回想
秒針が正確無比に時を刻む音が響く空間で、その正確さとはひどくかけ離れたリズムで僕は鈍い音を奏でている。その鈍い音の発生源は間違いなく僕であるけれど、まるでド素人が初めて吹くサックスのように汚くて聴くに堪えない音を僕に出させているのは間違いなく『彼女』だった。
「......っ!......っ。」
これで何回目だったかも忘れたぐらい、僕の血で赤く染まった拳が僕へ向けられる。仰向けで馬乗りになられている僕は当然避けられるはずもなく、鈍い音を出しながらさらに新しい血で彼女の拳をコーティングしていく。痛みで脳が警鐘を鳴らし意識を刈り取ろうとするも、際限なく訪れる痛みによって再びはっきりと、それでいて鮮明に意識を蘇らせていた。
「お......がっ...けな....だっ!!!」
殴ることに没頭していた彼女が感情を露わにして僕へと言葉を吐き捨てているが、それがどういった内容なのか僕には聞き取れなくて分からなかった。意識が混濁していたのもあるが、僕はそれ以上に怒っていそうで悲しそうな、それでいて愉快でたまらないというようなぐしゃぐしゃな彼女の顔に意識が向けられていたからだ。
涙を流しながらそんな顔をする彼女を見て、一体誰が彼女をこんな風にさせたんだろうと考えに耽る。相手がどう思っているのかは分からないが、一応は幼馴染で友達だったはずなのだ。少なくとも僕はそう思っている。幼馴染にこんな酷い顔をさせた人物を探し当てるべく回らない頭で犯人捜しを決行するが、何度やっても出てくる答えは『僕』だった。
───とどのつまり、僕は最低な奴だったんだろう。
自己嫌悪に浸るのは日常茶飯事だったが、それでも幼馴染を傷つけてしまったという事実は僕の心を相当に抉った。だから、今僕がされている行為はそれに対する罰なんだろう。そう考えることにした。そう思うようにした。じゃないと、僕の心は音を立てて崩れてしまうような気がしたから。
(............どうしてこんなことになったんだろう.......)
時計の秒針の音を聴きながら、僕は贖罪のように今の状況になる前のことを思い出していた。
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生暖かい風が辺りを包み、小鳥がさえずる声が微かに響く道で僕は確かに立っていた。桜が散り、その残骸が残る通学路では僕と同じ制服を着た人たちがまばらに歩みを進めている。ある人は緊張した面持ちで、またある人はだるそうな表情で目的地へと向かう。
そう、今日は入学式なのだ。新2年生である僕にはあまり関係ない話であるけれど、新入生にとっては非常に重要なもの。この日を境に友人をたくさん作って高校生活という青春を謳歌する人もいれば、逆に友人をあまり作れずに日陰者に悔しくも甘んじるような人もいる。僕は前者か後者かでいえば、まず間違いなく後者だっただろう。今でも幼馴染を除けば友人は片手で数えられるくらいしかいない。まあ幼馴染を入れたとしても片手で事足りるのだが。
そんな新入生たちに憂いを混じらせた視線を向けながら歩いていると、知らず知らずのうちに目的地へと到着したみたいだった。
──────誠仁高校。
それが、僕が向かっていた目的地だ。
誠仁高校は学力でいえば中の中、上辺りで特出すべき点はこれと言って浮かんでこない程に平々凡々な公立高校だ。でも、僕は案外この学校を気に入っていた。変な規則や校則も存在しないし、何より家から徒歩10分程で着くのが良い。朝が弱い僕にとっては願ったり叶ったりだった。
当初は実家から電車で通うように思っていたのだが、両親からは近場から通える方がいいだろうということで僕には知らされていない内に荷物がまとめられ、一人暮らしを始めることになってしまったのだ。
結果的には勘当紛いのように実家から追い出され、あれよあれよという間に簡素なマンションに押し込まれた時はどうしようと不安になっていたが、人間慣れるもので今では実家よりも居心地の良いものとなっていた。
その居心地の良さはなにより、両親からの期待を背負わなくても良くなったのが大きいと思う。
今思えば僕の両親は毒親というやつで、『品行方正であれ』だとか『1番を取れ』ということを僕に強要した。どんな子供でも親に嫌われたくないと思うように、僕も例外なく嫌われまいと期待に応えようとした。
しかしどうも僕は昔から不出来だったようで、勉強を死に物狂いで頑張っても結局は1番をとることはなかったのである。多分上位一桁代にすら入れたことはなかったと思う。ようするに自頭が良くなかったのだ。運動神経も然り。
そうなってくると、親はだんだん僕に興味を失くしていった。親という体裁上、直接そういうことを言ってくるようなことはなかったが、自分のことなのだ。父親も母親も、僕という存在はすでに目に入っていないことが察しの悪い僕でもすぐに理解できた。
そして、なにより拍車をかけていたのは一つ下の僕の妹の存在だ。
妹は僕とは違い『なんでも出来た』。文字通りの『なんでも』だ。十を聞いて一だけを知るのが僕であるのなら、一を聞いて十も百も知るのが妹である。勉学では僕がどんなに頑張っても一番を取ることが出来なかったのに対し、逆に妹は一番以外を取ったことがない。
運動においては両親からの勧めで幼少期から空手をしており、なんでも女の子だからということで自衛目的に始めたようだった。そしてすぐに頭角を現したらしく、中学3年生の時には全国大会で優勝してしまった。
その大会には妹から応援に来てほしいと頼まれて行ったのだが、正直言って圧巻だった。一応生物学上は男として分類される僕だけど悲しきかな、妹に勝てるかと問われれば秒もかからずに無理と即答するだろう。そのくらい我が妹は強かったのだ。その強さに比例されるかのごとくスポーツも万能で、友人から部活動の助っ人などによく呼ばれていたらしい。
頭脳明晰でスポーツ万能。そんな『完璧』を体現している妹が存在しているからこそ、僕という存在は両親の目からは消え去ってしまったのだろう。このことで妹を憎んでいるかと言われれば、実はそんなことはない。家族なのだ、これほど誇らしく、嬉しいものはない。
しかしだ、勉強や運動で僕の上をいっているのはいいが、身長だけは追い越さないようにしてもらいたい。僕には男としての、兄としてのプライドがミジンコの如く存在していて、今はギリギリ僕の方が高いのだが男子の中では小柄な方なのだ。いつ追い越されるのか気が気じゃない。
だんだんと背が迫ってきている妹を自身のくだらないプライドのためにどうすべきかを考えていると、知った顔であるが友人かといわれるとNOと答えるであろう以前の同級生達をちょこちょこ見つけた。そしてその先にはかなりの人だかりが出来ている。
その人だかりの視線の先はどうやらクラス割であるらしかった。ホワイトボードが数個設置されており、それぞれに生徒の名前が載っていて一番目立つ場所に大きく教室の番号が書かれている。
つまり、ホワイトボードに載せられている生徒はそれぞれ書かれている教室へ行け、というものだった。
僕の名前が載っていたのは2-Eで、その少し隣には僕の数少ない友人の名前があった。新学年早々ボッチにならなくてすんだという安堵から一息吐き、今度は幼馴染の名前を探してみることにした。
しかし、2-Eのホワイトボードを隅々まで探しても、幼馴染みの名前は載っていなかった。それが意味するのは僕と幼馴染は去年とは異なり、違うクラスになったということだ。
(............。)
──少しの安心感の後から、胸をチクリと刺すような寂しさが僕を襲った。
実をいうと、幼馴染とは春休みの前に『ちょっとしたいざこざ』があって、いわゆる喧嘩のようなものをしてしまった。それのせいで春休みの間は会えておらず、中途半端に期間が空いてしまったせいで非常に気まずいのだ、今の幼馴染と会うのは。
以前までは一緒に学校へ通っていたが、その気まずさ故に今日は普段よりも遅くに家をでた。登校する時間帯をずらせば幼馴染に会うことはないだろうと考えたから。
相当強気な幼馴染様のことだ、今の彼女の内心を探るだけでも身体が震えてくるが、僕の胸のモヤモヤが『仲直り』という選択肢に霧をかけて見えにくくしていた。
正解が見えないようなことを考えていると、いつもの聞きなれた鐘の音が僕の耳に届いた。予鈴のチャイムだ。僕は思考を断ち切って急いで教室へと向かうべく足を進めた。
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本鈴のチャイムが鳴る前になんとか教室へと入室できたが、最後の一人として入ったからだろうか、僕へ向けられる周囲の目線が気になりながらも指定された席についた。
「よっ、新学年早々に社長出勤とは度胸が備わっておいでですなぁ『榊原奏』殿は」
「......まだ本鈴がなってないからセーフのはずだよ」
そういって隣の席から僕をからかうように話しかけてきたのは数少ない友人である『萩原竜平』だった。
高身長の部類に入るであろう身長と、端正な顔立ちというよりは彫りが深い男らしい顔で、髪はツーブロックにして明るい茶髪に染め上げている。少し気温が暖かいからだろうか、ブレザーをイスにかけてカッターシャツを第二ボタンまで開けており、そこからははサッカー選手がプリントしてある黒いTシャツと銀色のネックレスを覗かせていた。
少しチャラい印象を受ける姿をしているが、曲がったことは大嫌いらしく根は真面目という他ない。当時僕は友達がおらずあたふたしていた際に話しかけられ、そこから交友関係が始まった。サッカー部に所属しており、ポジションはFW。サッカー部ということもあって友人も多く、隙があればその友人たちとバカをやっているのをよく見ていた。彼女は出来たことがないらしい。
彼は、一言でいうと『良い奴』だった。
「そういえば、いつも一緒に登校してた女騎士はどうしたのよ?ちょっとした噂になってたぞ俺らの中で」
「予定が嚙み合わなかっただけだよ竜平。あと女騎士っていってるとまた竹刀でしばかれるよ」
「しばかれたらそん時はそん時だ。いやーしかしあいつが一人って状況は久しく見てなかったからな、珍しいのもあるもんだ。いーっつも姫様を護衛するみてえにお前にひっついてるもんだから、てっきりお前らデキてるのかと俺は思ってたくらいだ。」
確かに以前は常にといっていい程一緒にいたが、今は違う。
「しかもお前剣道部のマネージャー辞めたんだっけ?なんかあったのか?」
「......うん。ちょっとね...」
竜平が知っているということは、もう既に学年中に広まっているのかも知れない。そう思うと、酷く気持ちが落ち込んで憂鬱な気分になった。
そんな憂鬱さが顔に出ていたのだろうか、竜平はあからさまに話題を変えてくれた。
「あー......まぁそういうこともあるわな。それよりきいてくれよー俺の先輩がさあ───」
(......ありがとうね、竜平。)
彼はどこまでいっても良い奴なのだ。
そんな彼とぺちゃくちゃ喋っている内に、本鈴が鳴り始め、担任が教室へ入ってきた。会話を中断し、担任の方へと意識を傾けた。




