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2、トワと百日病

 トワと俺は生まれ故郷の村を出て、小さな町にやってきた。


 馬車──といっても農業用の荷車に揺られてここまでやってきた俺たちは、慣れない旅に疲弊して、手近な宿で休むことにした。


「今日はこちらで休みましょう。明日の朝八時に宿屋のロビーに集合です」


 とは、昨晩彼女が言った台詞だ。


「八時十分……」


 来ない。

 故郷を出て丸二日。慣れない旅で疲れているのだろう。


 おおかた、盛大に寝坊をしていると見た。


 できればそのまま寝かしておいてやりたいが、今日はこの町で旅支度をする予定なのだ。


 起こしに行くか、と宿の二階に上がって彼女が泊まる部屋の扉を数回ノックする。が、返事はない。


 何度か呼びかけ、ようやく『うー』と小さなうめき声が聞こえた。


 近づいてくる足音。


 がちゃりと開いた扉の向こうには、眠気まなこを手でこするトワ。

 寝間着のワンピースが肩からずり落ち、白い肩を惜しげもなくさらした幼なじみの姿だった。


「あ……ロウくん? おはよ──」


 閉めたね。


 俺は瞬時にバタンと扉を閉めて、くるりと背を向けた。


 いやいやいや! 待て! なんつー格好してんだよ、こっちがびっくりしたわッ!


 などと心の中でひとしきり叫んでから、俺は呼吸を整えるように息を深く吸う、吐く。


「はぁ……」


 トワは、正直に言えば可愛い。


 淡雪のような白い肌。

 その上を滑る長い金髪。

 ぱっちりとしたヘーゼル色の瞳はいつもまっすぐ俺を見つめてくる。


 その唇は桜色で、『ロウくん』と少々舌足らずな口調で呼んでくるのだ。

 可愛い。

 おまけに服装こそ魔女らしい、ゆったりとした黒いローブを着こんでいるが、その下には、なかなかのものをお持ちだ。


 だからさっき。


 ばっくりと開いた布の隙間から、ちょっと目のやり場に困る二つの丘を見てしまった俺はこうして心臓の早鐘を落ち着かせるべく、頭の中で素数を数えまくった。


「2、3、5、7、11……」


「──どうしたの? ロウくん?」


「ほわぁっ⁉ ……って、あ、着替え終わったのね」


「はい。朝ご飯にしましょう」


「ん。じゃ、行くか」


 嬉々として先を行くトワのうしろを追いかけ、俺は宿を出た。


 すぐに小さな食堂を見つける。


 中に入る。注文してからわずか数分でトーストとサラダが出てきた。


 トワが嬉しそうな顔でトーストを頬張っている。


 頬にイチゴジャムをつけたまま、「おいしいですねー」と言ってきた。


 俺は「そうだな」と返して、トワの顔を布で拭いてやった。


「──で? どこから回るんだ」


 食後のコーヒーを飲みながらトワに尋ねると、彼女は食堂の窓にちらりと目を向けた。


「そうですね。飲み水とパンに干し肉にチーズ……あ、それからジャムも。色んな種類のやつが欲しいです」


「りょーかい。でも、水は荷物になるから却下な。お前、魔法で水、出せるだろ? 飲み水はそれで確保ってことで」


「ええっ! 魔法の水ですか? あまりおいしくないですよ?」


「いいよ、別に。飲めればいいし」


「むー。ロウくんは本当に食への執着心がありませんねぇ」 


「お前がありすぎんの。ほれ、行くぞ」


 朝食代を支払い、食堂を出て、市場へと向かう。

 その途中で女の子がトワにぶつかってきた。


「す、すみませんっ」


 そのまま脇を通りすぎる少女。大通りのここは人も多い。


 見失う前に俺は少女の右腕を掴み、待ったをかけた。


「待て。今あんた、トワの財布擦ったろ」


「ええ⁉ ──あ、ほんとだ。いつの間に……」


 トワがローブをバタバタと叩いて財布の有無を確認している。


「返してもらおうか」


「はい……」


 少女は蒼白顔でうつむきながら財布を差し出した。


「どうする? 衛兵に突き出すか?」


「え、でも、お財布はちゃんと返してもらえましたし。不問じゃダメですか?」


「わかった。じゃあ、それで。──あんたも。悪いことは言わないけど、スリなんて止めることだな」


 俺が腕をほどくと、少女は震えながら小さく頷いた。


(見たところ、トワと同い年くらいか)


 十五、六歳。服装はまぁまぁ小綺麗で、スリを働くほど貧困そうには見えない。

 おおかたスリルを求めた行動か、仲間内での遊びか。


 いずれにせよ俺には関係ないことだ。

 トワがいいと言うなら俺も見逃す。


 わざわざ衛兵に引き渡す時間が無駄だしな、と俺が踵を返すとトワが少女に近づいた。


「もしかして、お金がご入り用でしたか?」


「え……?」


「だって人様のものを盗るなんて、よほどの事情がなにかおありなのでは?」


「えっと……」


 ああ、また始まった。


 少女の手を取り、真摯に少女の瞳を見つめるトワは、控え目に言っても馬鹿だと思う。


 だけど、彼女は超がつくほどお人好しだ。


 人を疑うことも、恨むことも、およそ人が人に対して感じる負の感情というものを持ち合わせていなかった。


 きっとそれは、ある意味どこか欠落しているのだろうと俺は思うが、この際それは置いといて。


 トワが、少女からなにやら『事情』とやらを聞き出したようだ。


「ロウくん、大変です!」


「なにが?」


「この人のお母さんが高熱を出してせってしまわれているそうです。それで高価な薬が必要だからと、私のお財布を狙ってしまったとのことでした」


「ふーん、熱、ね。だったら医者に見せたらどうだ? あんた、別にそこまで金には困ってないだろ?」


 俺が指摘すると、少女は肩をびくりと揺らして小さな声で言った。


「百日病の薬が必要で……それで……」


(百日病……)


 確か、ごくまれにかかる者がいるという、精霊病のひとつだ。


 百日病は火の病。


 最初はただの微熱から、日に日に体温が上昇し、最後は炎を放って命を落とす。


 一説には火の精霊の怒りを買ってしまった者が発症すると聞くが、俺には精霊なんぞ見えないのでわからない。ただ、トワが。


「なるほど。そういうことでしたら、わたしが。永遠の魔女にお任せください」


 と、いう正義心めいた言葉を吐いた彼女に従い、俺は少女の家に向かった。


 *****


 少女の名はエレン。

 母親と二人で暮らす下町娘だ。

 普段はパン屋で働いているそうだが、ここ数日は休んで母親の看病をしているそうだ。


「熱いな……」


 母親の額に触れると、沸かした湯のごとく、ひどく熱かった。

 エレンが言うには今日で九十三日目。

 つまり、あと一週間で母親は死んでしまうらしい。


「なるほど」


 トワが母親の右腕に触れる。

 小さなアザ。

 まるで炎の紋章エンブレムのような、火の形を模した紫色の痣が浮き上がっている。


「精霊様の呪刻ですね。なにか、火の精霊様の機嫌を損ねるようなことを?」


 意識のない母親の代わりにエレンが答えた。


「わかりません……。ですが、母が病にかかった頃に、ちょうど魔動式の石窯オーブンを買って……」


「魔動式の石窯オーブン?」


 俺はエレンの言葉に首を曲げる。


「小型の、移動できる箱のようなもので、最近中央からこの町へ流れてきた魔道具です。とても流行っていて、母も知人から勧められて購入していました」


 エレンが寝室の扉を開けて、隣の部屋を指さすと、確かに妙な魔道具が置いてあった。


 台所の一角に置かれた四角い灰色グレーの箱。

 一般的な木箱よりもふた回りほど小さいそれは、俺もはじめて見た。

 そのまま視線を隣に滑らせ、トワに訊ねる。


「……つまり、どういうとだ?」


「おそらくはですが。精霊様が拗ねたのかと」


「……は?」


 意味が解らず、俺が眉間に皺を寄せると、トワが苦笑した。


「古い道具には、精霊様が宿ることがあるそうです。石窯オーブンに宿る火の精霊様が、新しく購入された魔動オーブンに嫉妬の炎を燃やしたのでしょう」


「ふーん……? ところでそれ、火と炎をかけた?」


「えへへ」


 気恥ずかしそうな顔で、両手の指を合わせるトワ。

 しかし、すぐに表情を切り替え彼女は言った。


「そういうことでしたら、その石窯の前にわたしを」


 エレンに案内され、台所の一角に向かうと、煙突つきの古い石窯オーブンが置いてあった。


 年期の入った窯の入り口は煤汚れていて、隣にある魔導式オーブンに目が行ってしまうのも頷ける。


「こちらは今後、使うご予定は?」


 トワがエレンに尋ねると、エレンは首を横に振る。


「ないと思います。その……、魔動オーブンがとても便利で」


「そうですか。わかりました」


 トワは少し切なげな顔で頷いてから、石窯の戸に右手をかざした。


「精霊様。精霊様。火の守り神よ」 


 ぱあっと、トワの手が光り出す。


「古き者が役目を終えるは自然の摂理。どうか、新しき者を迎え入れることを許してさしあげてください」


 トワの言葉に呼応するように、石窯が光を放ち始めた。


「人の心は移ろいやすく。いつか、そこにあなたが居たことすら忘れてしまうでしょう。だけど大丈夫。人はときおり思い出すから。彼女たちと暮らした日々が、想い出が、消えてしまうことはない。あなたの存在は、ふたりの中で永遠に生き続けます」


 だからどうか、


「この場を離れ、次の役目に。わたしたちをずっとお守りください」


(終わった、か……)


 トワがひと呼吸すると、石窯から光が消えた。

 ふっと、なにかが抜けるような、なにかが去っていくような。

 不思議と、そんな気がした──。


 *****


「ロウくん、ロウくん。アカゴマジャムはどうでしょうか?」


「いや、それうまいの?」


 ペースト状の赤胡麻を瓶に詰めたジャム。


 ジャムと呼んでいいのか、甚だ疑問だが、まあトワが喜んでいるからいいかと、カウンターに持っていく。


「トワニカさん。ロウエンさん。本当にありがとうございました」


 パン屋の店員ことエレンが何度も頭を下げる。


 あれから。

 古い石窯から精霊とやらを解放すると、すぐに母親が目を覚ました。


 あれほどあった高熱は嘘のように下がり、医者に見せれば、完治していると言っていた。しかも。


『なんだか、今までよりも身体の調子がいいわ』


 とは、エレンの母親の談だ。

 トワいわく、去っていった精霊が、去り際に母親へなんらかの加護を与えたのだろうとのことだった。


「いえいえ。お母様が元気になって良かったです」


 トワがふにゃりと笑う。

 そのまま俺を見上げて、聞いてきた。


「ロウくん。ほかに食べたいパンは大丈夫ですか?」


「ああ。これで十分だろ。あんまもらっても食い切れないからな」


 大量のパンの山を見て、俺は頷く。


 本当はエレンとその母親が、治療代を支払うと言ってきたが、当然お人好しのトワは断った。


 だから代わりにエレンの働くパン屋のパンとジャムを好きなだけもらうことにした。


 おかげですべてタダ。

 多少荷物にはなってしまうが、その分の金が浮いた思えばなんてことはない。


 こうして俺たちは、三日ほど町に滞在したあと、次の目的地へ向かって旅立った。

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