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初夏の風が踊る季節。

 朗らかな午後。暖かな陽射しが世界を照らし気持ちの良い風が窓から吹き抜けて私の赤褐色の前髪が少し額から離れる。とても心地が良い。まさに至福の時だ。


 だけど一年中花が咲いては散るこの美しい学舎にふさわしくない声が今まさに目の前から聞こえていた。


 こんな日は早く帰ってゆっくりしたいのに先生の説教が私の帰宅を阻害している。

 今日は本当に何もしていないのだ。神に誓ってもいい。だと言うのにこのいかにも几帳面で頭でっかちな茶色の髪の男は手の教鞭を鳴らしながら追求をやめない。本当に嫌になる。どうしたものかと頭を捻っていると大きな罵声がまたも私の耳を襲う。

「いい加減に白状したらどうなんだ、ララリア!」

「シューベル先生何回も言ってるでしょう私はやっていないって。それと私はララリアとか言う馬鹿そうな名前じゃあないエレノアです」

 ずっと後ろで組んでいた手を前で組み直し私は言い放った。


 もう入学から軽く一ヶ月も経っていると言うのにこの担任ときたらまだ生徒の名前も覚えていないなんて。その記憶力の方が聖堂へ続く通路にイタズラ魔法が仕掛けられていたことよりもよっぽど問題だと思う。

これはため息が出てきても仕方ないでしょ。


「おい、そんな態度をするべき時ではないだろう。お前はことの重大さが全くわかっていないようだな」

「先生私の名前はお前でもないです」

「そんなことはどうだっていいと言っているんだ!エレノア・ベン・リンクス!」

「ああ。やっと私を正しく呼称してくださいましたね」


 そう私はエレノア・クラン・リンクス。

 エレノアは古代ガラン語であたたかな日差しを意味する。まさに今日みたいな天気のこと。

 クランは母さんが付けたかった名前で意味はない。どちらも私には勿体無いくらいな良い名前でしょ?私もそう思ってる。

リンクスは800年前の魔法大戦で大きな戦功を挙げた父方の先達、光の大魔術師ジョシュアが当時の皇帝から閃光を意味するリンクスという称号を与えたことから来ている。


「早く認めた方が楽だぞ」先生が優しく取り繕った声で囁く。

「やってもいないことを認めるなんて私にはとてもできません」私は先生の焦茶の怒気が宿る瞳から目を逸らさず言い切った。


 ただでさえ誤解されやすいと言うのに冤罪まで被ってたまるか。ここまできたら徹底的に戦うしかない、と決意を固めたところで後ろから声が聞こえた。

「シューベル先生!犯人捕まりましたよ!」

 その瞬間私は思わず吹き出してしまいそうになって唇を噛む。だって目の前の男のあんぐりとした顔はなんというかとても滑稽だ。

 そうしている間に声の主はいつのまにか近くにやってきていて後ろから私の肩を優しく抱いていた。


 私は声の主の動きを目で追いながら思う。

 剣を使うにしては綺麗な手をしていてさらさらと肩に流れる金髪は淡く輝いていた。

 この世界の誰もが大好きな光の象徴のような彼はあまりに眩しすぎて目が眩む。


「エレノア」彼が私を心配そうに見下ろして言う。何がそんなに心配なんだろう今の私何かおかしいのかな。そんな顔で私を見ないでほしい。こっちまで不安になる。

 しかもこの人の澄んだ新緑の瞳に見つめられるとあまりに綺麗すぎて自然と後ろめたい気持ちが浮かんでくる。


「エレノア、大丈夫?」紳士然としたその人の問いに呆けながらもなんとか頷き返す。

「うん」

 彼はほっとした様な表情をして、先生に向き直る。彼の仕草全てが様になっていた。

「犯人は今日の3限に実践魔法を受講したばかりの3人組。習いたての魔法を使ってみたかったからだと言っていました」

冷静な口調で彼が言った。

「そうか。罰は与えたか?」

「はいアルタイル女史が相当お怒りでして、すぐに懲罰階へ引き摺っていかれました。1週間の謹慎処分になるそうです」

「アルタイル女史に任せておけば不足はないだろう。ランドールありがとう。助かったよ」

私が呆けている間に二人の話はつらつらと進み、「お前も先輩に感謝しておけよ」なんて先生は満足そうに言って職員棟に戻ろうとしている。

 それにしても一体なんなんだこの教師は誤解が解けたというのに謝罪の一つもないなんて。ちょっと一言言ってやらないと気が済まないと思い口を開いた。そのとき、「シューベル先生はエレノアに何か言うことはないんですか?」と先輩の声が通路に響く。先生の体が少し跳ねる、私も驚いた。まさかこの人がこんな行動に出るとは。

この人が教師に口答えするところなんて初めて見た。


 先生は流石にそこまで言われては仕方がないと思ったのか、ぎこちなく振り返り「すまなかった」とだけ口にして足早に去っていった。

私としては先輩に庇ってもらえただけでもうプラマイゼロどころかプラスである。


「ランドール先輩ありがとうございました。あのままでは私が犯人だと疑われたままだったので本当に助かりました」

 私は先輩の方を向き頭を下げる。

「どういたしまして。それにしてもシューベル先生の対応はとても良いとは言えなかったね。もし何か不満に思うところがあるなら後で私から進言しておこう」先輩は軽やかに笑ってそう言った。本当に感じのいい人だと思う。

「いえそこまでしていただくほどの価値は私にはないですよ。しかも助けてもらったのは私の方ですし。むしろ何かお礼をさせてください」私は顔の前で遠慮の意味を込めながら手を振る。

「エレノア、君はまず価値がないなんて表現を自分に使う事をやめてくれ。それにその他人行儀な呼び方もやめてほしいな」先輩は少し顔を歪めてそう言った。


どうしてこんなこと先輩が言うんだろうか。


「不快にさせてしまってすみません。価値がないは我ながら言い過ぎでしたね。だけどランドール先輩は、先輩なので呼び方は変えられません。ごめんなさい」私は不思議に思いながらも謝罪をした。

「謝らせたいわけではなかったんだ。ただ私はエレノアのことを妹のように思っているから、ランドール先輩なんて呼び方をされて少し寂しいんだ。今度ジグルドの孤塔で会う時はユリウスと呼んでくれ。学園内じゃなければ先輩ではないんだから。それならいいだろう」

 先輩は一瞬よくわからない顔をしたが、すぐになんでもないように笑っている。

 なんだったんだろう。

「はいそれはもちろん。喜んで」不思議に思いながらも本心を返す。先輩には小さな頃から目をかけてもらっていたから、仲良くしたいが…でもこれはおそらく社交辞令だろう。

だって私とあるメリットなんてないから。

でもそんなことを言ってくれるなんて本当にこの人は昔から優しい。


 先輩が去っていって、私はやっと家路に着くことができた。その頃には空も赤らみ、もう一刻もしないうちに夜が来ることを悟る。


 光る転送陣を踏み越えて門の前に立ち深く息を吸って吐くこと数分。

震える指先に魔力を集め門の真ん中あたりにある鷹のオブジェの嘴あたりを触れた。すると幼い頃から慣れ親しんだこの家特有の魔力が私を受け入れ結界内に入ることができる。

そしてやっと私は、緊張がほぐれた。

魔法使いを輩出する家門には必ずと言っていいほど結界がはられている。

その結界は魔力を選ぶのだ。

穢れを嫌い澱みを厭う。

それらは魔法使いの弱点そのものであり、それらに侵されたものは破滅の道を辿るというのは有名な話、常識だから。


食事をとった後、私は自室に戻り机に着いた。

古学の課題があるのだ。学園の教師は課題を出すのも出さないのも一任されていて古学の教師は毎時間ごとに、課題を出す。

彼の出す課題はいつも難解で時間がかかる。

今日はある史料の解読だ。

陽光歴278年出版の賢者タニフの言葉集これの一節を読み解くのが今日の課題だった。

難しい文法も多く、時間がかかったけれどなんとかうまく現代語に訳すことが出来たと思う。


 [ 夢とはただの儚い幻想に過ぎないとされているものの、確かに素晴らしいものではあるらしい。夜の女王は夢を愛したが、禁忌に触れたため拒絶されてしまう。しかしたった一度でも夢という甘露を味わったものは忘れることなど出来はしない。再び手を伸ばしもう二度と掴むことのできない夢という名の劇薬を夜の女王は求め続けている。

我も魔法を使うものである以上、夢に触れることはできないだろう。触れようとも思ってはいけない。我らは所詮夜の女王の力を騙して奪った盗人に過ぎないのだから。]


賢者タニフは神代から現代の狭間のような時を生きた魔法使いだ。ここゼーレの歴史は彼以前以後に分けられるほどに偉大で、実は彼は未だに生きており修行に励んでいるとかいないとかいう噂もある。今から軽く千年は昔の人なのでその噂は眉唾だろうけど、そんな噂が立つほどにゼーレの人々は彼を敬愛していた。


まあ賢者タニフの詳しい概要や今日の課題の答えは明日の1限でスぺルタ教授が解説してくださるだろう。

私はあくびを噛み殺しながら片付けをしてシャワーを浴び、眠る。

夢はやってこなかった。

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