リーダーは間違えない
「アルバさん、救難石を使いましょう!」
転移トラップを踏み、少し開けた空間に飛ばされた。
この空間から一本の通路だけが確認でき、ダンジョンから出るにはその通路を通らなければいけないことは明白だった。
しかし、見慣れない空間での無暗な移動は簡単に命を奪いに来る。
Eランクにあがりたての、シパですら知っている冒険者の基本だ。
「バカを言うな」
『黒猫の跳躍』のリーダー、アルバは即座に言いきった。
「中級ダンジョンで救難石なんか使ったら大赤字だ。Bランクパーティーがそんな真似をしたら、いい笑いものになる」
救難石は、本来なら上級で使うものだ。
中級で使うのは、調子に乗った新人だけ。
少なくとも、アルバはそう思っていた。
「シパ。俺たちはBランクパーティーだ。お前の姉さんが勉強させてやってくれと願いに来たから、連れてきている。判断は俺に任せろ。お前は、言われた通り動けばいい」
中級ダンジョンに潜り慣れていないシパを連れてくるのは嫌だったが、こいつの姉には恩があるため蔑ろにもできなかった。
それなのに、転移トラップなんて踏みやがって。
調子に乗った新人の尻拭いを、俺がしなければならない。そう思うこと自体が、腹立たしく、恩義で断れなかった自分を悔いた。
だが、幸いなことに、ここは中級ダンジョンだ。
幾度となく踏破し生還している。
救難石を使って救出を待たなくても、アルバは帰還できると信じて疑わなかった。
「アルバ、どうする」
盾役のチットがアルバに声をかけた。
「救難石は使わない。全員の装備品を確認後進むぞ」
誰も反論しなかった。
装備の確認に移る音だけが、静かに響く。
「……気にしなくていいッスよ」
シパの隣で、弓役のフウが小さく言った。
「リーダーは、決めたら曲げないッスから」
「余計なおしゃべりはやめろ。行くぞ」
アルバは通路に視線を向けた。
「ほら。行くッスよ。シパ君」
「……はい」
『黒猫の跳躍』は、未踏の通路へと足を延ばした。
「ディル、通路の様子はどうだ。異変があったらすぐに知らせろ」
「はいよ」
斥候役のディルは気配感知や罠感知のスペシャリストだ。
ディルがいたから、今まで大きな怪我やリスクを負わずにパーティーとして冒険が出来てきていた。
通路は、思っていたよりも長かった。
足音が石壁に反響し、次第にその間隔が詰まっていく。
誰も喋らなくなった。
しばらく進んだ先で、通路は唐突に途切れた。
視界が開け、天井の高い空間が姿を現す。
「……広いな」
誰かが呟いた。
声は、やけに遠くまで響いた。
アルバは一歩踏み出し、空間全体を見渡す。
柱も遮蔽物もない、円形に近い部屋。
床には、ところどころに古い傷跡が残っている。
「ボスエリアだな」
前に出ていたディルが警戒するように言った。
断定ではない。
だが、経験からくる感覚だった。
部屋の奥。
壁際に、淡く光を反射する文様が刻まれている。
「……ボスエリア特有の帰還用魔法陣ッスね」
起動しているかどうかも、距離があって判断できない。
だが、それが“出口”である可能性は、誰の目にも明らかだった。
「魔力補充が出来れば、あそこから帰れるってことか」
チットが、確認するように言った。
視線は、魔法陣ではなくアルバに向けられている。
アルバは答えなかった。
代わりに、腰のポーチに手をやる。
革越しに、硬い感触が伝わってきた。
救難石だ。
転移トラップを踏んだ先に、ボスエリアがあったという話は聞いたことがなかった。
一瞬だけ、指先に力が入る。
「アルバさん!やっぱり救難石を使いましょうよ!」
シパが不安に溢れた声で、アルバに懇願した。
「うるさい。少し落ち着いて話せ」
ここは中級ダンジョンだ。
帰還用の魔法陣がある。
もしボスを討伐出来なくても魔力さえ補充すれば使える。
装備も整っている。
救難石を使っても、ギルドからの救助がくるのかも怪しい。転移した場所からここまで一本道だった。
要するにここは、転移の罠を踏まないと来られない場所のはずだ。
――問題ない。
アルバはポーチから手を離し、顔を上げた。
「行ける」
「……そんな」
シパ以外のパーティーメンバーは誰も反論しなかった。
「陣形を組め。チット、前だ。ディルは警戒を切らすな。フウは後ろから、いつでも弓を撃てるようにしておけ。シパは魔法で援護」
命令が飛ぶと、身体が勝手に動き出す。
それが、いつもの『黒猫の跳躍』だった。
アルバは、鞘から剣を抜き先頭に立つ。
視線の先、部屋の中央に、ゆっくりと影が動いた。
――来る。
そう思った瞬間、空気が、重く沈んだ。
影は、ゆっくりと姿を現した。
湿った肉の塊が、床を這うように前へ出る。
丸く膨れた胴体。
大きく避けた口の奥でうごめく巨大な舌。
その姿は大蝦蟇だった。
そして頭部から生える、四本の角。
「……四本角。……危種だ」
ディルの声が、わずかに震えた。
それ以上は何も言わない。
四本。
魔力を溜め込む器官が、四つ。
中級ダンジョンで出る可能性は、限りなく低い。上級ダンジョンのボスエリア相当。
1パーティーでの討伐は、まず不可能だ。
「チット、引きつけろ!討伐は不可能と判断!魔法陣に魔力を補充後帰還!」
アルバの声が、部屋に響いた。
「了解!」
チットは即座に前へ出る。
盾を構え。
「《咆哮》」
盾専用の挑発スキルを発動させた。
大蝦蟇の注意が、そちらに向く。
重い衝撃音。
成人男性より太い舌が伸び、チットの盾がかろうじて受け止めていた音だった。
「フウ、牽制!ディル、大蝦蟇を注視!シパ、陣に魔力を!」
命令は、途切れなかった。
頭は冷えている。
判断は、まだできている。
部屋の奥。
帰還用の魔法陣が、かすかに光を失っている。
「間に合え……!」
シパが陣に駆け寄り、震える手で魔力を流し込む。
光が、少しずつ戻っていく。
「チット、正面維持!フウ、右から抑えろ!」
アルバは声を飛ばしながら、踏み込む。
剣が閃き、大蝦蟇の側面を裂いた。
手応えはある。
浅いが、確実だ。
しかし、魔法陣に魔力が溜まるまでの時間稼ぎにはなるだろう。
「ベロの攻撃が来るよ!」
攻撃のパターンを見切れるようになったディルからの指示も飛んでいた。
チットは前に立ち続けていた。
何度も。
何度も。
盾が軋む。
足が沈む。
「シパ!早くしろ!チットの盾がもたない!」
アルバは叫んだ。
魔法陣が、強く輝く。
「魔法陣起動しました!」
転移が可能だ。
「撤退だ!全員、魔法陣に!」
パーティーと大蝦蟇の間に、チットを置く形で転移陣へと移動していく。
チット以外のメンバーが魔法陣に辿り着き、チットも魔法陣へと走り抜けようとした瞬間だった。
大蝦蟇の口が開き湿った音とともに、舌が伸びる。
チットが、こちらへ走り出す。
あと数歩。
あと――。
べちゃっ、と。
嫌な音がした。
舌がチットの胸を貫いていた。
勢いのまま、身体が宙に浮く。
目が合った。
驚きでも、恐怖でもない。
ただ、間に合わなかった、という顔だった。
「……っ!」
誰かが叫んだ。
だが、音はもう遠い。
魔法陣の光が、視界を覆う。
アルバは、最後までチットを見ていた。
――判断は、間違っていない。
そう思ったまま、視界が、白に塗り潰された。
次に視界に入ったのは、見慣れた石畳と、ギルド併設の転移室の天井だった。
誰も声を上げなかった。
アルバは立ち上がり、無意識に人数を数えた。
一人、いない。
――チット。
胸の奥が、わずかに重くなる。
だが、それ以上でも、それ以下でもなかった。
「……」
誰も最初の言葉を発しない。
フウは弓を抱えたまま視線を落とし、ディルは壁にもたれて天井を見ていた。
シパだけが、アルバを見ていた。
「……アルバさん」
震えてはいない。
泣いてもいない。
「救難石を使っていれば……」
その言葉に、アルバは顔を向けた。
「誰も、死ななかったかもしれませんよね」
一瞬、空気が張りつめる。
アルバはすぐに答えなかった。
代わりに、頭の中で事実を整理する。
転移先は特殊だった。
救援が来たかは分からない。
危種の出現は想定外。
ダンジョンは常に死と隣り合わせ。
「……可能性の話だ」
アルバは、淡々と言った。
「結果論で責めるのは簡単だ。だが、あの場で最善を尽くした判断だった」
「でも――」
「討伐は不可能だった。救難が来れた保証はない。チットが前に立たなければ、全滅していた可能性もある」
言葉は整っていた。
論理も破綻していない。
シパは唇を噛みしめた。
「……チットさんは、そういう役だから死んでいいってことですか」
アルバは、眉をひそめる。
「そんなことは言っていない」
「でも、そう聞こえます」
その言葉に、アルバは小さく息を吐いた。
「実力不足だった」
静かな声だった。
「役割を全うした。それだけだ」
シパは何も言わなかった。
ただ、ゆっくりと一歩下がった。
その様子を、フウは黙って見ていた。
しばらくして、ぽつりと呟く。
「……分かるッスよ」
誰に向けた言葉かは分からない。
「正しい判断だったのも。助からなかった可能性も」
フウは弓を強く握りしめた。
「でも……冷たいッス」
アルバは、フウを見た。
「死んだのは実力不足だけだ、って」
フウは視線を合わせない。
「それだけで片付けても。……チット先輩は、もう戻ってこないッスよ」
返事はなかった。
ディルが、壁から背を離した。
「……長年の仲だろ」
低い声だった。
「それで、その程度か」
アルバは首を傾げる。
「程度?」
「俺が死んでも、同じことを言うんだろ」
ディルは笑っていなかった。
「俺たちをパーティーを円滑に進めるための駒としか考えていないのか?」
アルバは、少しだけ考えた。
「……冒険者は死と栄光に挟まれている仕事だ」
それが答えだった。
ディルは何も言わなかった。
アルバは剣の柄に手を置いた。
チットと何度も交わした言葉が脳裏をよぎる。
冒険者にとっての最上級ランク。
必ず、2人で辿り着くと。
「……」
喪失感は、確かにあった。
だが、それでも判断が間違っていたとは思わない。
次は、もっと強くなる。
次は、もっと上へ行く。
そうすれば、同じことは起きない。
アルバはそう信じていた。
転移室の扉が開くと、外の空気が一気に流れ込んできた。
石畳を踏む音が、やけに大きく響く。
待機していたギルド職員が、人数を確認してから眉をひそめた。
「……一人、足りませんね」
その一言で、周囲の冒険者たちの視線が集まる。
アルバは足を止めず、職員の前に立った。
「『黒猫の跳躍』、帰還報告だ」
声は落ち着いていた。
職員は頷き、手元の端末に視線を落とす。
「状況を」
「中級ダンジョン第三層で転移トラップを踏んだ。転移先はボスエリア。
危種――四本角の大蝦蟇と遭遇。討伐は断念し、帰還用魔法陣を起動」
簡潔だった。
事実だけを並べていく。
職員の手が、わずかに止まる。
「……損耗は?」
一瞬の沈黙。
アルバは視線を逸らさずに答えた。
「盾役のチットが、帰還直前に死んだ」
周囲の空気が、わずかに揺れた。
ざわめきが起きるより先に、職員が深く息を吐く。
「確認する。死亡は確定か」
「目視で確認した。致命傷だ」
職員は頷き、記録を進める。
そこには同情も、非難もなかった。
「遺体は?」
「回収不可能だった」
「了解した」
淡々としたやり取りだった。
それが、この場所では当たり前だった。
職員は記録を終え、顔を上げる。
「中級ダンジョンでの危種の報告と、転移トラップについては上に回す。遺族への連絡については、こちらで対応する」
「分かった」
アルバは短く答えた。
職員は一礼し、事務的な声で続ける。
「……辛いとは思うが、手続き上、報告書は後ほど提出してもらう」
「すぐに出す」
それ以上の言葉は交わされなかった。
アルバは踵を返す。
背後で、職員が別の冒険者に声をかける音がした。
日常は止まらない。
通路を進む途中、シパの足が止まった。
何かを言いかけて、結局、口を閉じる。
フウは弓を強く抱え、ディルは無言で歩き続けた。
アルバだけが、前を向いていた。
アルバには、誰も見えていなかった。
感想・ご意見などありましたら、とても励みになります。
次の話も、同じ世界観で書いていく予定です。
ありがとうございました。




