第百三十八話 九月九日(日)午後 禰子の告白 1
結論からいうと、さいわいなことに、以降はこれといった問題は起こらなかった。
というのも、あのあとすぐに、運動部系のクラスメイトで暇なものたちが何名か、事情を聞いたといって――委員長が保健室に移動するときに、連絡してくれていたようだ――そとでの宣伝活動の手伝いにはいってくれたからである。おかげで、そのぶんの人員を店にまわすことができ、だいぶ余裕がうまれたのだ。
また、態度がいぶかしく思えたこころと立花さんについても、そのごはべつだんおかしなものを感じさせなかった。
とくに、こころは男子にたいして、怖がるどころか堂々と接客をこなし、また立花さんにむかっても、きちんと指示をだしてフォローを入れるなど、見ているこちらがおどろいてしまうほど、的確に行動していたのである。
ときどき、目立たない場所に移動して、なにか話をしているようだったが、それも、怠けて私語をしているという感じではなさそうだった。
さきほどは、ふたりの様子がみょうにぎこちなく見えたような気もしたのだが、それはおそらく、僕の勘違いだったのだろう。
いまは、ちょうど仕事が一段落ついたところらしく、ふたりして目配せをしては笑いあっている。さすがに、幼なじみというだけあって、息がぴったり……お? 手をあわせた?
ああ、ちょっとちいさめだけど、ハイ・タッチというやつだな。会心の接客でもできたのだろうか。
――と、そうこうしているうちに、やがて委員長も戻ってきてくれた。時計をみると、午後三時をまわったところだった。
彼女がこんな時間まで復帰できなかったのは、倒れた女子の親が外出をしていて、連絡に手間取ってしまったためである。しかも、途中、様子を見にいった人間の話によると、委員長は付き添いのかたわら、なかば強制的に、養護教諭の手伝いをさせられていたらしい。
迎えがきて、ようやく委員長が解放されたのは、ほんの三十分まえのことだった。そして、そのごはすぐに休憩に入ってもらっていたのである。
本人は、みんなに悪いから昼食をぬくなどと言っていたが、それはやめてもらった。すでに、客入りのピークはすぎている。無理をするような場面でもない。
一時間やすんでいていいのに、三十分で切り上げるところが、いかにも委員長だと思った。
ともあれ、閉店まではあと一息。人員も充分に確保できた。そろそろ、しおどきである。
「ちょっといいかな? 立花さん、こころも」
ふたりを、店のすみに呼び出した。
「ごめんなさい、わたしのせいで迷惑をかけてしまって」
委員長が、ぺこりと頭をさげた。僕も、それにならうことにした。
「気にしなくていいさ。ボクも楽しんでるし」
「ほんとに、助かったよ。それで、もう委員長も帰ってきてくれたから、立花さんには抜けてもらってもだいじょうぶなんだ」
こころと立花さんが、同時に顔を見あわせた。
「そうか、もうそんな時間なのか……」
名残惜しそうに、立花さんがつぶやいた。
「ネコちん、四時まではいられるんだよね? だったら、それまではお客さんとして、のんびり遊んでいってよ」
「働いてくれたぶん、無料で注文してくれてもかまわないわ。いいわよね、廣井くん?」
お金に関わることではあるが、まあ問題はないだろう。そのぐらい、なにかあるようだったら僕が補填してもいい。
「僕はいいよ。それじゃ、立花さん。そういうことで」
「お嬢さま、わたくしめがご案内いたしますね」
おもむろに、こころが立花さんの手をとって、エスコートをはじめた。立花さんも、すなおにそれにしたがった。
男子のエスコートはメイドの、女子のそれは執事の役目。さきほど、ほかならぬこころが、立花さん相手に主張したことではある。もっとも、それについて、なにかツッコミをいれようとは思わなかった。こんなにも楽しそうに笑いあう友だち同士に、水を差す必要などどこにもないからだ。
テーブルにつくと、立花さんは遠慮するそぶりこそ見せなかったものの、注文したのはアイスティー一杯だけだった。
なにか、おやつになりそうなものを頼んでくれてもよかったのに、これで充分だという。ほほえむ立花さんに挨拶をして、僕とこころは仕事にもどることにした。
ふたたび彼女によばれたのは、それから十五分ばかりたってからのことである。すでに、カップの中身は空になっていた。
「おかわり?」
「いや……。ココちん、ちょっと廣井くんとふたりで話をしてみたいんだけど、いいかな? ほんとうは、閉店までまつべきなんだろうけど、あいにくとそれまではいられないんだ。あんまり時間はとらせないから」
立花さんの申し出に、こころはつかのま小首をかしげていたが、やがてにこりと笑って頭をさげると、その場をあとにした。たぶん、委員長の手伝いにでも入るのだろう。
ぼんやりと、こころのうしろ姿を見送っていると立花さんが話しかけてきた。
「キミに、お礼がいいたかったんだ。廣井くん、どうもありがとう」
「え? ……あ、そんな、お礼をいうのはこっちのほうだよ。二時間も働いてもらって」
小声でそう返事をすると、立花さんはなぜか苦笑めいた表情を浮かべた。
「そっちじゃなくて、ココちんのことだよ」




