第百八話 九月三日(月)黄昏 1
授業がすべておわり、掃除などもすませると、いよいよ本格的に作業の開始である。女子たちはメイド服の型紙づくりをはじめ、男子たちは喫茶店の飾りつけやレイアウトのイメージを煮つめるために、話しあいを繰りかえしている。
また、女子がわで、メイド服だけでなくウェイター用の服も作ろうという流れになったらしく、僕をふくめた何人かの男子は、採寸を受けたりもした。
――と、そんなふうに、ぎりぎりまで話しあいや作業に参加していたわけだが、そろそろ時間がなくなってきたようである。
「ねえ、こころ、悪いんだけどさ。今日は用事があって、さきに帰らないといけないんだ。遅くなるのに送っていけなくて、ごめんね」
「うん、いいよ。だいじょうぶ」
委員長やほかのみんなにも、途中であがらせてもらう旨を伝えると、僕はいそいで荷物をまとめ、学校を飛び出した。
用事があるというのは、ウソではないが、正確でもなかった。やむにやまれぬ家庭の事情ではなく、どちらかといえば私用のたぐいである。今日は月曜日。あすかと会う日なのだ。
なかば走るようにして、いつもの公園についた。夕方とはいえ、まだ充分に明るい時間である。しかし、あたりにひとの気配はなかった。
毎週、月曜のこの時間帯にここに来ているが、すくなくとも、公園のなかに他人がいたことはない。その理由を、深く考えたことはなかったのだが、これは偶然というわけではなさそうだった。
先月、一回だけ、あすかが来れない週があった。お盆期間の八月十三日である。
聞けば、死後の世界にも帰省ラッシュがあるそうで、あすかはこちらに来るための予約がとれなかったらしい。
その当日に、用はなかったが、気まぐれでこの公園に遊びに来てみた。すると、いつもの時間帯だったにもかかわらず、あたりまえのように、何組もの親子連れやらカップルやらがくつろいでいたのである。
ふしぎに思い、僕はつぎの月曜日に、あすかに理由をたずねてみた。
彼女の説明によると、この公園は、僕とあすかが確実に会うために、なにか特殊な結界のようなもの――ホームとかなんとか言っていたっけか――が設定されているとのことで、月曜の所定の時間になると、無関係な人間が寄りつかなくなるのだという。
つまり、公園のなかにいるかぎり、僕たちが話しているところをひとに見られる心配はないということのようだ。もっとも、あすかはここを出て商店街に行きたがることも多く、そういった便利な機能があったとしても、あまり意味はなさそうだった。
そよ風が、流れてきている。
九月のこの時期は、暦のうえでは残暑というはずだが、今年はわりとすずしいほうである。公園を流れるやわらかな風は、汗にぬれた肌に、さわやかな気分をはこんできてくれる。
なんとなく、僕はベンチに腰かけると、そのままぼんやりと物思いにふけることにした。
気候は心地いい。だが、僕の気持ちは、かならずしも晴れやかなものばかりではなかった。
というのも、じつは、こころと交際をはじめたことを、まだあすかに伝えられていないのである。そして、これから彼女にそれを説明するのも、ひどくむずかしいことであるように思えた。
まず、こころに告白した翌週が、例のお盆休みだった。これで、ケチがついてしまったのかもしれない。一週間たち、そのつぎの月曜にあすかと会った際、彼女は開口一番に花火大会でのできごとをたずねてきた。顛末を聞くのを、楽しみにしていたという様子だった。
僕はそのとき、委員長が来なかった旨を正直につげた。そうして、こころとふたりで花火を楽しみ、帰りにはついに告白したことも、伝えるつもりだった。
ところが、あすかは『委員長が来なかった』と聞いた瞬間に、はっきりと表情をこわばらせたのである。そして『だったら、公平もいかなければよかったのに』と、つぶやくようにいったのだ。
いや、そこまでであれば、まだしも予想の範囲内ではあった。だが、あすかはつづけて『だれもいっしょに行かなかったら、かわいそうだって思うかもしれないけど、ああいうのは同情でも関わったらダメなんだよ。勘違いして、つけあがるだけなんだから』と、強い口調で言い放ったのである。
あまりにもあまりな言い草に、二の句がつげなくなった。僕が黙っていると、あすかは強引に話題をかえようとしてきた。それは『転校生の話なんか、絶対にききたくない』という意思表示であるようにも思えた。
さすがに、そのままで済ますことはできなくなった。こちらも、我慢の限界だったのである。恥ずかしながら、つい大声で『いいかげんにしろ』と怒鳴りつけてしまった。相手も言い過ぎたと思ったようで、謝罪と反省の言葉を口にしてきた。結局、二度とそういうことはいわないと約束して、話はそこまでということになった。
以来、僕はあすかにたいして、いちどもこころのことを話題に出せていない。約束はしたが、それでも、またあんなことを言われたらと思うと、気分が滅入ってしまう。
いつまでも、交際のことを秘密にしたままではいけない。それはわかっているのだ。しかし、どうしたらいいのかがまったく考えつかない。
はじめから、あすかが口や態度の悪い子だったら、こんなふうには思わなかっただろう。そもそも、ここまでつきあったりもしていないはずだ。彼女が敵意や憎しみといった負の感情を剥きだしにしてくるのは、ひとり、こころにたいしてだけなのである。
もちろん、他人をああまで憎むからには、なんらかの理由があってしかるべきである。しかし、あすかはこころとの関係はおろか、自分自身のことすら、ろくに話そうとはしない。問い詰めると『決まりごとがあって言えない』の一点張りになってしまうのである。
自然と、視線が足元をむいてしまっていた。考えすぎて、頭が重くなってしまったらしい。しらず、ため息がこぼれる。
とんっ。
ふいに、肩に衝撃を感じた。拳の側面、小指のがわで、軽く叩かれたというような感じである。はじめに右を、つぎに左を。そして、また右、左。
強すぎず、弱すぎない力加減で、左右交互に叩かれつづける。
ちいさな子供が、親の肩をたたくような叩きかただと思った。
「たん、とん、たん、とん、たん、とん、たん」
歌うような声が聞こえてきた。あすかの声だった。
「ほぉら、悩んでないでリラックス、リラックス。……おお、お客さん、凝ってますね~。ウム、手ごたえあり」
いいながら、あすかは叩くのをやめ、こんどは頭の付け根から肩甲骨のあたりまで、指で押したり揉んだりして、マッサージをしはじめた。
なかなかの手並みである。思わず、僕は低いうめき声をもらしてしまった。肩こりの自覚はなかったが、疲れがたまっていたのかもしれない。
「ありがとう、あすか。もういいよ」
「えへへ……。公平、先週はどんな一週間だった? 女の子と仲よくなれた?」
あすかが、となりに腰かけてきた。以前のように、抱きついたりはしてこなかった。
こころという恋人ができてからというもの、たとえ中学生のあすかが相手であっても、女子とベタベタ抱きあいながら話すのは、なにか違うのではないかと思うようになったのである。それで、いちおう男と女なのだからという言いかたで、やんわりと距離をとることを提案してみたのだ。
すこしさびしそうにも見えたが、あすかはすぐに、笑って承諾してくれた。