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勝間街道

少しずつ、ほんの少しずつだけ涼しくなっていった。

クーラーをつけなくても死にはしないだろうくらいに。長く散歩しても、水分をとっていたら倒れないだろうくらいに。

随分歩いていなかったので、慣らしの意味で久しぶりに勝間こつま街道を歩いてみた。粉浜から玉出(勝間村だった)を通って北上していく道。

前に歩いた時から、けっこう変わっている感じがした。

すっかり市街地化した中を通る街道で、潮路のあたりだけは、少し古さを残していた。路地からなるみたいな区間があって、そのあたりの雰囲気はいい感じ。けれど周辺はもうだいぶ変わっていた。

前に歩いた時、潮路の四辻にあった異彩を放っていた旧家は取り壊されたみたいで、その先のレトロだったソース屋さんは新築に変わっていた。その先も新築の家が目立っていた。

前に歩いた時は、花園町駅近くの敷津松之宮神社の旅所あたりまで歩いてUターン。

今回は木津のあたりまで行くつもりだった。勝間街道は粉浜で紀州街道から分かれ、木津、難波あたりとつながっていたみたい。

勝間街道はJR環状線までは、旧道が残っていて道なりに進むだけだから分かりやすい。けれどJR環状線から先は旧道が残っていないみたい。

とりあえず環状線の高架をくぐり、そのまま進むと大国町南公園。公園を過ぎて小学校の手間で左折。この道で北上してみた。


JRの今宮駅と大国町駅(大阪メトロ)の中間あたりで、雰囲気が独特だった。

車道にはみ出して遊んでいる小学3年くらいの子たちは、車にひかれそうになってゲラゲラ笑っていた。

中華料理屋が多くて、自転車で黒い肌の人がしゃべりながら通り、製靴店などが散見され、もっと北上するとハングル文字の書かれた店なども多くなって「アリランスーパー」なる小売店がある。

国際色豊か。

難波大国郵便局近くで広い道に出ると、ここには信号がないのですぐ東の信号で車道を渡り、そのまま北上した。

左手に玉出スーパー、右手に敷津松之宮。勝間街道の途中に旅所のある神社。

この通りからの参道は封鎖されていて、南に回った。鳥居にも敷津松之宮とあるけれど、摂社の大国主神社の方が名が通っているそうだ。それで地名も大国町。

神社についての説明はなく(見つけられなかっただけかも)、木津勘助像だけに説明が添えられていた。

ここは住吉大社を創建した神功皇后が船で北上している途中、スサノオを祀ったとかいうそうだ。

そして木津(中村)勘助は木津に住んだ土木技術者で、秀吉などに仕え、江戸時代には木津川開削にも尽力した人らしい。前に行った西淀川区では、姫嶋龍神社のあった姫島は、勘助さんが新田開発して勘助島とも呼ばれていたという話があった。

飢饉があって、勘助さんは人々のために私財をなげうったそうだ。けれどそれでも足らず、大阪城に幕府の備蓄米があったので、それを出してくれるよう嘆願。けれど聞き入れられず、蔵破りして島流しになったのだって。島流しの先は大正区の葦島で、20年ほど後に老衰で亡くなった(とされている)。

葦島って今の三軒屋あたり。木津から木津川をはさんですぐ西で、毎日でも舟で通えそうだけど・・・。


道の続きを北上すると、左手に公園が見えていて、行ってみると鴎町かもめまち公園。ここに勘助さんがかけた橋があったと伝わるらしい。

鴎町はこのあたりの旧町名だって。鴎が飛来していたとか?

道を引き返して北上すると、今度は左手に難波八坂神社。

獅子の大きな顔が舞台を覆うようにある有名な神社で、若い子たちが「すご~い」と騒いでいた。わたしも最初はびっくりしたものなあ。

隅には篠山神社が合祀されている。祀られているのは篠山さんという江戸時代の代官。

前にも来たことがあったけれど、いまいち分かっていなかったように思う。

大阪が天下の台所だった江戸時代、天満青物市場が青物の市場を独占していた。そこに行かないと売ってはだめだったんだな。難波村や勝間村なんかの農民にとっては、きついことだった。江戸時代だし、遠い天満までは荷車で野菜を運ぶしかなくて、野菜はいたむし、天満周辺の村々に後れをとるし。

そこで難波村などの農民たちが、もっと近くに市場をひらいてもらえるよう嘆願したのかな。代官の篠山さんはOKし、それでできたのが今の木津市場。

境内には難波ねぎの碑もあった。

畑ばかりで、特産品はネギなどだったという難波は今や畑なんて1つもないだろう大都市で、難波ねぎももうないのかな。

けれど後継の品種がいくつかあって、その1つが九条ねぎなのだって。


もう少し北上すると広い道(大浪通)に行き着いて、通りの向こうには妙なマンションが見えていた。マンションの一階に歌舞伎座的な飾りが施されていた。なんでも1階は超願寺なるお寺(真宗佛光寺派)で、その上は寺の所有するマンションらしかった。

元は木村重成のおじさんが出家して建てた寺だったと伝わるそうだ。寺周りがすごい都心になっちゃって、こういう生き残り方をしているのかな。

木村重成は豊臣秀頼の腹心の部下。イケメンで、若かった。けれど豊臣側がほぼ全滅した戦い(大坂夏の陣)で戦死。妻は妊娠中で、子を産んでから後を追ったそう(二十歳)。

ここを右折するとすぐ元町2丁目交差点で、大阪府立体育館があって、なんば駅。

あとは電車でおうちに帰った。

久しぶりに心地いい疲れだった。

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