第百二十一話 九月四日(火)昼休み
クラス全員の話しあいにより、僕とこころは『一日宣伝係の刑』ということに決まった。
一日宣伝係とは、文化祭当日の開店から閉店までのあいだずっと、僕は執事服、こころはメイド服を着たきりで、さらに空き時間には、宣伝用のボードやチラシを持ち歩かなければならないというものである。
「けど、そのままでよその出し物を回ったら、邪魔になるんじゃない?」
「荷物にかんしては、臨機応変でいいですよ。でも、着替えるのはダメ。調理にはいるとき以外は、ずうっとそのかっこうでいること」
正直なところ、サボった罰としては悪くない話だった。というより、このぐらいで許してもらえるなら、むしろ僥倖である。こころなど、喜色を浮かべてすらいたほどだった。基本的に、彼女はかわいい服を着るのが好きなのである。
やがて、午前の授業もおわり、昼休みになった。
「はい、お弁当」
「いつもありがとう、こころ」
昨夜、あんな状態だったので、購買でパンを買うためのお金を用意しておいたのだが、必要なかったようだ。眠たかっただろうに、こころは今日も弁当を用意してくれたのである。ああ、なんていい女なんだろう。感謝と感激で、僕は胸がいっぱいになってしまった。
ともあれ、食事である。こころが僕のむかいに腰をおろした。ふたりして弁当箱をあけようとしたところで、なぜか幸と委員長があらわれた。
「ちょっといい、公平? アタシら、ココに用があんだけど」
昼食をともにしたいのかと思いきや、呼びにきたのはこころだけだったようだ。
「え……ええ? あの」
「廣井くん、ごめんね。女の子だけで話したいことがあるの。今日は男の子たちといっしょに食べてもらえないかしら」
有無をいわせず、委員長がこころを引っぱっていってしまった。あとに残されたのは、僕と弁当箱だけである。
やれやれ、しかたないか。僕はいわれたとおり、ゴーや黒田たちのグループに合流することにした。
「よう、混ぜてもらっていいか?」
「おう、最近じゃめずらしいな。廣井がこっちに来るなんて」
寄せられた机の一角に弁当を置き、いったん椅子を取りに自分の席にもどった。そうして帰ってくると、男子たちの雰囲気がおかしなものになっていた。
「おい? なにやってるんだよ、おまえら」
見ると、かってに僕の弁当箱が開かれていた。
「いや、堤さんの手作り弁当ってのを見てみたかったんだが……」
みょうに、歯切れの悪い説明だった。おや、どうしたのだろう? ひとまず、僕は弁当を確認してみることにした。
「な……えっ」
弁当箱の中身は、ぐちゃぐちゃだった。おかずのシャケが、真っ二つに割れている。また、ポテトサラダも漬物も、見事にまざりあってしまっていた。
――こいつら、僕の弁当に、なにかたちの悪いいたずらでもしかけたのか?
「落ちつけって、コウ」
だが、頭に血が上りかけたところで、いきなりゴーに腕をつかまれた。
「蓋をあけたときからこの状態だったんだよ。たぶん、堤さんがまちがって、弁当箱を逆さにするとかしたんじゃないか?」
いわれて、僕はすぐにけさのできごとを思い出した。
「そういえば、こころが鞄を地面に落としたんだっけ。……うわ、これはひどい」
苦笑しつつ、席についてケースから箸を取り出すと、僕はあらためて、しげしげと弁当を見つめてみた。
ご飯のまんなかのくぼみに鎮座していたはずの梅干が、シャケのしたに移動してしまっている。代わりに、アルミホイルで区分けされていたとおぼしきプチ・トマトが、そこに収まっていた。
「へ、へえ。やっぱり食べるんだな、それ」
箸で手早く弁当の中身を整えていると、男子のひとりが引き気味にいってきた。
「あたりまえだろ。愛妻弁当なんだぞ」
僕が真顔をつくってそう言いかえすと、周囲に軽い笑いが巻き起こった。
「自分で愛妻とかゆーな。……あー、それで廣井? チミはけさ、勤勉で品行方正な副学級委員の仮面をかなぐり捨てて、その奥方殿とナニをしていたのかね?」
黒田が、芝居がかったおかしな口調で聞いてきた。
「なにがチミだよ。……まあ、いろいろとね」
授業のあいまの休み時間に、委員長が、僕とこころの処遇を決めるための緊急アンケートをとったのである。そのせいで、黒田をはじめとする直接には影響のない文化系の部活連中にも、朝のことを知られてしまったわけだ。
「それよりさ、黒田。おまえ、軽音部のライブに出るんだっけ? たしか、笹川さんとおなじバンドだったよな」
この黒田卓朗という男は、おもしろくていいやつなのだが、ちょっとしつこいところがある。ただ、ミュージシャンだからなのか、どちらかといえば自己顕示欲が強いタイプに分類できるため、はぐらかすよりは本人の話題をふってやったほうが、ごまかしやすいところがあった。
「うん? ……ああ、いちおう、二曲を演奏する予定だな。どっちもオリジナルで、作詞はおれが担当するんだ」
思ったとおり、黒田は話に乗ってきた。
昨年から、黒田とはずっとおなじクラスだった。仲間と音楽をやっているということも、当時からよく聞かされていたことだ。
ちなみに、こいつには、お下がりのギターを三千円でゆずってもらったこともある。もっとも、僕には向いていなかったようで、Fコードすら満足に押さえられないうちに飽きてしまったが。
なお、さきほど出てきた笹川さんというのは、昨年のクラスメイトのひとりである。彼女本人とは、僕はほとんど接点がないのだが、黒田のバンドのメンバーであるらしく、そちら方面でときどき話題に出ることがあった。
「……だからさ、歌詞ってのは『てにをは』を間違えただけでえらいことになんのよ、これが」
恒例の、黒田の独演会がはじまったようである。
「あなたの肩で掌の熱が溶けていく、みたいなせつない感じの歌詞をだよ。あなたの肩『が』掌の熱『で』溶けていく、とか歌い間違えてみ。もうね、どんだけ熱い手なんだよそりゃ、世紀末の暗殺拳法かよってな話になるわけですよ」
こんなおバカなネタを、単発ならまだしも、さながらマシンガンを乱射するがごとくに言いまくるのである。また、身振り手振りをまじえて、軽音部の活動模様について、面白おかしく語ったりもするのだ。
演奏を聞いたことはないが、とりあえず、こいつはバンドよりお笑いをやったほうがいい気がする。食べ物を噴かないように手で押さえながら、僕はそんなことを考えていた。
さて、こころがもどってきたのは、昼休みがおわる寸前、そろそろつぎの授業の準備にかかろうかと、僕が席についた直後のことである。
「ごめんね、こーへいしゃん、ごめんねっ。お弁当おとしちゃって」
開口一番に謝罪されてしまい、僕は面食らってしまった。はて、なぜ弁当のことがわかったのだろう? そう思いかけ、ふと気づいた。
弁当箱は、ふたつともおなじ鞄にはいっていたのである。僕のぶんがぐちゃぐちゃになっていたら、こころのだって似たような感じになるに決まっているではないか。
「気にしなくてもいいよ。たしかに中身は混ざっちゃってたけど、味はいつもどおりだったし」
「で、でも」
つとめて、僕は穏やかな口調でしゃべることにした。それから、笑顔を意識しつつ、弁当箱をこころにかえした。
そもそも、弁当を作ってもらえるだけでも嬉しいのである。こんなことで、こころに余計な負担をかけたくはなかった。
「ほんとうに、気にしなくていいからね。それより、いままでずっと彼女たちといっしょだったの?」
ちらりと、委員長の机のほうをうかがってみた。
すでに、自分の席にもどったのか、幸の姿はない。委員長は、顔だけをこちらにむけて、僕たちを眺めているようだった。どこか、浮かない表情にも見える。
「どんな話をしたの?」
「あの、その」
こころが口ごもった。ははあ、なるほど。すぐに、僕はぴんときた。
おそらく、けさ、登校の途中でみんなに相談したことを、幸がさっそく委員長に伝えたのだ。それで、今日の昼休みのうちに、三人で話しあうという流れにでもなったのだろう。
「まあ、いいか。ほら、予鈴が鳴っちゃうよ。またあとでね」
「あう……。はいです」
立ち去るこころの背中を見ながら、僕は一瞬、夜に電話するときにでも、もっとくわしく聞きなおしてみたいという誘惑にかられかけた。しかし、結局それはしないことに決めた。
こういうことは、あまり詮索しないほうがいい。必要なら、だれかから教えてもらえるときが来るはずである。幸か委員長、あるいはこころ本人かもしれないが、相手から言ってくるのを待つべきだろうと思った。