第百三十九話 九月九日(日)午後 禰子の告白 2
「こころのこと? ……えっと、それはいったい」
立花さんは、片手で頬杖をつき、もう片方の手の指先で、テーブルの表面を軽くとんとんと叩いたり、また引っ掻いたりしていた。
「なんていうか……。ココちんが、すごく自信にあふれてるように見えるんだ。ボクがしっていたあの子は、いつもおどおどしていて、どうかすると背中に隠れてこようとするようなタイプだったんだけど」
たしかに、こころにはそういうところがある。自分からなにかを主張してくることも、そんなにおおくはない。そのせいで胸にもやもやを溜めこみ、ときには爆発させることもあるほどだ。
とはいえ、こちらがそういった問題点を意識して接していることもあってか、最近の彼女は、知りあった当初にくらべれば、ずいぶんはっきりと物をいうようになったと思う。しばらく離れていた立花さんには、その違いがおおきく見えたのだろう。
「あの子とは、けっこう長い付き合いだけど、あんなふうに生き生きした姿を見たのってほとんどなかったんだ。それに、男子の相手も」
軽く息をついて、立花さんが言葉を継いだ。
「ろくすっぽ、男と会話もできなかったココちんが、ごくふつうに……ううん、むしろ、ボクをひっぱるようにして接客しにいっていたんだもの。まえの花火のときに、キミとデートしていたのにもおどろいたけど、今日のはそれ以上だった。てっきり、廣井くんだけが特別なんだとばかり思ってたのに」
……あれ?
はて、どうしたのだろう。相手の表情に、なにか場違いな感情が浮かんでいる気がする。これは、悲しみだろうか? みょうに沈痛な面持ちで、立花さんはくちびるを噛みしめていた。
「さっき、さ。ココちんが自分から、男子の接客をするって言いだしたとき、すごくショックだったよ。そして、気がついたんだ。ボクがあの子にとって、悪い友だちだったってことに」
いっていることが、よくわからなかった。
「どういう意味?」
「ボクとココちんが、中学一年のときの話だよ」
どこか遠くを見るような目をして、立花さんは語りはじめた。
「当時、おなじ学年の担任に、ささいなことで怒鳴り声をあげる教師、男なんだけど、そういうのがいたんだ。で、そいつが廊下でだれか、生徒をしかりつけていたことがあってね」
そのとき、こころと立花さんは教室にいて、叱られていた生徒とはなんの関係もなかったという。
ところが、なぜかこころは、その場でいきなり泣きくずれてしまったらしい。
「もともと、ココちんには気弱なところがあったし、はじめは教師の大声にびっくりしたせいかと思ったんだけど……。なんだか、様子がおかしかったんだ。震えながら『ネコちん、助けて』とかいってくるしさ。それでまあ、ほかの友だちといっしょに、あの子を保健室につれていったわけ」
しらず、僕はごくりとつばを飲みこんでいた。予想外な話の内容に、自分が緊張しているのがわかった。
「これはボクの憶測なんだけど、それをきっかけに、ココちんのなかのなにかの記憶が、多少なりとよみがえっちゃったんじゃないかって気がする。あの子が、傍目にもそれとわかるぐらいに男を苦手にするようになったのって、そのことがあってからなんだよ」
いって、立花さんはため息をついた。
「むかしのココちんは、背も高くなかったし、いまみたいなフェミニンな感じでもなくて……そう、小動物みたいなイメージの子だったんだ。だからボクは、あの子を守ってあげたいと思った。それが、彼女自身のためになることだと信じていた」
はっきりと、立花さんの声が沈んできていた。
それからの立花さんは、文字通り、こころを男から守っていたのだという。教室がさわがしいときにはそとに連れ出し、だれかが話しかけようとしたときには、よこから割ってはいるなどして、とにかく男子を近寄らせないように腐心していたのだそうだ。
しかし彼女が、こころに好意を寄せる男子にたいして、影からひそかにあきらめさせるように立ち回ったり、必要とあらば直接的な妨害までしていたと言ってきたところで、僕はさすがに、それはおかしいのではないかと思いはじめた。
いくらなんでも、そこまでしたら、もはや守るということの範疇を超えている。むしろ、いい出会いの可能性すら摘みとってしまうという意味で、檻に閉じこめるようなものではないか。
花火大会の日に、立花さんから、こころが過去に受けたという虐待について教えてもらった。それも、もしかしたら忠告のためというよりは、妨害のためだったのかもしれない。
じっと、僕は立花さんの顔を見つめてみた。目をふせたその表情は、なにかを悔やんでいるかのようにも感じられた。