第十一話 四月九日(月)朝 3
校門のまえでへたばっていても、じゃまなだけである。僕はひとり、校庭のはずれに移動すると、備えつけのベンチに腰をおろすことにした。
園芸部の世話する花壇のわきということで、人気のある場所である。いまはだれもいないが、平日の昼ごろなら、おもに女子が、たまに男女がカップルで、弁当を食べたりする姿を目にすることができる。
ベンチは、背もたれの部分が若干たかくなっており、最上部がうしろに湾曲するデザインになっていた。僕は、肩からうえをそこにのせるようにして、楽な姿勢をとった。全力で走ったため、ひどく疲れていたのである。
もっとも、その疲れが、逆に心地いいとも感じていた。
なにしろ、時間までに、迷子をひとりおくることができたのである。ひと仕事やりとげたといっていい。
ふう、やれやれ。僕は軽く息をついた。
もはや、指一本うごかそうという気にもなれなかった。昨晩、ほとんど寝ていないということもあり、へたをすると、このまま眠りこんでしまいそうだった。
とはいえ、仕事はまだまだのこっている。本部の撤収作業があるし、そのあとには、始業式もひかえているのだ。これから初等部の児童たちをはじめ、学生が続々と登校してくるというのに、こんな場所で居眠りするなどありえない。
よし、そろそろ立ちあがるとするか。――そう思ったのだが、脚には力がはいらなかった。
まだ、入学式ははじまっていないだろうが、新一年生はみんな集合しているはずだ。僕と幸が連れてきた迷子の女の子も、そのなかにいる。
歌ったりおどったり、明るくて楽しい反面、まったく落ちつかない子だった。最後まで、いい子にしていてくれるだろうか。まさか、式のあいだも、幸の帽子をかぶっていたりしていないだろうな。
入学式は、関係者以外立入禁止。ただし、学生ボランティアは特別枠だから、許可をとれば見にいくこともできる。だが、ちょっとそんな気にはなれなかった。
さきほどから、どうも体がとけているようなのだ。僕は液体ゴムになってしまったらしい。ベンチにべったり、へばりついている。
眠い。眠いぞ。あまりにも眠すぎる。
突然、睡魔が僕に戦いを挑んできた。そのまがまがしき存在は、なれなれしくも体にまとわりつき、居眠りがいかにすばらしい体験であるか、耳元で執拗にささやきかけてきた。
しかし、太陽は僕の味方だった。今日は、よく晴れていて明るい。つまり、まぶしい。これならば、少々のことでは意識を手ばなす心配もないというものだ。
ところが、睡魔はいきなり僕の右腕を操って、顔のうえにのせてきた。とたんに、目のあたりが陰になった。まぶしさも弱まり、眠気といういとも蠱惑的な感覚が、脳をおかしはじめた。
卑怯なり、睡魔。なんて狡猾な攻撃をしかけてくるのだ。こんなに悪辣な敵が相手では、負けてしまってもしかたないのかもしれない。
そうだ、だれだってこんな非道なことをされたら、眠たくなるはずさ。もう、すぐにでも意識をうしなってしまうのにちがいあるまい。
それでも、僕はここまでがんばった。だから、すこしぐらい、休んでもかまわないはずだ。眠ってしまってもいいはずだ。
気持ちいいなあ。このまま楽に……。
違う。僕はアホか。なにを考えているのだ。起きろ。こんな腕の影ぐらいで、太陽の光をさえぎれるものか。立ちあがれ。手脚をうごかせ。
ふいに、あたりが薄暗くなった。睡魔め。こんどはなにをするつもりだ。
「なあ、眠いんかぁ?」
おおっ、睡魔がしゃべった。
しかも、やりかたが卑劣だぞ、睡魔。なんで幸そっくりの声をだすのだ。そんなのを聞いてしまったら、安心して眠ってしまいそうになるではないか。
右隣に、睡魔が腰かける気配があった。腕のすきまから、僕はそちらをうかがった。
よく見たら、そこにいたのは睡魔ではなく、妖精だったようだ。ユキウサギの精。
「時間がきたら起こしてやっからさ。ちっとでも寝とき」
「ん……」
日傘。太陽から僕を守るように。
「がんばったから、ご褒美」
やけに近い位置から声が聞こえ、つづいて僕の唇に、なにかやわらかいものが触れてきた。
あれ、これって……ああ、そうか。いままでどおり。するんだったよな。キス。冗談かと思っていたけど。
とぎれがちな思考。脳内の睡魔が、本格的に僕を抱きしめはじめる。
なにか、考えなければならない。そんな気もしたが、僕の意識はそのまま拡散していった。