、途絶えたのである。おそらく、一組めのバンドの演奏時間がおわり、いまは二組めのバンドと交代しているところなのだろう。入り口の客の行き来も、心なしか多くなっているようだ。

「タケシ、そろそろ」

 蛍子さんが、ゴーを催促しに来た。

「ああ、入るか」

 いって、ゴーが蛍子さんの肩を抱きよせた。

「じゃあ、こころ。僕たちも」

「うん」

 僕は、こころの腰のあたりに腕をまわしてみた。なんとなく、そうしてみたくなったのだ。

 どうせ、講堂のなかは照明が落とされていて暗い。それでなくても、こんな日に男女がいちゃついているのを見て、文句をつけてくる人間がいるとしたら、そんなのはよっぽどの変人であるとしか言いようがないだろう。さきほどの、某生徒会書記のような。

 ふにゃりと、こころが笑みをかえしてくれた。この笑顔が好きなのだと、僕は思った。

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