サジタリウス未来商会と「時の断片」
田村修二は駅のホームで立ち尽くしていた。
行き先を示す電光掲示板の文字が鮮やかに点滅しているが、修二の目には何も映っていないかのようだった。
「どうしてこうなっちまったんだ……」
彼は40代前半。
数年前まで順調な人生を送っていたはずだった。
だが、ここ数年、職場での失敗が続き、仕事への自信を失った。家庭でもすれ違いが増え、妻とは離婚を考えるようになっていた。
「もし、もっと早く別の選択をしていれば……」
頭の中でそんな後悔が何度も巡り、今では自分の未来をどう描くべきか分からなくなっていた。
ふと視線を上げると、駅の片隅にある奇妙な店に気づいた。
それは、小さな屋台のような形で、看板にはこう書かれている。
「サジタリウス未来商会」
駅の構内に突然現れたようなその店は異様だったが、修二は吸い寄せられるように歩き出した。
屋台の中には、白髪混じりの髪に長い顎ひげをたくわえた男がいた。
男は修二が近づくと、こちらを見て微笑み、口を開いた。
「お疲れのご様子ですね、田村修二さん」
修二は目を丸くした。
「俺の名前をどうして……」
「ここを訪れるお客様のことは、すべて分かっています。そして、あなたが今抱えている後悔や迷いも」
修二は戸惑いながらも、男――ドクトル・サジタリウスの前に座った。
「未来商会って、何をする店なんだ?」
サジタリウスは懐から小さなガラス製の球を取り出した。
球の中には、淡い光の粒がいくつも浮かんでいた。
「これは『時の断片』です」
「時の断片?」
「ええ。この装置は、あなたが過去に経験した重要な瞬間を切り取り、それを再び体験させてくれます。過去の選択を改めて見直すことで、未来へのヒントを得ることができるかもしれません」
修二は興味を引かれた。
「でも、過去を見直したところで、未来が変わるわけじゃないだろう?」
「確かに、過去を変えることはできません。ただし、過去を振り返ることで、あなた自身がどうあるべきかを考える助けにはなるでしょう」
修二は迷った末に、その球を購入した。
自宅に戻った彼は、早速装置を手にしてスイッチを入れた。
球の中で光が渦巻き始め、やがて映像が浮かび上がった。
それは、修二が若い頃、初めて営業職に就いた日の記憶だった。
上司から厳しい指導を受け、失敗を繰り返しながらも必死に頑張っていた自分が映っている。
その姿を見て、修二はふと胸が熱くなった。
「あの頃の俺は、まだ必死に未来を切り拓こうとしてたんだな……」
別の日、修二は再び球を使ってみた。
映し出されたのは、結婚したばかりの頃の記憶だった。
妻と二人で旅行に行き、未来の計画を楽しげに語り合っている場面が見えた。
「こんな時もあったのか……」
それから修二は、球を使って過去の「断片」を次々と見つめた。
そこには成功した瞬間も、失敗した場面も、喜びや後悔が入り混じった記憶が映し出されていた。
だが、球を使い続けるうちに、修二は奇妙な感覚に襲われ始めた。
どの記憶を見ても、結局はその選択の結果が現在の状況に繋がっているのだと感じたからだ。
「俺がやってきたことは、どれも間違いじゃなかったのかもしれない……」
ある日、修二はふと球を見つめながら、ある疑問を抱いた。
「これからの未来も、いつか『時の断片』に映し出されるとしたら、俺はどうすればいいんだろう?」
再びサジタリウスの屋台を訪れた修二は、問いかけた。
「ドクトル・サジタリウス、この装置のおかげで過去を見直すことができました。でも、未来がどうなるかはやっぱり分からないままです」
サジタリウスは静かに微笑み、答えた。
「未来とは、過去の積み重ねでできています。そして、今という瞬間もまた、未来にとっての過去となるのです」
「つまり、今が大事ってことか?」
「その通りです。あなたがどう行動するかで、未来の『断片』がどう映るかが変わるのです」
その言葉を胸に、修二は「時の断片」を使うのをやめた。
彼は職場で新たな企画に挑戦し、同僚たちと意見を交換するようになった。
家庭では、妻と真剣に向き合い、これからの関係を見直す努力を始めた。
数か月後、修二は同僚にこう語った。
「過去を振り返るのもいいが、大事なのはこれからの断片をどう作るかだよな」
その言葉に、同僚たちは静かに頷いた。
サジタリウスは駅の片隅で新たな客を迎える準備をしながら、どこか満足げに微笑んでいた。
【完】