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冥王星の少女 -the phantom girl of absolute zero-  作者: 草原猫
第七章 運命の赤い糸
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ガールズサイド 錦織徹子

 居間でお茶を飲んでいる。

 お茶請けは、羊羹である。夕食の時間は近かったが、すこし口がさびしかったのだ。お母さんが、商店街の和菓子屋で買ってきたもので、おいしいと評判の品物だった。

 食べ物の好き嫌いはあまりないけど、甘いものにかんしては和菓子がいい。なんとなく、自分に似つかわしい気がするのだ。

 薄く切った羊羹を、口のなかに入れる。舌のうえで溶けて、こくのある甘味がいっぱいに広がっていく。それを、濃いめに淹れた緑茶で流しこむ。

 ほうと、息をついた。気持ちがしっとりと落ちついてくる。こういうのを『なごむ』というのだろうなと、わたしは思った。

 なごみながら、すこし考えごとをしてみた。

 幼なじみの、公平さんについてのことだ。最近、彼女ができたのである。

 兄の親友で、初等部のころから、わたしとも、よくいっしょに遊んでくれていた公平さん。残念ながら、男性的な頼りがいのあるタイプとはいえないけど、まじめで気持ちのやさしいひとだ。それにたいし、相手の堤こころさんという女性を、わたしはあまりよく思っていなかった。

 はじめて、こころさんの姿を見かけたのは、春の始業式のときだった。あのときは、ほんとうに驚いてしまった。学校の式典に、コスプレをしてくるひとがいるなんて、想像したこともなかったのだ。

 わたしが通っている三ノ杜学園においては、数年まえから、制服の着用義務がなくなっている。当時の生徒会が、生徒の自由のために尽力したからだ。しかし、当然ながら、始業式におかしなかっこうをしてくる人間がいるだなんて、想定されていようはずがない。

 あのひとは、なにを考えているのだろうかと思った。自由とわがままを履き違えているのではと、わたしには感じられた。

 もちろん、わたしだって女の子だし、綺麗な服とかは嫌いじゃない。自分でも、休日には着物を着て出歩くし、それでなにかいわれたところで知ったことでもない。だけど、学校にいくときはいつだって制服だ。生徒としてはそれがあたりまえだし、私服を着るにしても、あまり派手なかっこうをしていいとは思えない。

 ましてや、ゴスロリ服だなんて! 呆れるのを通り越して、嫌悪感をおぼえてしまった。

 もっとも、彼女の行動は、どちらかといえば好意的に捉えられている面もあったらしい。すくなくとも、うちのクラスではそうだった。始業式のこころさんに影響されて、通販でゴスロリ服を買ってみたという子が、ふたりもいたのだ。

 美人なら、なにをしてもいいのかな。そんなことを考えないでもなかった。

 こころさんが、兄とおなじクラスになったというのも、気に入らなかった。当時のタケくんが、それまでに比べて、みょうに浮かれた感じだったからだ。もしかしたら、例の美人転校生が原因なのかも。そう思って、休み時間にこっそり様子を見にいったこともある。

 やがて、タケくんがだれかと真剣な交際をはじめている気配が伝わってきて、心配になったりもしたものだった。

 結局、あとで、タケくんが浮かれていた原因は、蛍子さんという彼女ができたからだとわかった。ようするに誤解だったわけだけど、それでもこころさんにたいする印象は、よくないままだった。

 おなじぐらいの時期に、こころさんがタケくんの大声におどろいて、泣き出してしまったという話を聞いたからである。

 正直にいって、かなり不愉快だった。兄は、女の子を脅すような人間じゃない。なのに、かってに怖がって泣き出すだなんて、失礼すぎる。

 いつだったか、公平さんのまわりに、おかしな噂が流れたときもそうだった。原因がこころさんだったと聞いて、口には出さなかったけど、なんでそんな変なひとと友だちを続けているのだろうかとすら思った。まず、わたしは関わりあいになりたくなかったし、できれば、みんなにもつきあって欲しくはなかった。

 しばらくして、公平さんとこころさんの関係がかわったと聞いたのは、夏休みの補習授業期間のことだった。たまたま、マリア先輩とお話をする機会があったのだ。

 マリア先輩は、そのときなぜか、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。そして、こころさんが、公平さんのために、毎日、お弁当を作ってきているという話をしてくれた。

 話の内容そのものより、先輩の表情のほうが印象にのこっていた。

 なにしろ、あの穏やかで優しくて、まさにマリアさまといった風情の先輩が、あんなに渋い顔をしていたのである。ひどく意外で、こころさんには、よほど人間的に問題があるのだろうと思った。それまでの悪印象もあり、ほとんど反射的に、相手が公平さんに、ストーカーのようにつきまとっているのだと、思いこんでしまっていた。

 そのご、公平さん本人の口から、交際するという言葉とともに、そこにいたるまでの顛末も聞かされた。それでも、わたしには納得がいかなかった。

 そもそも、公平さんんは何年もまえから、幸さんのことが好きだったはずなのだ。それなのに、簡単にこころさんに乗りかえただなんて、認められるはずがない。

「あれ?」

 気がつくと、お茶が冷めてしまっていた。

 ひと息でそれを飲みほしたあと、もう一杯と思い、電気ポットの中身の残量を確認した。

 お湯が、なくなっているようだ。そのまま立ちあがると、わたしはポットを片手にお台所にむかった。

 お出汁の匂いがする。お母さんが、夕食の支度をはじめているらしい。

「あら、徹子。どうしたの?」

「これ、足りなくなっちゃったから」

 空になったポットを手渡すと、お母さんはすぐに水を入れてくれた。

「八時からご飯だから、もうちょっとしたらお父さんを呼んできて。あ、お羊羹、あんまりたくさん食べちゃダメよ?」

「はーい」

 タケくんは、お風呂に入っているようだ。お父さんは、いまごろはお店の掃除だろう。

 とりあえず、居間にもどって座布団に腰をおろした。テーブルに頬杖をついて、電気ポットのスイッチをいれた。

 湯沸し中を示す赤ランプを、ぼんやりと眺めてみる。

 なんとなく、おもしろくなかった。

 だって、公平さんは、ずっと幸さんのことが好きだったはずなのだ。こころさんは、わたしたち幼なじみのあいだに入ってきた邪魔者だったはずなのに。

 おとといの土曜日の朝、公平さんといっしょに登校したとき、校門のまえにこころさんが立っていた。

 どうやら、彼氏を待っていたらしい。そのとき、わたしははじめて正式に彼女を紹介してもらった。

 衝撃としか、言いようがなかった。

 ふたりが話している空間、およそ半径二メートルばかりが、異質なものに感じられたのである。あたたかくて、ほかの何者も立ち入ることが許されない聖域。ハープの音色とともに、周囲に花の飾りが発生しそうな雰囲気がただよっているほどだった。

 公平さんは、いたわるような、いつくしむような、なんとも形容しがたい目つきで、彼女を見つめていた。いっぽう、こころさんはといえば、まるで恋人が、いついかなるときでも自分を守ってくれることを確信して、すっかり安心しきっているような、緩みきった笑顔をかえしていた。

 そして『こーへいしゃん』という呼びかたである。舌ったらずとかいうレベルじゃない。あれは完全に幼児語だ。あのときのふたりは、まさにバカップルという言葉の本質を体現していたように思う。

 電気ポットが、わかしモードから保温モードにうつった。わたしは急須の茶葉をとりかえると、そこに沸きたての熱湯をそそいだ。

「……もしかして、うらやましいのかな、わたし」

 しらず、ため息がこぼれていた。

 じつのところ、いまとなっては、こころさんにたいして、とくに悪感情が残っているわけでもなかったりする。

 いったいどんな流れでそうなってしまったのか、当事者でもないわたしにはいまいちわからないが、とにかく、あのふたりは、すでにどこに出しても恥ずかしくない恋人同士になってしまっているのだ。そこになにかいうのは、さすがに野暮というものだろう。

 ただ、ああも臆面もなく互いを見つめることのできるふたりが、その真っ直ぐさが、わたしはうらやましくて、嫉妬をしてしまっているのかもしれなかった。

 できれば、わたしもタケくんと、あんなふうになってみたかった。でも、兄には蛍子さんという真剣につきあっている彼女がいるから、もう無理だ。

 なら、ほかのひととは?

 だれか男の子と、わたしもあんなふうにラブラブな感じになれたりするのかな。

 よくわからない。

 ずっと、タケくんのことばかり見てきたから、ほかのひとを好きになるというのが、よくわからない。

 そろそろ茶葉が開いたようなので、湯のみにお茶をそそぐことにした。そうして、熱いうちに、ゆっくりとそれをすすっていく。

 まあ、いいかと思った。

 むりに、だれかを好きになったりする必要はない。わたしはわたしなりに生きていけばいいのだから。

 いまは、それよりさきに考えなければならないこともある。文化祭だ。

 代理とはいえ、副学級委員になってしまった以上、手を抜くことはできない。さらに、今年は例年にくらべ、準備期間がかなり短いとも聞いている。

 もうひとりの委員、あいつは悪いやつじゃないけど、ナヨナヨしていて全然たよりにならないし、ここはひとつ、わたしがマリア先輩みたいにリーダーシップを発揮して、がんばってみよう。そして、クラスの出し物を成功に導くんだ。

 ひそかに、わたしは気合をいれていた。

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