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北八尾街道 桑津Ver.?

近くの今林ってところに北八尾街道の道標が残っているらしくて、ひとまずそこをめざした。

奥村橋に出ると、そのまま川沿いを進んでいった(北上)。街中まちなかの川になってしまっているのがもったいないような川だった。これは駒川。南の方ではただの用水路のようになってしまっているけれど、元々はこんな小川だったんだな。

すぐに駒川は今川に合流して、鳴門橋で渡ったのは今川だった。今川はもう少し北上して平野川に合流する。

鳴門橋を渡ると地名は杭全(東住吉区)だった。今は改修されてこの南に残るだけの鳴戸川もかつてはこのあたりで合流してきていたみたいで、鳴門橋はそれに関係しているのかな?

そのまま東に向かっていった。川のいっぱい合流してくる、墓地とかの他はほぼ何もないようなところだったけれど、河川を改修して土地を広くし、そこに施設や工場がいっぱいやってきた、という感じのところだった。環境事業センターなんかの大きな施設があった。

今里筋と交差して、今里筋を百済駅前交差点まで南下して、ここを東へ。ここはかつて北百済村だったところで、そばの貨物線の駅が百済貨物ターミナル駅(百済駅)。

右手に百済貨物ターミナル駅に続くと思われるきれいな建物。すぐ道が2つに分かれて左手へ進み、すぐ右折。この道を行くとどうやら今林の古い一帯で、そこに北八尾街道の道標があるみたい。

右手に日本通運を見ながら東に向かっていった。工場地帯を抜けると、古い集落だった。

細い細い路地がいりくんでいて、そこに大きな旧家なんかが並んでいた。面白いところでうろうろ歩いた。まるで迷路だったけれど、今林会館があって、その北側に今林地蔵や北八尾街道の道標もあった。

会館などに地蔵や道標が集められることも多いけれど、ここは古そうな道で、ここが北八尾街道で合っているのじゃないかな、という気がしたけれどどうなんだろう。道はすぐに途切れてしまった。ここを東に行くと衣摺とか金岡公園とかのあたり。

暑い日で、既に疲れてきていた。10月だというのに夏日で、その日もおかあさんと1リットルの水を空にした。

休憩すべく南の今林公園へ。芝生の素敵な小さめの公園で、しばしベンチで休憩。

横は今林霊園だった。このあたりは平野の馬場町だったあたりと説明されていた。今はこの南が平野区平野馬場。

公園の横(東側)を平野川が流れていて、咲花橋を渡ると再び生野区だった。じぐざぐ歩いて巽南小学校の南の道で東を目指した。平野区の「加美○○」地区、生野区の「巽○」地区は河内国渋川郡だったところらしい。

ちょっと風情のある平野川分水路を馬場先橋で渡ると、前方に山が見えてきた。

巽南5丁目西交差点で渡ったのは内環。巽神社の秋祭り中止のお知らせが貼られていた。巽神社はこの北500mくらいのところ。

交通量の多い、けれど歩道の狭い道で、一本北側を歩いたりしつつ東へ。道はまっすぐで、前方の山がよく見えた。町工場がいっぱいで、そこに住宅やパチンコ屋なんかもある。

ごおおごおおと工場からの音と、虫の音が一緒にきこえてくる世界だった。

ベンツの部品が箱積みされた工場があって、加美長末橋で水路(加美巽川)を渡った。

コーナンの前の加美長沢西公園で再び休憩。

道の続きを行くと衣摺加美北駅(JRおおさか東線)。突然ここだけが近代的できれいな建物だった。2018年に新設された駅なのだって。このあたりで東大阪市に入ったみたい。

長瀬中学校があり、そこに説明があった。このあたりは古代条里制がしかれていて、今も町が碁盤の目状になっているのはその名残である、みたいな。

確かに碁盤の目状だった。それは巽あたりからずっとそうで、もしかしたら全部が古代の条里制の名残?と思ったら、ぞっとした。知らない間に古代の条里制に沿って歩いていたってこと?

もしかしたら前に歩いた小路もそうなのかな?

古代人に操られたみたいな気分だった。


田畑もちらほら残っていて、すごく大きなヘチマなんかを見た。

しかし・・・馬にそばにいて欲しい。暑い中てくてく歩き続けるのは辛くて、古代の豪族だって同じだっただろうな、と思った。それが当たり前だった時代はまだいい。けれど馬ってものを知ってしまったら、少々の代償を払ってでも手に入れたかったろうなあ。

それから、あからさまに「条里制の名残」が終わった。川が流れていたとかかな?

道なりに東に進むと衣摺温泉なんかがあって173号大阪八尾線と交差。

173号線を渡って、更に東へ。ゆるい上りで、旧家なんかも見えた。雰囲気もこれまでとは違ってしっとりしてきた感じがあったのだけれど、茶髪の若い女の人が「お前、〇〇やんけ!」としゃべっていた。

旧道(北八尾街道)と交差して、ここから東にはあからさまな上り坂になっていた。長瀬川の堤だったのかな。踏切の音が聞こえて、弥刀駅(近鉄大阪線)が近いようだった。

弥刀みとは水戸のことで、港だったことに由来するんだとか。

ここからは北八尾街道を南東へ。北八尾街道(桑津Ver.)はもう少し南寄りに進む道だったかもしれない。

北八尾街道を行くと173号線に合流。前回は途中で173号線を外れ、久宝寺寺内町を通って南下して行ったので、今回は173号線(北八尾街道)を南下して行くつもりだった。

けれど長瀬川の両岸が遊歩道みたいになっているのに気がついて、思わず長瀬川沿いを南下してしまった。

川沿いの道や、その一本左手の道が面白かった。久宝寺口商店街(近鉄大阪線の久宝寺口駅があったみたい)はほとんどお店は閉まっていたけれど、ほんの少し残ったお店に白バラ牛乳取扱店があったりした。

広めの車道に出て、中環だった。顕証寺交差点と大信寺交差点の中間地点。

長瀬川に本町橋がかかり、「世界かんがい施設遺産」の碑があった。

このまま南下すると、八尾駅(JR大和路線)や渋川神社。

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