第百三十七話 九月九日(日)昼 4
「ボクも手伝おうか?」
事情を聞いての立花さんの申し出は、じつにありがたいものだった。
「ふつうの喫茶店だったら、バイトした経験がある。口調も、まあだいじょうぶなんじゃないかな」
「すごく助かるけど、時間とかはいいの?」
そう僕が確認をとると、立花さんはにこりと気さくな笑みをうかべてくれた。
「四時ぐらいまでだったら。ところで、メイド服は余ってる?」
たぶん、一着ぐらいはあると思うが、女子用のコスチュームがどこに保管してあるかまでは、残念ながら把握していない。とりあえず、こころにでも尋ねてみようか。そう思った矢先、よこから声がかかった。
「ねえ、立花さんだっけ、その服で手伝ってもらうのって、ダメ?」
見ると、いつのまにか、ほかのメンバーたちも周囲にあつまってきていたようである。どうやら、僕が立花さんと話をしているうちに、こころがみんなに事情を説明していてくれたらしい。この発言をしたのは、調理係のひとりだった。
「べつに、それでもかまわないよ。いまは、廣井くんが責任者になるんだよね? 許可してもらえれば、このままいっちゃうけど」
現在、彼女が身に着けているのは、白のゴスロリ服である。メイド服とは、デザインも雰囲気もまったく違うが、どちらも非現実的な衣装という意味においては、ならんだときに違和感がない。というより、むしろこの場にふさわしいぐらいだった。
「それはもう、立花さんさえ気にしないなら、ぜひお願いしたいよ。じゃあ、さっそくだけど……」
いったんそこで言葉をきると、僕は思案をめぐらせた。
執事とメイドの勤務時間割は、すべて事前に決めてある。水ももらさぬ完璧な計画、などというほどではないにせよ、動かすとなれば多少の混乱は避けられない。
なるべくもともとの予定をいじらず、しかもできるだけ効率的に異動させるとなれば、――まあ、考えるほどのこともないかな。
「立花さん、こころとペアになってもらえるかな。こころ、彼女をお願いできる?」
この場で、立花さんと身内といえるほどの親交があるのはこころだけ。初対面の他人とペアを組んでもらうのは、さすがに気がひける。また、委員長のあとをつぐのは、立場上、副委員である僕以外にはない。
さらに、僕とこころは三単位労働組という特殊な立場にいるため、ほかの人間のシフトを動かすのにくらべて、格段に影響がすくないのである。
ところが、だった。
こちらの指示に、こころはなぜか、ひどく困惑したような表情を浮かべた。そうして、無言のまま視線を宙におよがせはじめた。
あれ? へんだな。てっきり、ふたつ返事で引き受けてくれるとばかり思っていたのだが……。
すると、こんどは、立花さんが意外なことをいってきた。
「もしかして、いや? ボクとペアを組むの」
おどろいてそちらに目をやると、彼女はほとんど無表情で、こころの顔を眺めていた。
なにか、みょうな雰囲気である。仲のいい友だち同士というには、どこか刺々しい……いや、それともちょっと違うな。険悪さは、とくに感じない。ただ、お互いに探りあっているような、そこはかとなくギクシャクとした白々しさのようなものがあるのだ。
はて、これはいったいどうしたことだろう? つかのま、ふたりの様子を見比べて首をかしげていると、やがて、こころが慌てたように口をひらいた。
「い、いやってことは……。ただ、女の子同士のペアになっちゃうし、どうしたらいいのかなと」
ああ、なるほどね。そういうことなら、こころが判断に迷うのも納得だ。
「説明してなかったけど、立花さん。この店では、お客さんの性別によってメイドと執事、どちらがメインに接客するかを変えているんだ。なので、手伝ってくれるのなら、相応に役割を演じてもらえると助かる。……えっと」
ゴスロリ姿とはいえ、立花さんはなんとなく執事役が似あうような気がする。こころも、自分の仕事をしながらパートナーのフォローをするなら、メイド役をそのまま続けるほうがやりやすいだろう。
「だったら、ボクがメイド役になるよ」
しかし、こちらがなにか言うよりさきに、立花さんのほうから提案されてしまった。
「ようは、メイドが男子の、執事が女子の接客をすればいいんだよね? ボクがメイドをやって、ココちんが執事をやれば問題なしってことさ」
さもそれが当然のことであるかのように言って、立花さんは白い八重歯を見せた。
むう? 本人がメイド役をやりたいというのなら、そちらのほうがいいのかな……。
「ちょっとまってよ、ネコちん! ダメだよ、そんなの!」
と思っていたら、いきなりこころが声をあげてきた。かなり強い口調で、まるで抗議しているかのようである。とたんに、立花さんがびくりと体をふるわせた。彼女の表情が、引きつったように固まった。
「メイド服を着ているほうが執事役だなんて、おかしいよ! こころは男の子の接客をするから、ネコちんは女の子の相手を」
そこまで言いかけたところで、ふいにこころは口をつぐんだ。
ほとんど怒っているかのような剣幕だったため、僕をふくめ、その場の全員があっけにとられていたのである。注目があつまったことで、こころ自身もそれに気づいたのだろう。
「ご、ごめんなしゃい……」
申し訳なさそうに、こころが背中をまるめた。
「……おほん。こころの希望なんだけど、立花さん、かまわないかな?」
「ふぇ? ……あ、ああ、うん。ボクは、それでもいいよ」
声が、ひっくり返っていた。見た感じ、立花さんはかなり動揺しているようだ。
やはり、なにか様子がおかしいと思った。
こころも立花さんも、べつにケンカをしているようには見えないが、幼なじみの親友同士という間柄を考えると、どこかよそよそしい、あるいは噛みあっていない感じがする。
ほんとうに、ふたりとも、いったいどうしてしまったのだろう。
とはいえ、ひっかかりを感じるとしても、いますぐにそれを追及しようとまでは思わなかった。
さしあたり、この場は仕事が優先である。従業員がいつまでも一箇所にあつまっていたら、客だって不審がるだろう。げんに、いまもちらりちらりとうかがうような視線を感じるのだ。
「よし、それじゃ、ひとまずはこれでいこうか。こころ、立花さんも、よろしくお願いするね」
「うん、わかった!」
すでに気持ちを切り替えたのか、こころが気合のはいった表情で応じてくれた。たいして、立花さんはどこか落ち着かなさそうだった。