王子殿下は、婚約者候補を餌で釣る。
「婚約者は、欄干の向こう側。」
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上記作品を先に読んで頂いた方が楽しめるかもしれません。
人間離れしたような顔立ちだと称されるルーカス=シャルディは王族の中でも特別に美しく整った顔をしていた。
「殿下はとてもお綺麗です」
「お美しいですね」
あまりにもそう言われて続けるので、言われることにはすっかり慣れてしまい、それを褒め言葉だと受け取ることもなくなってしまった。
さらに成長するにつれて、その言葉と共に女性から受けるルーカスを捕らえようとする視線に嫌悪感を抱くようになり、顔を熱心に褒めてくる女性に対していい印象を抱かなくなった。
それからと言うもの、ルーカスが女性と言う存在への興味を持つことはなくなった。
この時までは。
***
シャルディ王国の王宮で久しぶりに大きな夜会が開かれた。
大きな会場内に華やかな衣装に身を包んだ男女が集まり、各々談笑したり、お酒を飲んだりと楽しんでいる様子が伺える。
これもそんな参加者の一部なのだが……。
「それはアルコール度数が高いからやめた方がいい。こっちの方がお勧めだ。甘いのが好きだろう?」
金色の髪に紫色の瞳の男性が、側にいた赤い髪の令嬢にそう言うと、令嬢は取ろうとしていた透明なお酒の入ったグラスを取る手を止めて、教えられた方の赤いグラスを手に取る。軽く口をつけると、その美味しさにパッと笑顔になる。
「美味しい!」
「甘いくて飲みやすいから、飲みすぎないように」
「マリウス様は飲まないの?」
「俺はいい」
「どうして?美味しいのに」
「君の兄上に、ちゃんと屋敷に送り届ける約束をしただろう?」
令嬢は何か思い出したのか微妙そうな顔をして頷いた。
「……兄が本当にすみません。じゃあせめて食べないと!これは?」
そう言って赤髪の令嬢が一口サイズのパイをお皿に取り提案する。
「甘いものはあまり好きじゃないが……」
「これはたぶんミートパイだから、大丈夫だと思う」
「そうか。じゃあ食べさせてくれ」
男性の言葉に令嬢はひどく動揺したように、急に動きが悪くなる。
「な、何を言ってるんですか……⁉︎」
「食べさせてくれないのか?」
「え、だって、別に手も空いてるのに」
「婚約者ならこれぐらい普通だろう?」
「婚約者の普通って何⁉︎」
「特に今日は君の兄上が不在だからな」
そう言うと男性が令嬢の腰を抱き寄せ距離を縮めた。いつもなら下ろされている赤く長い髪が今日は結い上げられており、白い首筋が露わだ。その首筋に手を触れた男性に対して、令嬢が声を上げる。
「マ、マリウス様、近いです」
「近くないと食べれないだろ」
「いや、でも……!食べさせるのも無理なほど近いですが⁉︎」
赤くなる令嬢を尻目に男性の方はひどく楽しそうに令嬢を見つめている。
「……僕は一体何を見せられてるんだ」
本日の主役であるこの国の第一王子、ルーカス=シャルディがそんな二人を見て呆れ顔だ。特に男性側には物申したい気分になる。
王宮の久しぶりの夜会は、第一王子の誕生日を祝すものであった。皆が挨拶に来るというのに、見慣れた二人は飲み物や食事の置かれたテーブルで、仲良く会話をしているばかり。最初に形式的な挨拶に来たぐらいで、全く会話をしにこない友人を見かねてこちらから足を運んでみたらこの始末。
この目の前の二人はつい最近までお互い顔も知らない婚約者だったはずなのに、それがいつのまにか、こんないちゃいちゃを目の前で繰り広げられる仲になっていると言う。
「マリウス、もう少し自重しなよ。ってか、君そんなやつだったか?」
そんなルーカスの声が聞こえたらしく、男性側ーーマリウス=プレザインが振り返り、白々しくかしこまった挨拶をする。
「ルーカス殿下、本日は誠におめでとうございます」
金色の髪に紫色の瞳を持つこの男性は、王家を支える三大家門の一つ、プレザイン公爵家の令息である。同じ学園に通う友人でもあるため、よく知った人物だ。
「もういいよ、聞き飽きた。それより、婚約者が真っ赤になって固まってるけど大丈夫?」
「大丈夫です。いつも通りですから」
「それもどうなんだ」
いつも学園で話す時は気軽に話しているルーカスとマリウスだが、流石に王宮の公式行事ではそう言う話し方はしないつもりなのだろう。
「楽しんでる?ってのは、聞くまでもなさそうだけど、そういえばヤナギはどうしたんだい?」
ヤナギとは必ずルーカスの側にいる監視とも言える存在で、基本的に側を離れることはない。学園内でも側に立っており、こう言う夜会ですら、正装をして壁側に立っていることが多いのだが、今日はどれだけ集中しても姿を見つけられない。
すると急にマリウスが表情を引き締め、声を抑えて話し出した。
「怪しい気配があるそうです」
「……、え?」
「ヤナギに近い体術を持つ相手のようで、気配を追わせてます。おそらく普通の騎士たちでは追えないので」
マリウスの言葉にルーカスは目を見開く。ヤナギの存在が独特のものであることを理解しているルーカスからしてみれば、それがどんなに危険なことかは理解できる。ヤナギは普通ではない。自分の存在感を消してしまえるような人物なのだ。
「夜会なんかしてる場合じゃないじゃないか!」
「そうは言っても、殿下の誕生を祝う会ですよ?しかも、婚約者選びも兼ねていると聞いてます。近隣諸国の令嬢もお呼びしているんでしょう?」
「そうだが、ここにいる全員を危険に晒してるということだろう⁉︎」
「ヤナギが言うには、相手は一人らしいので捕まえさせます」
「……、大丈夫なのか?」
「おそらく」
感情の一切こもらない言い方で言い切ったマリウスに、ルーカスはどう判断していいかわからない。
「陛下には父を通して連絡はしているので、ここで中止するかどうかは父を含めご判断されるでしょう」
「……、そうか」
この友人はただ婚約者といちゃいちゃしていたわけではないらしいことがわかり、ルーカスは一抹の不安を感じながらも、とりあえずこの件については、自分が判断すべきものではないと結論付ける。
「ヤナギには申し訳ないな。王宮の管轄の出来事なのに」
「ヤナギにとってはあくまで父からの命令ですので。殿下はお気になさらず」
マリウスによるとヤナギは彼の側にはいるもののあくまでプレザイン公爵の手足となって動く影らしい。
「それより、いいんですか。こんなところで油を売っていて。ご令嬢方が、ずっとこちらをちらちら見ていますが」
マリウスの言う通り、そこかしこにいる令嬢やその両親と思われる貴族の視線がほとんどルーカスを向いている。
この夜会はルーカスの婚約者探しも兼ねているため当然といえば当然である。皆が寄ってこないのは、ここにいる令息と令嬢が身分が高いため遠慮しているのだ。マリウスも公爵家の令息であり身分が高いのはもちろん、赤髪の令嬢もこの国唯一の公爵令嬢である。
「ノトーナ嬢は、マリウスでよかったの?」
突然ルーカスから声をかけられて、驚いたような顔をしたメメリア=ノトーナ公爵令嬢だったが、赤くなり少し視線を下げた。
「よ、よかったというか、すでに決められた婚約者ですので……」
単純に恥ずかしくて素直に言えないのだろうなと感じとることができたが、横でとてもマリウスが不満そうにしているため、ノトーナ嬢を応援したくなる。と言うか、マリウスに意地悪をしたくなる。
「そうだな。所詮は政略結婚だからな。相手は選べないな。本当なら私とだって釣り合うはずなのに」
「殿下はよりどりみどりなんですから、メメリア以外からさっさと選んできてください」
あっちへ行けと言わんばかりのマリウスの視線に、ルーカスはこれ以上ここにいるとマリウスの機嫌を損ねそうだと感じ退散することにした。
マリウスはこの後もノトーナ令嬢といちゃいちゃするに違いない。と言うか、さっきの令嬢の返事の仕方のせいで、マリウスが令嬢をさらに口説き始めるんじゃないかと言う気がした。
少し二人から離れるとルーカスは、婚約者と楽しそうに話をしているマリウスを見た。
「マリウスにそんな一面が有ったなんてな。なんだか裏切られた気分だ」
これから婚約者アピールをする気満々な令嬢たちの群れの中へ行かなければならない自分と比べて、幸せそうなマリウスを羨ましく感じた。
マリウスは自分と同じタイプだと思っていた。
あまり色恋沙汰には興味もなく、なんなら女性にも対して興味はないのだと思っていた。
ルーカスは生まれてこの方、気になる女性がいたことがない。幼い頃から相手の女の子にすら、「可愛い」「綺麗」「美しい」と言われ、まるで人形か飾り物のような扱いを受けてきた。
そのせいか、自分を求める女性たちのことは自分を隣に飾っておきたいだけの人のようにしか見えず、ときめきや興味を覚えることはなかった。
かと言って、男性にときめくのかと言われるとそんなことはない。マリウスと仲良くなったのも、彼が誰にでもほぼ同じ態度でいることが心地よいからだ。彼は王子としてルーカスを扱ってはいるものの、特別な扱いはしない。他の学生とさほど変わらない。こちらから頼み事をしても、なんなら一回は断ってくる。そういうところが好ましいのだ。
だからと言って、マリウスとそういう関係になりたいかと言われると、それは間違いなく無理だし、お願いされても困る。
今のノトーナ令嬢と仲良くしている様子を見ても、嫉妬心はない。ただ、少し寂しくはある。
「仲間だと思ってたのになぁ」
僕にもあんな風に心から愛しく思うような女性が現れるのだろうか?
そんなことを思いながらも王子としての役割を果たすために、ルーカスは人間離れした顔に笑顔を作り、令嬢たちの群れへと進んだ。
***
「流石に疲れた……」
長い夜会を終えて疲れた体でなんとかルーカスは自室に戻ってきた。
寝室の扉を開けながら、着ていた正装の上着のボタンを外し、脱いだ上着を近くにあった長椅子に放り投げる。
まだ風呂には入れていなかったが、遅くまで令嬢たちやその両親の相手をしていて疲労はピークに達しており、明日でいいかという気分になる。
そのままベッドに倒れ込もうとしたところで、ふとおかしなことに気づく。
自分はここにいるのに、ベッドの上掛けに何故か大きな膨らみがある。それこそまるで人が一人入っていそうなサイズ感だ。
ルーカスは非常に嫌な予感がして立ち止まった。
過去の経験上、この膨らみの中には大抵女性がいる。しかもあられもない姿の女性が。
ましてや今日はたくさんの令嬢を王宮に招いた日でもある。一人ぐらいそんなことをしようなどと思ってしまった令嬢がいてもおかしくはない。
「普通に考えて無理だろ……」
夜這いなんてしようとしたところで、そんなことで気が惹けるはずがない。しかもルーカスなら尚更である。軽蔑こそすれど、惹かれることはない。
ルーカスがこの部屋を出ようとして長椅子に投げた上着を乱暴に掴んだとき、ガタリと椅子が大きな音を立てた。
するとその瞬間、ベッドの上にあった上掛けの塊がとんでもない勢いで飛び跳ねた。と思ったら、次の時にはベッドには膨らみがなくなり、ただベッドには上掛けが落ちているだけだ。
状況が理解できず首を傾げたところで、ヒヤリとしたものを喉元に感じてルーカスは一切の動きを止めた。
呼吸すら止めなければいけない、そんな気になった。
目の前にはいつのまにか黄緑色のドレスを着た小麦色の髪の女性がおり、その女性に大きな針のような細い金属の鋭い棒を喉元に突きつけられていた。そして、さらにその女性の横には小刀を逆手に持ち女性の首元に突きつけるヤナギの姿があった。
どういう状況だ⁉︎
全く理解できずルーカスは頭から混乱した。しかしよく見れば二人はお互いを睨み合っているため、誰もルーカスを見ていない。
二人とも一歩も引かない状況に、命の危機を感じながらもルーカスの方が段々と冷静さを取り戻す。まずはヤナギのことは置いておき、女性の方をできるだけ動かないように気にしながら確認する。
今目の前でルーカスに針のようなものを向ける小麦色の髪に大きな焦茶色の瞳の女性は、ルーカスは今日の夜会の最初の方で挨拶を交わした覚えがあった。
「ヤナギ、殺すな」
「何故ですか」
「一応この女性とは、ダルファリオの貴族として挨拶を交わしている。無闇に殺すのは危険だ」
ダルファリオとはシャルディの南西にある海を渡った国で、近いためそれなりに交流がある。挨拶をした時はクアンターク公爵の令嬢と言う話だったことを記憶している。
互いに牽制しているヤナギと令嬢と一旦距離を取りたくて、ルーカスは二人に提案をした。
「二人とも、離れろ。互いに傷つけないところまで。私にも害がないように」
「ですが」
納得いかなさそうな顔をしているヤナギに、ルーカスは睨みつける。
「今は私の命も危ういのがわからないか?プレザイン公爵の命令は私を危険に晒すことが?」
その言葉にヤナギは言葉をの飲み込んだ。
「いいか、せーので、離れるんだ。令嬢もいいな?」
その言葉に令嬢は無言で頷いた。素直に頷いてくれてよかったと思いながらルーカスは二人の様子を見る。
令嬢はルーカスの命を狙っているというよりは、自分の身を守るためにルーカスを人質に取っているように見える。
そんなことを思いながら、ルーカスが「せーの」と淡々とした口調で言うと、二人は互いに手を伸ばしても届かない距離にパッと離れた。当然ルーカスにも届かない。
そこでようやくルーカスはホッとした。流石に首元に針を突きつけられている状態は生きた心地がしなかった。
「とりあえず、令嬢から話を聞こうか。挨拶したときは、ダルファリオの令嬢と言うことだったがそれは嘘だと言うことか?」
そうルーカスが話しかけるが、令嬢はルーカスの話は聞いておらず、ヤナギから目を離せず警戒したままだ。当然ヤナギも臨戦態勢を解除していない。
「……、ヤナギ、お前がまず武器を下せ。身に付けている武器を外せ」
「だったら、あいつにも言ってください」
ヤナギが顎をしゃくって令嬢を指す。
「……、令嬢も武器を手放せ」
互いに警戒してなかなか手放そうとしない二人に、ルーカスはため息をついた。
「せーので、全部手放すんだぞ」
疲れた声でルーカスが「せーの」というと、ガシャガシャガシャンととんでもない量の武器が落ちる音が両方からして、ルーカスは目を見開いた。
ヤナギもだが、令嬢も沢山の武器をドレスに隠していたらしい。物騒な話だ。と言うかそれでよく王宮に入れたものだ。
「これで話はできるか?」
ルーカスが令嬢に向けて話しかけると、令嬢はこくりと小さく頷いた。
「で、君がダルファリオの貴族令嬢というのは偽りということでよかったか?」
「よくありません!」
よく通る声ではっきりと言う令嬢は、ようやくルーカスの方を見た。
「ダルファリオのクアンターク公爵の娘であることに、嘘偽りはありません」
そう言った彼女の言葉に、ヤナギは眉を顰めた。ルーカスは判断がつかず言葉を続ける。
「クアンターク公爵の令嬢とは思えない身のこなしのようだが……」
「幼い頃に教えてもらったことなので、そんなこと言われても」
不満そうに口を尖らせる令嬢の様子はとても子供っぽくとても先ほどまでルーカスに武器を突きつけていた相手には思えない。
「じゃあ何故会場で気配を消していた」
ヤナギの言葉に、令嬢がカッとして反応する。
「王子殿下の婚約者になんてなりたくないし、令嬢たちと笑いながら相手を陥れること考えて談笑するなんてめんどくさい事したくないから目立たないように気配を消していただけでしょ!それなのに突然物凄い形相であんたが殺す気満々に追いかけてくるから、こっちは身を守るために逃げるしかなかったんでしょ⁉︎」
一気に捲し立てた令嬢の言葉に、ルーカスは眉を寄せて首を傾げる。
「つまり、君は別にシャルディ王宮に忍び込んだ暗殺者とかではなく、ただ本当に夜会に参加してただけだと?」
「そうです!面倒くさいことから逃れるために気配消しただけなのに、まさか同じレベルのやつがいて追いかけられるなんて思わないじゃないですか!」
「普通の令嬢は気配を消せたりしないと思うが」
ルーカスがぼそり呟くと、令嬢はキッとルーカスを睨みつける。
「普通ってなんですか!これでも普通の令嬢のつもりですけど!」
「そうか、それはすまない」
面倒くさくなってルーカスは適当に謝った。とりあえずあまり害はなさそうだと判断する。
「じゃあ、クアンターク嬢。もう一回だけ聞くが、シャルディに害をなそうとしてるわけじゃないんだな?」
「ダルファリオに誓ってそんなことはありません」
右手を上げてあっさりと宣誓する令嬢に、ルーカスは疑う要素が見つけられず、ヤナギを見る。するとヤナギの方が口を開く。
「じゃあ何故この部屋にいた」
それは確かに一理あると思い、ルーカスもヤナギにつられてクアンターク嬢を見る。
「だからあんたがどこまでも追っかけてくるからでしょ⁉︎上に逃げるしかなくてここまできたのも不可抗力だし。最終的に疲れたからちょっと休むついでに、少しでも気配を消すために布団被ったら、布団気持ち良すぎて寝ちゃったんだけど……。殿下のベッドだったんですね、道理で気持ちいいわけだ。えーいいなぁ。シャルディの布団は質が違うなぁ」
ルーカスのベッドの上の上掛けをちらちら見ながら恨めしそうに見ている令嬢のことはさておき、寝てても気配消せるのか?と疑問に思う。ただ、ヤナギが反論しないところを見ると特におかしいことではないようだ。
「で、音がしてハッとして起きたら、また殺気を感じてヤバいと思ったらそこに殿下がいたので、身を守るために盾にさせて頂きました」
「なるほど?」
納得できるような納得できないような。
ルーカスは頭が痛いと思いながら無理やり納得することに決めた。
「じゃあ、とりあえずヤナギは戻れ」
「しかし」
「私が安全だと判断した。公爵にはそう伝えてくれ。夜会を中止しない判断をしたんだ、陛下も事を大きくする気はないのだろう」
納得いかない顔をしていたが、ヤナギは最後には「承知しました」と言い、姿を消した。綺麗に武器類も消えていた。
そして、ルーカスはクアンターク嬢を見た。令嬢は安全であることを伝えるためか、ルーカスの視線を感じると令嬢は両手を上げた。
「特に攻撃するつもりはないのでいいですが、状況的には私と二人きりになるのはあまりに不用心だと思います」
そんな忠告を受けてため息をつく。
「君は安全なんだろ?ならいいじゃないか」
「意外と警戒心が薄いようで驚きました。じゃあ、私も帰っていいですか」
「待て。君には聞きたいことがある」
「ダルファリオについてなら答える気はありません」
「そんなことじゃない」
ルーカスが彼女の発言で極めて聞き逃せなかったことがある。クアンターク令嬢をみて、真剣な顔で問いただす。
「『王子殿下の婚約者になんてなりたくないし』と言うのは、どう言うことだ」
それを聞かれた方の令嬢は、そんなことを聞かれるとも思っていなかったのか不思議そうな表情を返す。
「そのままですけど」
「何故私の婚約者になりたくないんだ?自分で言うのもなんだが、顔も性格も悪くないと思うが?もしかして、ダルファリオではシャルディ王国はあまり魅力的な国ではないのか?」
ルーカスの矢継ぎ早の質問に令嬢はめんどくさそうな顔をする。
「シャルディ自体は魅力的だと思います。ダルファリオよりずっと裕福だし、都会だし。さっきの布団も気持ちよかったし。でも、私、そんなに殿下の顔好みじゃないんですよね」
あっさりとそう言ったクアンターク令嬢に、ルーカスは雷に打たれた気分になった。それこそ衝撃的な言葉だった。顔面が人間離れしていて国宝級とまで言われたことのあるルーカスが「好みじゃない」と一言で片付けられたのだ。
男性から「女々しい」や「男らしくない」など非難めいたことは言われ慣れているが、女性からそんな風に言われることはこれまでなかった。
「それに殿下って顔だけって噂も結構あるし、そんな人の婚約者になったら大変じゃない?」
全く歯に衣着せぬものいいの令嬢に流石のルーカスもイラっとする。
「誰が顔だけだ」
「いや、だって知らないし。噂と想像」
「それを本人を前によく言えるな」
「聞かれたから答えただけでしょ」
「聞かれたからなんでも言っていいのか」
「そもそもそっちが暗殺者かなんかと間違えるのが問題でしょ!こっちは来賓ですけど⁉︎」
「……、それについては申し訳ない」
クアンターク令嬢からするとルーカスがすぐに謝罪したことは意外だったようで、急に怒りの表情がするすると萎んでいく。
「私も、……知りもしないのに、適当なこといってごめんなさい」
お互い怒りの感情がなくなってしまうとどうしていいかわからなくなり、気まずい空気が流れる。
しかしルーカスはふとこのやり取りに既視感を感じて、可笑しくなりつい吹き出した。
言い返して来たりするのはマリウスぐらいだと思ってたが……。
「なっ、何急に!」
「いや、ちょっとした思い出し笑いだ。君みたいに初めて会ったときから失礼な物言いのやつが他にもいたなと」
その割にルーカスが楽しそうに笑っていて、令嬢の頭には疑問符が浮かぶ。
「なんか、変なところでも打ちました?」
「打ってないのは知ってるだろう?それより、ダルファリオの令嬢はみんな君みたいな感じなのか?」
「体術の話です?そんなことはないですけど」
「いや、話し方とか、態度とか」
その言葉に令嬢は、ハッとしたように焦った顔をして早口に言葉を紡ぐ。
「私だってちゃんとすればちゃんとできますよ⁉︎でも、あんな風に盾に使ったり、言い合いしたので今更ですよね⁉︎だからしなかっただけで!」
「非難してるわけじゃない。少し楽しくなってきたと思っただけだ」
何故か笑うルーカスに令嬢の方は理解できないと言う顔をしている。しかし、ルーカスはとても満足そうにすると、令嬢に笑顔を向ける。
「私の部屋から出るところを誰かに見られたら、大変だけど」
「安心してください、誰にも見られないように戻ります」
「まあ、その労力は無駄かもしれないが」
「なんのことです?」
「いや、こっちの話だ」
にこにことしている人間離れしたルーカスの顔はキラキラと輝きを放つかのごとく眩しく、クアンターク令嬢は思わず目の前に手をやる。
「無駄に顔が眩しいんですけど」
「無駄とは失礼だな。じゃあ、気をつけて帰ってね」
「はぁ。あ!その布団捨てるなら欲しいんですけど!私が被ってたやつなんていりませんよね!」
ベッドに置かれた上掛けを指さしてそう言う令嬢にルーカスが笑う。
「そんなに気に入ったの?それなら新品を贈ってあげるから安心して」
「え、ホントですか⁉︎殿下って意外と良い人ですね!」
そういうとこれまで見たことのないほど満面な笑みを向けてくる令嬢を見て、ルーカスは何かが落ちる音が頭の中で鳴った気がした。
今まで出会ってきた令嬢とは違う笑顔にルーカスは胸が高鳴るのを感じた。どきどきと心臓の音が大きく聞こえて、なんとかいつもの笑顔を保つのが精一杯だった。この現象が何かわからないが、確実にこれまでに感じたことのないものだとわかる。
「約束ですからね。絶対くださいね!」
「どれだけ気に入ったんだ」
「いやー軽いのにものすごく暖かくてふかふかで、最高でしたよ〜。あの質はダルファリオでは得られないです!」
「気に入ってもらえてよかったよ」
「じゃあ、そろそろ行きますね」
「ああ、また明日」
「……?私、滞在は明日の朝までですけど」
「明日の朝会えるだろう」
「見送りしてくださるってことです?」
令嬢の言葉に、ルーカスは無言で手を振った。令嬢は首を傾げつつも、もうここに留まっている理由はないと感じたのか、さっと姿を消した。
ヤナギと同様一度落としたはずの武器と共に。
「あ、武器ぐらいは回収しておくべきだったな」
ルーカスのやけに明るい声が寝室に響いた。
***
次の日。昨日までの夜会の賑やかさとは打って変わって、静けさの広がる王宮に一人の令嬢の声が響いた。
「はぁ⁉︎私が殿下の筆頭婚約者候補⁉︎」
もう帰ろうとしていたところで、ルーカスとこの国の宰相に引き止められ、話を聞いていた途中で、令嬢が声を上げたのだ。
ダルファリオの来賓として来ていたカイティーナ=クアンタークが、青ざめた顔で目の前の王子ーールーカスに食ってかかる。自分より遥かに背の高い相手の胸ぐらを掴んで揺する。力があるらしくルーカスは大人しく揺らされている。
「なんでですか!婚約者にはなりたくないっていったから、嫌がらせですか‼︎」
「いや、私としては普通にもう少し話してみたくてね」
「それが嫌がらせじゃなくてなんだって言うんですか!」
「せっかく海を渡って来てくれたんだから、ちょっとぐらい滞在期間が延びてもよくないかい?」
「今にも帰ろうとしてる人に言う台詞じゃないですけど!」
そんな風に怒り狂っているカイティーナにルーカスはここぞとばかりに餌を吊るす。
「ちゃんと滞在期間に使ってもらう部屋には、君が気に入った上掛けを用意してもらったから、存分に使ってくれて構わないよ」
「え」
「たとえ婚約者にならなくとも、国に帰るときには持って行ってくれて構わない」
「え……」
「お土産に好きなだけ持って行くといいよ」
「……、ホントです?」
「ああ、もちろんだよ」
カイティーナはゆっくりとルーカスの胸ぐらから手を下ろすと、急にしおらしくなり、ドレスの裾を持ち上げて礼の姿勢を取る。
「謹んでお受け致します」
「それはよかった」
楽しそうに笑ったルーカスの瞳の奥は、獲物に狙い定めたような鋭いものだったが、布団を手に入れて鼻歌でも歌いそうなぐらいご機嫌のカイティーナは、そんなことには気づかなかった。
終
ルーカスも意外とあっさり落ちました。
ありがちですみません。
国内は無理そうな気がしたので海を渡った隣国のちょっと特殊な令嬢になりました。
ちゃんと婚約者になってくれるといいね。
次こそメメリアの友人を救いたいところです。
難しい。
寒いから布団にときめきますね。
※ルーカスの名前をマリウスと書いていたところが多数ありました!申し訳ありません!
※ユールディルとレニアーニの短編をアップしました
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