表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冥王星の少女 -the phantom girl of absolute zero-  作者: 草原猫
第七章 運命の赤い糸
120/210

第百十五話 九月四日(火)早朝 3

 校門につくと、こころが、手さげの通学鞄を胸のあたりでかかえるようにして、たたずんでいた。どことなく、ぼんやりとしているような感じである。

「やあ、おはよう、こころ」

 とりあえず、声をかけてみることにした。

「え? ……あ、おはよう、こーへいしゃん」

 なにか考えごとでもしていたのだろうか。彼女はふいをつかれて驚いたというように、あわてた様子だった。

 ふうむと、僕は思った。

 こころは、まぶたがすこし腫れぼったくなっているようだ。瞳もうるんでいて、ほとんど涙目である。もしかしたら、彼女は昨夜、よく眠れていなかったのかもしれない。

 じつは、あのあと、寝る直前に電話をしたのである。そして、こころはそのときにも謝罪の言葉を口にしてきたのだ。

 彼女は、ひどく落ちこんだ声をしていて、いまにも泣き出しそうだった。あまりの悲痛さに、僕も貰い泣きしそうになり、電話口で『こんなことでこころを嫌いになったりしないから。絶対に、ほんとうだから』と必死に繰りかえしてしまったほどなのだ。

 あんなふうに、自分を責めていたら、眠れなくもなるだろう。さぞ苦しかったのだろうな。ああ、かわいそうなこころ。これから、どう慰めてあげようか。

 僕は慈しみの気持ちをこめて、最愛の恋人の顔をよく見つめなおしてみた。

 ……あれ?

 なにか、違和感をおぼえた。

「堤さん、おはよう」

「おはようございます、こころさん」

 みんなが、こころに挨拶をしている。それにたいし、彼女も笑顔で返事をしている。なにもなければ、ごくありふれた朝の風景のはずなのだが……。

「どうしたん、ココ? なんか、すごく楽しそうだけど」

 怪訝そうに、幸が眉をひそめた。しかし、こころはただ白い歯をみせただけだった。

 そう、つまり違和感とは、笑顔なのである。いつもどおり、否、むしろいつにもまして、緊張感のないとろけそうな表情なのだ。なんの屈託も感じられず、しあわせそのものというふうにすら見える。

 はて、これはどうしたのだろう? 一晩たって、気持ちが落ちついたとでもいうのか? しかし、昨日、あんなに取り乱して、しかも辛そうにしていたのに?

 疑問は消えないものの、この場で問いただすわけにもいかない。ひとまず、僕はこころとならんで歩くことにした。

 ところが、またしてもおかしなことになってきた。

「おーい? 早くしないと、置いてくぞぉ?」

 幸が、振りかえって声をかけてきた。

 歩くのが、遅いのである。こころの歩調にあわせていたら、あっというまにみんなと五メートルばかりも離されてしまったのだ。そして、その原因になるのかよくわからないが、彼女はさきほどから、やけに熱っぽい眼差しを、こちらに向けてきていた。

 頬など、薔薇色に上気しており、なんというか、恋する乙女の顔といった感じで、僕はつい照れてしまった。

「えっと……。ほ、ほら、こころ。みんな行っちゃうから、急ごう」

 いつまでも遅れているわけにもいかないので、手を引っぱってみることにした。

 すると、なぜか指がからまってきた。おやと思う暇もなく『恋人同士がする手の繋ぎかた』が完成してしまった。ふたりきりのときならともかく、みんなが見ている目のまえであるのにもかかわらずだ。

「あの、こころ?」

「えへへ……」

 あいかわらず、ふにゃふにゃとした締まらない表情である。

 はっと気づいて、目を校舎のほうにむけると、幸と徹子ちゃんがなにごとか、ひそひそと話しあっているのが見えた。ちいさく『ずいぶんと話が』『しょせんは痴話喧嘩』などという声が聞こえてくる。ひとりゴーだけが、わけがわからないといった様子で首をかしげていた。

「おほん。……あー、アタシたち、さきに行くから」

「ですね。おふたりは、あとから来てください、ごゆっくり。……タケくん、行きましょ」

 徹子ちゃんが、兄の腕を引き寄せるようにしてうながすと、ゴーも『あ? ああ』などと言いながら歩きはじめた。

 みんながさっさと行ってしまうのを、僕とこころは立ち止まって、ただぼんやりと見送っていた。

 そうして、全員が校舎にはいったあたりで、どさりという物音がした。

 ごく近い位置である。そんなに重くない物体が、地面に落ちた音といった感じだろうか。

 なかば、無意識のうちに音の正体を確認しようとして、僕は顔を音源の方向――こころがいるあたり――にむけた。その瞬間だった。

「な……えっ、こ、こころっ?」

 いきなり、こころが僕に抱きついてきた。

 それは、どちらかといえば、飛びついてくるという感じの抱きつきかただった。とっさに、僕はこころの背中に腕をまわして受けとめると、あたりの様子をうかがった。

 今日は文化祭準備期間ということで、そこらには早出をしている学生もいるはずだが、いまのところはだれもいなさそう……なのか? いや、やっぱりいる。中等部とおぼしき女子がひとり、ちょうど校門からなかにはいってきた。僕と目があうと、彼女はうつむいて、足早によこを通り抜けていった。

 じわりと、包みこまれるような甘い匂いを感じる。

 夏用の薄い制服と、おなじくワンピースの布を通り抜けて、体の熱とやわらかさが伝わってきている。こころは、かなり力いっぱい僕に抱きついてきているようだ。

「こんな……場所で、どうしたの? こころ」

 聞いてもなにも答えず、かわりに、こころはよく懐いた子猫のように、うれしそうに僕の首から肩のあたりに頬ずりをしてきた。

 正式に交際をはじめてから、まだ三週間ほどしかたっていない。もっとも、ほんのそれだけの期間であっても、抱きしめたり、ついでに頭をなでたりする機会は、そんなにすくなくはなかった。そうされるのが、こころは嬉しいらしく、とくにふたりきりのときなどは、おねだりされたりされることもあったからだ。

 ただし、それはあくまでもデート中の話であり、これまで学校でそのようなことをしたことはない。いつにない彼女の様子に、僕はどぎまぎしてしまった。

 耳もとで、こころの生暖かい息遣いを感じる。背が高くて、抱きごたえのある体。いかにも女らしいその感触に、僕はたまらない気持ちになった。

 もっと、こころに触っていたい。ずっとこうして抱きしめていたい。ともすれば、そんな衝動に突き動かされそうになる。

 待て。とにかく、落ちつけ。僕は自分に言いきかせた。そうして、呼吸をととのえて思案をめぐらした。

 さきほどから感じていた違和感と、その理由。解消するにはどうすればいいか。

 決心を固めるのに、長い時間は必要なかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ