第百十一話 九月三日(月)黄昏 4
「ひ、ひとりよがり?」
またしても、予想だにしない言葉だった。それも、たんに意外だったのではなく、納得できないという意味でだ。しらず、僕はあすかに詰め寄るようにして聞き返してしまっていた。
「だって、恋人のために悩んでるんだよ? ただのひとりよがりって、そんな」
こちらの勢いにおどろいたのか、あすかは一瞬、おおきく目を見開いた。だが、すぐに『やれやれ』とでも言いたげな様子で肩をすくめた。
「世界にふたりだけしか人間がいないんだったら、それでもいいよ? けどさ、ふつう、悩んでたらまわりのひとが心配するよね。そういうとき、せっかくの好意を無視して黙ってるわけ?」
「いや、好意を無視って」
いくらなんでも、それでは聞こえが悪すぎる。そういおうとしたが、なぜか言葉に詰まってしまった。代わりに、どう言い換えればいいのか、とっさに思いつかなかったのである。
「なんていうか、それだと、ずいぶんと心のせまいお話になっちゃうんじゃないかなあ」
「そ、それは」
反論できなかったことで、僕が怯んだと見てとったのか、あすかはさらに畳み掛けてきた。
「小説の、テーマっていうの? 目的は、ボーイミーツガールなんだから、男の子が女の子と仲よくしあわせになることなんでしょ? だったら、主人公がひとりで悩んだり苦しんだりする必要なんて、どこにもないじゃない」
いって、あすかはぱちりと片目を閉じた。
「むしろ、そういうのはまわりの人間を巻きこんじゃったほうがいいんだよ。いっしょに悩んで、いっしょにしあわせになって、それでみんなに祝福してもらうの。そっちのほうが、絶対ステキなお話になるはずだよ」
さきほどまでとはうって変わり、あすかの声が、すっかりと楽しげなものになっている。それを聞きながら、僕はけさあったことを思い出していた。
会うひとあうひと、みんなが僕の顔色が悪いといって心配してくれた。ゆうべ、こころのことばかり考えて、よく眠れていなかったためだ。
なにしろ、当のこころ本人にまで心配されてしまったほどだったのだから、自分のことながら、相当にひどい状態だったといえる。
そして、さらにいえば昨日、試食会のまえに、幸と話したときもそうだった。
幸は、一目でこちらが悩みを持っていると見抜き、相談しろといってきた。それにたいして、僕はなにも言うことができなかった。
相談するのは、幸にたいする甘えだと、そう思っていたからだ。
もしかして、僕はまちがっていたのだろうか? しらないうちに、ひとりよがりに陥っていたのだろうか?
「だいたいさぁ、心の傷を癒すなんて医者でもむずかしいのに、そこらの男の子ががんばってどうにかなるようなことじゃないんだからさ。『僕の愛の力で彼女を助けるんだ』とか、いくら物語でもウソくさいし、バカバカしいよ」
「愛の力で……」
茶化すような言いかただった。それでも、耳が痛いと思った。
実際、自分が似たようなことを本気で考えていたというのは、否定のできない事実である。しかも、言われてみれば、たしかにそんなのは傲慢な考えかたなのではないかという気もしてくる。
だが、ひとつだけ疑問に思うことがあった。
「あすかは、他人に相談したのがきっかけでいじめられたんだよね? それなのに、そういうふうに思えるの?」
すると、あすかは呆れたというように眉をひそめた。
「そんなの、相談した相手が悪かっただけだよ。保健室の先生にいったら、すぐ助けてくれたもん。アタシ、先生にはすっごい感謝してる。ひとりじゃ、絶対に解決できなかったから」
「なるほどねえ……」
軽く、息をついた。
この子のような経験をして、そのうえで言えることなら、きっとそれは正しいのだろう。なんとなく、そんな気がしてきた。
いままでは、自分がこころの恋人だからという理由で、僕がなんとかしなければならないと決めてかかっていた。だが、これからは、他人にも相談していったほうがいいのかもしれない。
ふむ……。だけど、そうなると、相談相手をだれにするかが重要になってくるわけか。とりあえず、僕はこころのことを話せそうな共通の知りあいを思い浮かべてみた。
まず、幸。それに、委員長。ゴーもだいじょうぶだな。
徹子ちゃんは、どうだろう。年下というところはあるが、好きな相手に告白をしたという点においては、むこうが先輩だ。なにかあったとき、意外と頼りになりそうな気もする。
ほかには、ゴーとのつながりで、蛍子さんがいるな。彼女には、まえにみんなで集まったときにも、恋愛相談を受けてもらったっけ。
おっと、忘れるところだった。立花さんがいるじゃないか。住んでいる場所が離れているので、メールなどでの連絡がおもになるだろうが、こころのことであれば喜んで手助けしてくれるだろう。
あとは、……父さんや母さん、桐子さんとかに助けてもらうのは、さすがに避けたいかなあ。それから、ええと、クラスの友だち、たとえば……。
あれ?
ふいに、あることに気づいて、僕は噴きだしそうになった
なんだ、ちょっと考えただけでも、困ったときに手助けしてくれそうなひとたちが、こんなにいたのか。それなのに『僕が自分が』と思いつめていたなんて、どうやらほんとうにひとりよがりだったみたいだな。
「……ああ、わかった。委員長にそう伝えておくよ。ありがとう、あすか」
「どういたしまして」
にこりと、あすかがほほえんだ。皮肉なものではない。ごく自然な、かわいらしい笑みだった。