第百四十三話 九月九日(日)夕方 闖入者 2
「ほんとうに、毎日ずうっといっしょなのよ。仲がいいのはけっこうなことだけど、イチャイチャしすぎて目の毒だわ」
苦笑めいた顔で、委員長がいった。鏡寺さんは興味ぶかそうに、大羽さんはいつものしかめっ面で、僕とこころを交互にながめている。
「もう、コスプレはされていないんですね」
大羽さんが、しごく丁寧な口調で言いがかりをつけ、もとい、話しかけてきた。その物腰から、思わず『慇懃無礼』という四字熟語を連想しかけたが、あえて気にしないことにした。
腕ぐみをしつつ、大羽さんが眼鏡をくいと上げている。このひとは、頭と眼鏡フレームのサイズがあっていないのだろうか。顔をあわせるたびに、眼鏡をなおしている気がするぞ。
「だって、もうとっくに閉店ずみだし」
ひとまず、笑顔をかえしてみることにした。執事をこなすために、練習した表情である。
とたんに、委員長がやれやれといった感じで首をふった。鏡寺さんは、くすくすと含み笑いをはじめた。
「ケンカしない、ハト。ほら、廣井も。せっかくの執事フェイスなのに、目が笑ってなきゃ台無しだぞ」
それから、鏡寺さんは鷹揚な態度でつづけた。
「まあ、なんだ。廣井にちょっと、たのまれて欲しいことがあるわけさ」
「……なんです、鏡寺さん」
同年だし、いくら生徒会長といっても、とくに敬語をつかう必要はない。ないのだが、彼女にはなぜかこうしてしまう。これも、カリスマ性といえるのだろうか。
とにかく、本人のスペックが天才と化け物を乗算したようなレベルであるうえに、実家というか彼女の祖父が、三ノ杜市に重大な影響力をもつ名士的な人物なのだそうで、怒らせると――実際にそういう事例を見たことがあるわけでもないが――あとが怖い気がするのである。
付言すると、鏡寺さんにタメ口をきく人間は、男女のべつなく、上級生をふくめてもそんなに多くないので、僕だけがヘタレているわけではないと思う。たぶん。
「カップルコンテストに、出てもらいたいんだ」
「えっ」
相手のそのひとことに、僕は一瞬、自分の耳をうたがった。
生徒会主催、カップルコンテスト。毎年恒例の、後夜祭ラストをかざる目玉イベントである。
参加資格は、男女とも三ノ杜学園高等部に在籍する学生であることと、交際暦三ヶ月以上。僕とこころは後者を満たしていないため、残念ながらエントリーはできないはずである。
だが、僕がおどろいたのは、資格がないのに出場をもとめられたことが理由ではなかった。
「どういうことですか?」
内心の動揺を押し隠し、僕は鏡寺さんに詳細な説明をもとめてみた。
「参加予定のカップルがひと組、わかれてしまったのさ」
こともなげに、鏡寺さんがいった。やはり……。
「きゅうなことで、代役になってもらえそうな人間が確保できないんだ。といっても、それならそれで、身内の生徒会役員をふくめ五組のカップルがいるから、トークで引き伸ばしでもすればいいかと思っていたんだが、ハトがな」
「お昼に、お弁当を食べているところを拝見させていただきました」
唐突に、大羽さんが話に割って入ってきた。
「なんなんですか? あなたたち。あ、あ、……あーんとか、してましたね? 人目につかないとか思っていたのかもしれませんが、校舎から丸見えだったんですよ!」
真っ赤な顔で、まくしたてられた。このひとは去年、風紀委員をしていたので、そういうのが気になるのだろう。僕自身は注意されたことがなかったが、よくゴーが、服装やら言動やらで怒られていたっけ。
もっとも、三ノ杜学園は学生の本分たる勉強さえしっかりしていれば、風紀はあとからついてくるという考えの学校だし、今年度にはいってからは風紀委員自体が廃止されているぐらいである。まじめなのはよいことだが、正直ウザいと思った。
「恋人といちゃついて、なにがわるいのさ」
「こ、こーへいしゃん」
こころが、心配そうな視線をむけてきた。僕は彼女の手をとると、気にしなくていいよと目で合図をおくった。
「うわ、開き直ってる……」
すこしたじろいだように、大羽さんがいった。
「なるほど、これは聞いたとおりだ」
「でしょ?」
委員長と鏡寺さんが、顔を見あわせて笑っている。
「あ、あの、こころは、そういうのに出るの、嫌じゃないよ」
「そう……。鏡寺さん、僕とこころは、まだ付き合って一ヶ月ぐらいなんですけど、いいんですか?」
こちらが確認をすると、鏡寺さんはニヤリと笑って右手の親指を立てた。と思ったら、ぐっと自分の胸のあたりを指し示した。
「かまわんよ。生徒会では、わたしが法だ」
どこの独裁者ですか、あなた。
「と、とにかく、そんなにいちゃつきたいなら、全校生徒のまえで思う存分やるがいいわっ」
ずびしとこちらを指さして、大羽さんが吼えた。じつに、三下の悪役っぽさがにじみ出るような発言である。
ちなみに、全校生徒というのには、少々語弊があったりする。カップルコンテストは開始時間がかなり遅いため、見物できる学生は高等部だけなのだ。
「わかりました。それで、僕たちはどうすれば?」
「ああ、講堂のライブが終わるのが午後七時半だから、そのまえ……そうだな、七時ごろに生徒会室にきてくれ。ほかのカップルといっしょに、段取りの説明をしよう。こんな日だから時間厳守とはいわないが、なるべく早くきてくれると助かる」
講堂のライブというと、軽音部か。黒田が、部活仲間とともに出演するといっていた。たしか六時ぐらいからはじまるはずだから、これが終わったら、こころといっしょに見にいってみるかな。
「話もまとまったみたいだし、お茶でも飲む? お菓子も、すこしならあるわよ」
「悪いね、安倍ちゃん」
鏡寺さんが、女子としてはかなり豪放に、はははと声をあげて笑った。いっぽう、大羽さんは腕時計に目を落としているようだった。
「むりです、会長。つぎの予定が」
テーブルにむかいかけていた鏡寺さんを、大羽さんが制した。
「堅いこというなよ、ハト」
「いいえ、申し訳ありませんが」
かるくため息をつき、鏡寺さんが大仰に肩をすくめた。
このふたりは、通称モリハトコンビと呼ばれるほど公私とわずよくつるんでいて、実際、親友同士であるはずなのだが、会話はまるで上司と部下である。なにか年の近い、もしくは幼なじみの社長と秘書というような感じの関係性を想像してしまった。
「やれやれ、しかたないか。安倍ちゃん、すまないが、わたしたちはもどるよ。廣井、またあとでな」
片手をあげると、鏡寺さんは大羽さんを引き連れて、颯爽と教室を去っていってしまった。あっというまだった。
「えっと……。じゃあ、こっちもさっさと残りをすませようか、こころ」
「うん」
笑顔で、こころがうなずいてくれた。
「わたしのほうは、もう終わったから……。とりあえず、お茶の用意をするわね」
いって、委員長は調理スペースにはいった。