第百四十二話 九月九日(日)夕方 闖入者 1
そのごも店は順調にまわりつづけ、やがて校内に午後五時の到来をつげるチャイムが鳴りひびいた。
文化祭の終了である。それは、盛況だった二年二組の模擬店・喫茶レクイエムの閉店をも意味していた。
客はもうだれもいない。従業員だけになった店内で、最終のメンバーが輪になっている。中心にいるのは、いつものとおり、委員長だった。
「みんなのおかげで、お店も繁盛しました。どうもありがとう。今日は、ほんとうにお疲れさま」
すこし眠たげな顔で笑って、彼女が最後の挨拶をしめくくると、それで全員、着替えて解散ということになった。
あとかたづけは、目立つゴミを捨てたり、シーツや飾りつけの一部を撤去する以外は、ほとんどなにもしなかった。机の並べ替えもしない。そういった大規模な作業は、あすの朝、クラスメイトがそろったときにおこなう予定である。文化祭はおわったが、今日はまだ後夜祭がのこっているのだ。
さて、僕が着替えを終えて更衣スペースから出てくると、委員長はテーブルのひとつに腰をおちつけ、なにやら筆記用具を広げているところだった。
いまだに、委員長はメイド服のままである。どうやら、彼女は着替える時間もおしんで、売り上げの確認作業をはじめたらしい。べつに後日でもかまわないのに、律儀なひとである。
「手伝うよ、委員長。分担したほうが早い」
「助かるわ、廣井くん」
やがて、遅れて女子用の更衣スペースからもどってきたこころも、手伝いにはいってくれることになった。
委員長は廊下寄りの位置にある彼女自身の机で、僕とこころは窓のそばのゆったりとした客用テーブルにならんで座り、おのおの作業にいそしむことになった。
――闖入者、などと言ってはいけないのだが、その人物たちがあらわれたのは、午後五時半をまわったあたりだった。
「よう、がんばってるね、安倍ちゃん」
「あら、モリちゃん? それに、ハトちゃんも」
見ると、制服姿の女子が二名。わが三ノ杜学園現生徒会長の鏡寺葉森さんと、おなじく生徒会書記の大羽美鳩さんだった。
鏡寺さんは、遠慮する様子を微塵も見せずに、つかつかと教室にはいってきたかと思ったら、委員長としたしげに会話をはじめた。いっぽう、大羽さんは黒板側の出入り口にたって、片手で鞄をかかえ、もう片方の手で眼鏡をくいとあげながら、値踏みをするような態度で店の内装の残骸を見まわしていた。
このふたりは、どうにも苦手だった。
まず、鏡寺さんである。彼女は背が高く、彫りのふかい日本人ばなれした風貌をしており、僕のこのみとはちょっと違うが、まず美女――美少女ではなく――といってさしつかえない容姿のひとである。
長い髪を高い位置でポニーテールにまとめていて、見るひとに活動的な印象をあたえる。また、声がハスキーなのもあいまって、下級生の女子たちから、お姉さまと呼ばれて慕われているらしいという話を聞いたこともあった。
もっとも、天は二物を与えずというべきか、じつは性格が非常に高圧的だったりする。それも、こうと決めたことは有無をいわせず、ワンマン生徒会長と形容せざるをえないほどで、今年の委員会活動はほんとうに、彼女がらみでなんどよけいな仕事を増やされたかわからないぐらいだった。
そしてもうひとり、大羽さんであるが、こちらはこれといった特徴のない地味な顔だちをしたひとである。
体格は中肉中背、眼鏡をかけているが、なんの変哲もない銀縁で、とくにチャームポイントとはいえない。ただ、髪を頭のうしろでちいさなお団子にしていて、そこに清潔感、あるいは清涼感のようなものがある。
だから、なにもなければ、僕が彼女にいだいた印象は、それなりによいものになっていただろう。
しかし、残念ながらそうはならなかった。
というのは、昨年、大羽さんとはおなじクラスだったのだが、たまたま僕と成績の学年順位が近かったらしいのである。そのせいでなのか、ひとづてに聞いたところによると、彼女はどうやらこちらをかってにライバル認定していたようなのだ。
それで、昨年度のなかごろ、おそらくは僕が上位になることが多くなったと思われるあたりから、あからさまに敵愾心という感じの雰囲気をはっするようになってしまったのだった。
まあ、ライバルうんぬんは、こちらにとってはどうでもいいことだが、さすがに、話しかけるたびに睨みつけられるのには閉口してしまう。率直に述べさせてもらうなら、あまり関わりあいになりたい相手だとは思えなかった。
作業のかたわら、隙をみて、さりげなく彼女たちの様子をうかがってみた。鏡寺さんは、委員長と楽しそうに談笑しているところである。大羽さんは、……うわ、こっちを見てる。すごく睨んでる。参ったなあ。
「あの、こーへいしゃん? ここの数字が」
こころが、話しかけてきた。どうやら、売り上げ金額におかしいところがあるようだ。僕はすぐに気持ちを切り替えて、帳簿に目をおとすことにした。
「ん? えっと、これは……ああ、立花さんが最初に注文したぶんだね。ほら、仕事にはいってもらうまえの」
こちらの返事に、こころが、こくこくとうなずきをかえしている。その、ほんのちょっとした可愛らしいしぐさだけで、僕はほっと気持ちがなごんでいくのを感じた。
いつも、にこにことほほえんでいる彼女を見ていると、こちらまで笑顔になってしまう。僕にとって、こころはそういう女性なのだ。
よし、それでは恋人の与えてくれる安らぎを満喫しつつ、粛々と仕事をおわらせて、ふたりで後夜祭にでも繰り出すとするか。
そんなことを考えて、僕が気合をいれなおそうとした、まさにそのときだった。
ふいに、よこから声をかけられた。
「ふうん、それがくだんの彼女か」
顔をあげると、いつのまにこちらに来たのか、目のまえに鏡寺さんと委員長がたたずんでいた。さらに、視界のはしから、大羽さんまでもが歩み寄ってきている。
またたくまに、僕とこころがふたりがけするテーブルを、三人が取り囲むような形になった。