第百三十五話 九月九日(日)昼 2
食事のあとは、いよいよ約束の宣伝タイムである。
ふたりして校舎の正面玄関にいくと、ちょうどこの時間帯の宣伝係が呼びこみをしているところだった。
「いまから入るよ。どこでやればいい?」
「おう、来たか。じゃあ、校門のまえをたのむ」
すぐにそちらに移動すると、宣伝ボードはこころに持たせ、僕は校門を通過する学生や外来の一般客にチラシをくばることにした。
「二年二組、メイドと執事の喫茶店、レクイエムです。ぜひ遊びにいらしてください」
こころが、自発的に大声を張り上げてくれている。とくに物怖じしている様子はない。
周囲の人間の注意をこころが惹き、足をとめたところで僕がチラシを手渡す。同時に、店の簡単な説明もする。なかなか悪くない形である。これなら、多少なりと客足が増えそうだ。
そうやって、しばらくのあいだ作業をこなしていると、ふいにだれかから声をかけられた。
「公平、ココ、お疲れっす」
幸だった。日傘をさし、焦りつく陽光から身をまもっている。
「宇佐美さん、もう帰っちゃうの?」
「いやぁ、まだいるけどさ。いちおう仕事はおわりだし、挨拶がてら、呼びにきたんだ。あんたら、もう時間っしょ?」
当然のことながら、幸はすでにメイド服から普通の服装に着替えていた。ただし、気にいっているのか、ウサミミカチューシャは外していない。それと、カラーコンタクトもつけたままである。
ちらりと、僕は時計に目をやった。時刻は、正午を十分ばかりすぎたところか。たしかに、いまのうちに切り上げたほうがいいかもしれない。
「よし、じゃあそろそろ」
戻ろうか。そう続けようとしたとき、僕は視界の片隅、校門の外の道路で、一台の乗用車が停止したことに気づいた。
学生が親にでも送ってもらってきたか、さもなければ一般客の車だろう。そう判断して、関心をなくしかけた。ところが、車のドアをあけて降りてきた人影に、僕は思わず度肝を抜かれた。
「やあ、ココちんじゃないか。それに、廣井くんも。来て早々会うなんて、奇遇だね」
そこにいたのは、こころの幼なじみの友人である立花禰子さんそのひとだったのである。
「あ……ああ、立花さん、こんにちは。よく来てくれたね」
慌てて、歓迎の意をしめした。それから、こころのほうに視線をうつすと……あれ? どうしたんだろう、表情が硬いような……。
だが、そう見えたのは一瞬のことで、こころはすぐにふにゃりとした柔和な笑みをうかべた。
「ひさしぶり、ネコちん」
おそらく、こころは立花さんの外見におどろいてしまったのだろうと思った。
なんと、立花さんはゴスロリ服を身にまとっていたのである。白を基調としたもので、以前、一学期の始業式で見たこころの黒ゴスロリ服と対をなすような感じだった。しかも、それだけではなく、なぜか頭にはネコミミと、お尻にシッポまでつけていた。
物音をたてないのではと思わせるような、なめらかな足取りで、立花さんが近寄ってきた。
「キミは、……廣井くんの妹さんか、それとも親戚の子とかかな? かわいいね」
つり気味の意思の強そうな目をほそめ、立花さんが話しかけたのは、僕のすぐ隣にいた幸だった。
「こんにちは。いつも、お兄ちゃんがお世話になってます」
ぺこりと、幸が頭をさげて挨拶をかえし……えっ、ちょっと待て。いまなんと言った?
立花さんはいくらか腰をかがめて、幸と目の高さをあわせている。身長差が二十センチほどもあるからだろうが……いや、いくらなんでも同年代にたいしてそんなことはしない。
もしかして、立花さんは幸をちいさな子供と勘違いしているのかな。
「あの、立花さん? 彼女は僕の妹じゃないよ。というか、むしろ年上だし」
「……は?」
握りこんだ拳でかるく口元を押さえ、幸がくすくすと含み笑いをはじめた。立花さんが、目に見えて慌てはじめた。
「ゴメンゴメン、からかっちゃって。アタシ、よく小学生と間違えられるんだ」
おお、立花さんの顔が真っ赤だ。彼女のネコミミが、まるで生きているみたいにへにゃりと倒れている。
そのごは、あらためて正式に紹介しあい、みんなで連れ立って店に戻ることになった。僕と幸、立花さんとこころという感じの並び順である。
道すがら、立花さんは旧交を温めるつもりなのか、しきりとこころに話しかけているようだった。うしろから、わが恋人の相槌をうつ声が聞えてきていたのだ。
いっぽう、こちらでは、さきほどから幸が愚痴をこぼしていた。
「ほんと、困ったもんだわ。なに考えてんだか」
どうやら、僕とこころが昼食をとっているあいだに、店でひと悶着あったようである。
なんでも、上級生の男子が、記念写真撮影のときに、むりやり幸の肩を抱こうとしてきたらしい。それで、相方の執事が止めに入ったら、こんどは乱暴な言葉を使ってすごんできたのだという。
三ノ杜学園は、いい学校なのだが、それでもこういう種類の人間は、ゼロとまではいかない。なんにせよ、メイド喫茶に遊びに来ておいて、執事に脅しをかけるとは、まったくもって、呆れたやつもいたものである。
さいわいなことに、幸のパートナーは、その程度のことで怯むような男ではなく、粘り強い説得のすえ、ぶじ相手にお帰りいただくことに成功した。じつにグッジョブであると言いたい。
「でさ、写真。耀子ちゃんが、全面禁止にしたから。撮影コーナーも閉鎖」
「あちゃあ……。でも、しかたないか」
思わず、ため息がもれた。そうして、もし自分がおなじ立場だったらと考えてみた。
たぶん、こころは怖がって泣き出してしまうだろうし、そうなったら僕も冷静でいられる自信はない。最悪、殴りあいになってしまうかもしれない。
しかし、残念ながら、僕は喧嘩が弱いのだ。それに、そういうのは勝っても負けてもろくなことにならないものである。
なにより、暴力をふるっている姿を見られたら、僕のほうがこころに怖がられてしまう可能性すらある。
やはり、こちらがおとなしく殴られているあいだに、通報を待つぐらいしかないのだろうな。
「けどさ、なにごともなくて、ほんとによかったよ」
「まあね。……あんたも、なんかあったらちゃんとココを守ってあげないとダメだぞぉ?」
いかにもお姉さんというような態度で、幸がいった。
「もちろんさ」
胸をはって、僕も答えた。なにかあって、敵を攻撃する矛になれなくても、愛するひとを守る盾になれればいい。そう思った。