第九十七話 九月一日(土)早朝 3
「あれ? 公平さん、あのひと、こころさんじゃ?」
「うん? あ、ほんとだ」
校門のまえに、なぜかはよくわからないが、こころがたたずんでいた。見ていると、むこうもこちらの存在に気づいたようだ。ふにゃりと緊張感のない笑みをうかべ、小走りで僕のそばまで寄ってきた。
「こーへいしゃん、おはよ」
「やあ、おはよう。どうしたの? まだ早い時間だけど」
彼女がすんでいるマンションは、学校からすこしはなれた位置にある。僕の家とも方向がちがい、帰りならともかく、毎日の登校をともにするのは、ちょっと厳しい。そこで、新学期からは、朝は校門のまえで待ちあわせをする約束になっている。
ただし、こと今日にかんしては、僕が早出になることが事前にわかっていたため、待っていなくてもいいと言っておいたはずなのだが……。
「なにか手伝えたらと思って、きちゃった。……えっと?」
僕の背後のあたりに目をむけ、こころがふしぎそうに小首をかしげた。振り返ってそちらを確認すると、完全に固まっている徹子ちゃんの姿があった。小声で『こ、こーへい、しゃん?』などと呟いているのが聞こえる。
「ああ、この子はほら、ゴーの妹だよ。……徹子ちゃん、彼女が僕の恋人」
恋人という言葉をつかっての紹介に、こころが照れたような笑みをうかべた。
じつのところ、交際相手をさすのに『彼女』という言葉をつかうのが、僕はあまり好きではなかったりする。だってあれは、ただの三人称代名詞ではないか。
たがいに恋い慕いあう相手のことをいうのなら、もっとはっきりと意思と志向性の感じられる『恋人』をつかうのが正しいはずだ。
そういう自分なりの、ある種どうでもいいレベルのこだわりではあったが、こころは恋人と紹介されるのを気にいってくれているらしかった。
「あの、こーへいしゃんの恋人のこころです。はじめまして、ですよね?」
「こ、これはどうも。錦織徹子と申します。えっと、春の始業式のときに、お姿を拝見いたしまして」
ぺこぺこと、なんども頭をさげるようにして、徹子ちゃんが挨拶をはじめた。どうも、様子がおかしい気がした。どこか、テンパっているような感じがある。
さきほどまで、ずっとこころの話をしていたところに、いきなり本人があらわれたので、驚いてしまったのかもしれない。噂をすれば影がさすというやつだ。
ともあれ、ひとしきり紹介兼挨拶をすませたあと、僕とこころはならんで校門をくぐった。ところが、徹子ちゃんはなぜかその場から動かなかった。ぼんやりとした様子で、こちらをうかがっているだけである。
「徹子ちゃん?」
不審に思って呼びかけると、徹子ちゃんははっとしたような表情をうかべ、急ぎ足であとについてきた。
しかし、玄関までわずかな距離だったにもかかわらず、彼女はずっと二歩ほどうしろを歩き、僕たちの隣に並ぼうとはしなかった。