第百二十七話 九月四日(火)放課後 耀子との会話 1
ひとまず、僕はうながされるまま、委員長のとなりに腰をおろすことにした。
「みんな、待ってると思うけど……」
「どの口がそれをいうの? けさ、サボったくせに」
悪戯っぽく笑って、委員長が軽く伸びをした。両腕を組んで頭上にかざし、んんっ、と声をもらしながら上体をそらせている。一瞬、彼女の豊かな胸のふくらみが、さらにおおきく強調されてしまい、僕は目を奪われてしまいそうになった。
「い、いや、そこは申し訳ない。だけど、ただでさえ徹子ちゃんの話を聞いたせいで、遅くなっているのに」
つきあっている女がいたとしても、やはり魅力的なものは魅力的なのだなあと思いかけ、僕は慌てて自分をいましめた。
やれやれ、僕はアホか。昨日、こころを悲しませたばかりなのに、なにを考えているのだ。
「ええ、そう。わたしたちは、錦織さんの話を聞いて、もどるのが遅くなってしまったの。悩める下級生の相談にのるのは、上級生の務めよ。ただ、思ったより、すこし時間が延びちゃっただけ」
「なるほど」
僕は苦笑した。まあ、たしかに、いまさら十分や十五分おくれたとしても、大差はないだろう。このところ、委員長とはゆっくり話しもしていないし、たまにこういう機会をもうけるのも悪くはないか。
しかし、となると、どんなことを話したものかな。いくらなんでも、この場でそこまでのんびりできるはずもないし……。
「じつは、ちょっと気になることがあるの。単刀直入で悪いんだけど……。廣井くんは、ココちゃんとどんなふうにお付き合いしてるの?」
「え?」
意外だった。ここでこころの名前を出してくるということは、彼女は昼にした『女の子同士の話しあい』の内容にふれようとしているのか?
すでに、委員長の顔からは、さきほどの悪戯っぽい笑みは消えうせており、代わりに、かなり真剣な表情がうかんでいた。
「こういったらなんだけど……。最近、ココちゃんの様子が、なんだかおかしいのよ。廣井くんに、すごく依存しているっていうか。あの、失礼な言いかたをしちゃって、ごめんなさいね」
依存? はて、それはどういう意味だろう。委員長は、慎重に言葉をえらんでいるらしく、ずいぶんと歯切れの悪い口調だった。
「うさっちから聞いたんだけど、ゆうべ、いろいろとあったそうね?」
「ああ。そのときに、委員長のことも話に出たんだ。どんな内容だったかは聞いてると思うけど……。僕からも、謝っておくよ。ごめん」
すこしうつむいて、委員長がため息をついた。
「あのね、これは、もうココちゃん本人に伝えたことで、いまからあなたに言うのは、予備知識というか、前提として把握しておいて欲しいからなんだけど」
前置きのようにそう言ってから、彼女は顔をあげて、こちらを見つめてきた。
「わたし、廣井くんとココちゃんがお付き合いするのにあたって、微力ながら、応援してたの。たいしたことじゃないけど、相談されて、アドバイスめいたこともしてみたり……。まえの花火大会のときなんか、うさっちといっしょに、ふたりのデートの計画を立てて、セッティングまでしてあげたのよ? それを」
いきなり、委員長の眉間にくっきりと縦じわがよった。
「いまさら、わたしやうさっちが、あなたと浮気してるみたいなことを言ってきて……。正直、ムカついたわ。なんなんだろうって思った」
「……ごめん」
そのあたりの事情は、なんとなくわかるし、言い訳のしようもない。実際、僕が他人からおなじようなことをされたとしたら、やはり気分が悪いと感じるだろう。
もしかして、さきほどの徹子ちゃんへのお説教で、委員長がやけに不機嫌そうだったのは、これが原因で、気が立っていたからなのかもしれない。
「いえ、さっきも言ったけど、これはもう本人に伝えて、謝ってもらったことだから。……それで、ここからが本題。話しあうまえに、お弁当の蓋をあけたときのことよ」
ふたたび、委員長はため息をついた。
「朝に、お弁当のはいった鞄を落としちゃってたらしいわね? ココちゃんのぶんは見せてもらったけど、だいぶひどい有様だったみたいで」
「うん? そうだけど……」
いったい、なんのことだろうかと思った。この話の流れで、僕とこころの弁当がぐちゃぐちゃだったことに、どんな関係があるのかな。
「あの子、それをものすごく気にしてたわ。すぐにでも立ちあがって、廣井くんに謝りに行きそうな勢いだったの。さすがに、わたしも、これから真剣な話をしようってときに、お弁当のことぐらいで蔑ろにして欲しくなかったから、むりにでも引きとめさせてもらったけど」
淡々とした口調だった。しかし、むしろ、そのほうが迫力があると思った。
いちおう、委員長は、すでに終わったこととして話してくれてはいるものの、実際には、まだ、相当に怒っている様子である。彼女らしからぬ冷たく不快げな表情に、僕はつい、怖いと感じてしまった。
「最初のうち、ココちゃんは気もそぞろという感じだったわ。よっぽど、廣井くんのお弁当が心配だったみたい。で、あんまり、そういうことはしたくなかったんだけど、ちょっと強い言いかたをしちゃって……。あの、くわしくは聞かないでね。わたしも、すこし感情的になっちゃってたから」
「ほ、ほんとうにごめん……」
ううむ、僕が黒田のバカ話で笑いころげていたときに、教室の反対側で、そんな修羅場が展開されていたとは。はっきりいって、非常によくない状況である。こんなことが原因で、せっかくの友人関係が壊れるのは、なんとしても避けなければならない。
さて、どうフォローを入れるべきか。僕が迷っていると、委員長が、気になることを言ってきた。
「ココちゃんって、廣井くんと仲よくなってから、だいぶ変わったように思うの。もともと、ちょっと天然っていうか、どこか抜けてるところがあった気はするんだけど、いまはもうそんなレベルじゃなくて……。なんていうか、まわりがぜんぜん見えてないのよ」
「まわりが、見えていない?」
こちらの相槌に、委員長はこくりとうなずきを返した。
「そう。てっきり、恋がうまくいって、浮かれているんだとばかり思ってたんだけど、こうなると、なんだか度がすぎてないかしら。ねえ、廣井くんはどう? あの子がおかしいって、感じない?」
相手に水を向けられ、僕はつかのま考えこんだ。