或耽溺する男の一生
性的表現あり
とても奇妙な男が居る。成績は可もなく不可もなく、大学内での活動もまずまずであり、友人も二三人居る程度であった。彼の顔は非常に美しく、鼻筋の通った爽やかな顔立ちに、低くもよく響く声であった。そのため、女人にはよく言い寄られていた様だが、すべて断っていた。この男の奇妙な点を挙げるならば、彼の異常且つ、ステレオタイプから逸脱した恋愛、包み隠さず言うならば、異常性癖である。彼は兎に角、不変的、変化しない物を愛した。彼の性的倒錯は様々な処に及んだ。その性的倒錯はペドフィリアや、ピグマリオンコンプレックスの一言では言い表せない程、複雑に絡まっていた。彼がまだ小学生であった頃はまだ今よりも歪んではいなかった。彼の両親は、彼が赤子であった頃に、事件に巻き込まれ、惨たらしい最期を迎えていた。彼は不幸にも、その惨たらしい最期を目が見え初めていた頃に見てしまった。或意味、それも彼を歪めた要因だったのかもしれない。彼の祖父と祖母は彼に憐憫の情を覚え、親代わりになってやった。彼の祖父はその土地の地主であり、言うまでもなく裕福であった。そして、とても寛容であった。彼が欲しがる物の殆どを買い与えた。彼が齢六七歳の時、そう、確かに彼に歪みの片鱗が見え隠れし始めたのはこの頃である。彼は、あまり活発的でないのに加え、病弱だったため、日々を読書に費やしながらつまらなそうに、時を経らせていた。そんな頃、彼は祖父と祖母とで、デパアトに出掛けた時だった。
彼は、仏蘭西人形を見た。
彼の中に何か、新しい感情が生まれた瞬間であった。彼は当然、仏蘭西人形を欲しがった。祖父、祖母は少し彼を無気味に思いながらも、彼にそれを買い与えた。この時、彼は完全に歪み始めていた。そこから彼は、仏蘭西人形と行動を共にしはじめた。彼が小学五年生になった頃、周りにも彼の異常性が認知され始めていた。そんな頃、彼を茶化す男子小学生が現れた。彼はそんな事を気に留める様子もなく、普段と同じように過ごした。だが、男子小学生はその様子が気に食わなかったのか、彼からその人形を取り上げた。彼は病弱であったため、並程度の男子小学生の力にも、及ばなかった。男子小学生はその人形を持ったまま走って、裏山に行き、人形を崖から落とすような振りをして見せた。彼は躊躇いも迷いもなく、その小学生を突き落とした。彼は人形だけを助けようとしたが、それは叶わず、人形ごと男子小学生は崖から転落していった。その時、彼は潜在的に、隠さなければと思い、体に突き動かされるまま崖下に降り、転落した骸を山の奥の奥の方へ隠した。彼は、その近くに落下していた、自分の人形に気が付いた。その人形の落下した衝撃によって透き通るような瑠璃色の目玉は飛び出し、柔らかく、どこか暖かみのあった指はポッキリと折れ、よく仕立て上げられていた薄い桃色の洋服ははだけ、胸の辺りが大きく見えており波のように滑らかだったブロンドの髪は、もはやボサボサになっており乱れ髪の様相を呈していた。彼はこの人形に対して、新たな感情を見出だした。彼には、体が火照る感覚がありありと伝わっていた。包み隠さずに言うならば、彼はこの人形(人形と呼ぶのも憚られる物)に対し、性的に欲情していた。そして、彼は本能の赴くままに、股間の辺りをまさぐった。少しすると、彼は非常に強烈で人を破滅に追い込む美しさを纏ったカタルシスに襲われた。そのカタルシスから少し過ぎると、今まで無類であり、唯一無二だと思っていたその人形がいきなり醜悪に思え、ゴミ出しの日の前日深夜にこっそりと、そのゴミ袋に紛れ込ませた。これに対し、祖父祖母は突然きえた人形を少し不審に思いながらも、極々一般的なおもちゃ離れだろうと思った。
連日男子小学生が転落死した事が、メディアで報道されていた。だが、クラス内での動きはあまりなかった。何故なら、その男子小学生は、有数の問題児であり、女子、男子共に、少し安堵、或いは、これ幸いだと思った程である。そのクラスの担任ですら、面倒事が一つ減った程度にしか認識していなかった。当の突き落とした本人も、特に普段の生活とあまり変わらなかった。──この時から、彼はもはや人間倫理から逸脱し、歪みきってしまった。この歪みは最早、必然的だったのかもしれない。
小学校を卒業し、彼はとても頭が良く利口であったため、受験にも成功し、無事中学校に進学した。彼の周りはあまり頭が良くなかったので、同じ小学校の子は誰一人とていなかった。だが、それは彼にとって何よりの好都合であった。
中学生になった彼は、自らの趣味を隠す事に決めた。この頃から美少年であった彼には常に喧しい女人が付きまとったり、告白されたりなど、彼にとっては鬱陶しい以外の何者でもないことが多くあったが、適当にあしらい躱し続けた。成績優秀、品行方正、清廉潔白であった彼はやはり勿論の事、全ての教師に好かれていた。彼の趣味はすごく巧く、隠されていたが、彼の趣味は確実にヒイトアップしていた。この頃の彼は人形趣味と、マネキンに傾倒していった。マネキンに所謂ゴスロリ趣味な服を着せては、口には言い表せない程に、醜き性的カタルシスを生み出しては消費していった。彼はこの頃から哲学書や近代文学を読み漁るようになっていった。彼はマネキンを人の理を超越した、我々より何段も高尚な存在であると考えた。このような考えを厳重に保管された手記、手稿に書きなぐっていた。
彼は、家の中でとても奇妙な事をしていた。その中でも就中、奇妙であったのは、家の中ではワルツを踊ることであった。唯、独りだけのワルツである。そのワルツのステップは、彼独自のステップであり、清らか且つ、無駄がなかった。無駄を極限まで割いたそのステップは、どこか無気味にも感じられた。日光がカアテンで遮られ、赤光が彼のワルツを照らす時、彼はとても愉快そうな顔をしていた。だが、度々その赤光は斎藤茂吉の「赤光」を、彼の頭に思い出させ、不快そうな顔をしながら、彼はワルツを止めた。
彼は恒に、周りの衆を軽蔑し、嘲笑していた。その嘲りは、見下しから来るものではなく、本能的、潜在的な物から由来するものだった。
彼が初めて意識的に殺人を犯したのは、大学生3年生の中頃であった。彼の哲学的思想はもはや常人に理解できぬほど、シャアプになっていた。シャアプと云うよりも作り物にうんざりとしていたのかもしれない。彼は或人情深い女芸術家を友人伝いで訪ねた。その芸術家は、彼と共に人型の骨組みを作ることに協力した。その制作には一二ヵ月要したが、無事に綺麗な人型の骨組みが完成した。骨組みが完成し、彼はその芸術家に、或劇薬を混ぜた水を手渡した。彼はその劇薬をよく覚えていなかった。確か、砒素であったか、青酸加里と彼は云っている。毒は彼の想定よりも早く効き始めた。彼が云うに、毒は単に素体となるボディを傷つけない為に毒を使用したそうだ。芸術家が遂に息絶え、彼は作業を開始させた。彼は遺体から血を抜いた。彼は少しずつ抜けていく血を恍惚そうに眺めた。暫くすると、血を抜いた体は目に見える程、青くなった。彼は巧みに鉈を振るい、彼女の身体を切り分けていった。血抜きした身体は、あまり血飛沫が飛ばなかったので、彼は生き生きとしながら、作業を続けた。彼は身体の皮膚を、それはそれは綺麗に剥がしていった。或程度剥ぎ終わると、その剥いだ皮をまるで障子の張り替えのように、その骨組みに丁寧に貼っていった。彼はその作業を終え、達成感の多く混ざった溜め息を吐いた。だが、彼はもう一つの問題に阻まれた。顔である。さすがに顔を剥がすとなると、素人技術では出来かねる上に、剥がせたとしても、醜い顔になるのが関の山である。彼は半日程悩んだ末、顔だけは作り物にすることを決めた。彼にとってこれは可也の苦渋の決断であったが、他に致し方がなかった。彼は取り出した臓物を、ホルマリン漬けや、冷凍保存しながら考え続けていた。人形作家に作らせるか、マネキンを作らせるか。結局彼は粘土が剥がれると困るというわけで、マネキンに決めた。マネキンの頭のみを注文する上に、マネキンの形状からサイズまで、驚く程詳細に依頼する客はとても珍しかったためか、終始、好奇と軽蔑の混ざった眼差しで、無気味そうに紺のスウツを着た男は彼を見ていたが、彼は特に気に留めていなかった。彼は、マネキンの頭を手に入れると、いそいそと帰宅した。自宅のドアが閉まるのを確認すると、声にならない歓声をあげ、頭を胸に抱えたまま歓喜のワルツを踊った。彼の頭には、ヴィヴァルディの四季「春」第一楽章が、絶えず流れ続けていた。
彼はその素体にマネキン頭をはめると、狂うように喜び、そのまま、醜きカタルシスに墜ちていった。
彼は創る喜びによって、新たなカタルシスと出逢ってしまった。
彼は大学を卒業し、直ぐに哲学者として名を馳せた。そして、彼は或辺鄙な田舎に家を構えた。彼はそこを、哲学工房と名付け、そこで様々な哲学的思索を弄した。彼の美しい顔立ちは既に世間に知れ渡っていた為に、熱狂的なファンが付いた。その上、俗世から離れ、辺鄙な田舎で哲学に耽るという古式なスタイルも相まって、彼の哲学は確固たる地位を築いていった。その時、彼の手口の犠牲者は、もはや三桁に手が届いてしまう程であった。彼は良く深夜に、田舎の畦道をゆっくりと歩きながら、思索に耽るのがとても好きであった。今日も今日とて畦道を散歩しながら、思索に耽っていた。その頃、彼の家に侵入する者が現れた。彼女はKと言い、彼の狂信的なファンであった。Kは彼の著書から、僅かなヒントを抽出し、住所を割り出したのであった。彼は鍵を締めていなかったので、Kは易々と侵入に成功した。Kは彼の屋敷を物色し、彼の私物の幾つかを、リュックサックに詰め、帰ろうとした。だが、Kは屋敷の床にドアがあるのに気付いた。その扉は地下室への扉だった。Kはその中を見ることにし、扉を開けた。開けた途端、辺りにとてつもない腐敗臭に鼻が刺激された。Kはその臭いだけで吐瀉した。Kは若い頃から、シングルマザーであった母におかしな事が起きたらすぐさま警察を呼びなさいと、云われていたため、警察を呼んだ。もはやKの彼に対する気持ちは、氷のように冷めきっていた。警察は、中に立ち入るとその奇怪且つ、とてもgrotesqueな景色を見た。彼は帰宅すると、その異様な景色にギョッとした。彼は拘束された。彼は勿論の事抵抗したが、それは無意味でありとても憐れであった。その事に、彼は昔生意気な男子小学生に仏蘭西人形を取り上げられた事を思い出し、すこし懐かし味を覚えた。そこから約十六七年、ようやっと彼に審判が下った。
───彼は証言台にて、糾弾するかの様に言った。
「愚人どもの低俗で気持ちの悪い恋慕と、私の高尚なる愛の形を同じとするな」
彼は精神病を疑われ、心神喪失状態で無罪であると云う意見もあったが、この罪を死刑にせねば、日本の司法が揺らぐと云う、半ば見せしめ的な理由付けで死刑になった。こういう書き方をすると、随分可哀想に見えるが、死刑は当然の結果であり、火を見るより明らかである。今さらこれを可哀想と言うのは、いささか醜い感傷主義だろう。彼は死刑を待つよりも早く、発狂した。必然的な発狂であり、発狂するべくした発狂である。彼の発狂した後の姿は、とてもみすぼらしく、かつての美しくの面影は無いに等しかった。彼は発狂したのち、ペンで自分の目玉を刺し潰し、絶叫しながらテイブルの角に頭を打ち付けながら絶命した。彼の最期又は、死に顔を見た人々は口を揃えて、壮絶であったと語っている。彼の祖父、祖母は既に亡くなっており、親族も居なかった。否、居たとしても来なかったであろう。彼の生き様を面白く思った或男は、彼の火葬場に侵入し、彼の死に様を見に行った。その男は、ひどく怯えた様子でこう語っている。
「あれは人間を越えている。化物だ。化物だ。化物だ。化物だ。」
化物だと繰り返すその男の様子を怪訝に思った男の友人は、彼に詳細を語るよう説得した。友人の説得が功を奏したのか、男は落ち着きを取り戻した様子で語った。
「誰もいない火葬場に盗み入るのはすごく簡単だった。俺は頭を出して覗いたんだ。だけど、そいつはもう焼かれちまっているみたいで、もう見えなかったんだ。だから俺はそこでもう居ても無駄だと思って、帰ろうと思ったんだ。だけどよ…」
男はまたも平静を失くし、過呼吸を起こした。友人が、男の背中をさすり介抱してやると、半ば嗚咽混じりで、再び語り始めた。
「俺は聞いた。必ず、確かに聞いたんだ。奴が笑っているのを。あいつは火葬されている中も、嘲笑していたんだ。自らも、境遇も、状況も、全ての人々を。」
友人が、男を見たのはこれきりであった。数日後、友人は男の家を訪ねたが、男は出なかった。周りの人らによると、一二日魘されると、男は発狂してしまい、行方不明になったようだった。友人は、やはりか、と思い。菊の花をコンビニで購入すると、男の家のポストに挿してやった。友人は満足したらしく、何処かへ歩いていった。
彼の行方は誰も知らない。