③
それからアイヴィはダイエットを始めた。
今までは好きな時に好きな物を好きなだけ食べていたが、食事内容を低カロリーな物にした。低カロリーにすると、お腹が空くような気がしたので少量を小分けにし、食事回数を増やす。
食事の改善に加えて運動も欠かさなかった。トレーナーを雇い、アイヴィの体型から適切な運動メニューを考案してもらい、毎日こなしていく。
努力の末、半年間でアイヴィは瞬く間に変わった。
ふくよかな体は今やほっそりとした健康的な肉体に、真ん丸な顔は肉が落ち、小顔に。健康的な生活習慣で髪の毛に艶が出てきて、肌荒れも無くなり、赤子のような肌に変わった。
大きな青い瞳と波打つような金の髪。高身長でほっそりとした体つき、細くて長い脚。
今では街を歩けば誰もが振り向く絶世の美女となった。
ある日、父の知り合いの写真家を紹介された。彼は様々な企業の広告を手掛けているらしく、痩せたアイヴィの噂を聞きつけ会いたいと言ってきそうだ。
「驚きました、アイヴィ様がこんなに美人になっていたなんて!」
写真家はアイヴィを見るなり、目を丸くした。
「もちろん、昔のアイヴィ様も可愛らしかったですが」
「ありがとうございます。でも、私は今の自分が好きです」
「おぉ、笑顔も輝いておりますな! 今度、化粧品会社の広告を撮る事になっているのですが、そのモデルになりませんか?」
驚いて父の方を見やると、満面の笑みを浮かべ頷いている。広告を務める事は名誉なことだ。貴重な経験をさせてもらえる、とアイヴィは喜んで承諾した。
後日、撮影の日に指定された場所へ向かう。到着すると、たくさんの女性が出迎えてくれた。撮影前、アイヴィの顔にメイク係が化粧を施す。使用されている化粧品は全て新商品のもので、今回広告する商品だけで化粧をしているらしい。
完成しました、とのメイク係の声にアイヴィは目を開ける。
鏡の前にいる自分は、自分でも驚くほど美しくなっていた。
父の知り合いの写真家は、化粧をしたアイヴィを見て顎が外れるくらい驚いていたが、すぐに仕事を思い出し、写真機を手にする。
「それではアイヴィ様、自然な笑顔を浮かべてください!」
撮影は楽しかった。半年前に辛い思いをしたのが嘘のように今が楽しい。
「撮影終了です! お疲れ様でした」
写真家はアイヴィの写真を何枚か撮り、気に入ったものを数枚選ぶ。
「みんながこの商品を買ってくれると良いですね」
アイヴィは笑顔を浮かべ言った。
後日、写真家から父に連絡があった。
「アイヴィ様が広告を務めた化粧品会社の商品が今までとは比べ物にならないくらい、売上が伸びているそうですよ!」
と感謝の言葉が告げられたそうだ。アイヴィは父から話を聞き、嬉しくなった。
その後、アイヴィの元に様々な会社から広告のモデルにならないかと依頼が増えた。そうした仕事を受けているうちに、アイヴィはモデルとして活動していくようになり、国中に名を知られる有名人になっていった。名を知られることで社交界にも呼ばれるようになる。
ある日、アイヴィは貴族や重鎮達が集まる舞踏会に呼ばれた。今まで社交界といった華やかな世界に足を踏み入れたことがなかったアイヴィは、馴染めない。アイヴィがいると、自分も話そうと人だかりが出来るので会場の目立たない場所にいつも避難していた。
いつものように人を避けていると、背の高い男性に話しかけられた。
「アイヴィ・チェスター嬢?」
声の主を見やると、息を呑むほど美しい青年だった。
「こんなところで何をしているの?」
「え、ええと……人が集まるところが苦手で」
アイヴィがそう言うと、青年も嬉しそうに笑った。
「僕も同じ。ねぇ、場所を変えて話さない?」
アイヴィが返事に戸惑っていると、青年は肯定と感じたのか、アイヴィの手を取り、会場を離れた。やって来たのは、屋敷の庭である。植物は隅々まで手入れされており、見ているだけでも楽しい。
「自己紹介がまだだったね。僕はマリウス・ヴィルガーデン」
青年は人気のない所にまでやって来ると、アイヴィの方を向く。告げられた名にアイヴィは驚くばかりだった。
ヴィルガーデンは侯爵の爵位を持ち、国でも有数の貴族に数えられる。そして、マリウスはそのヴィルガーデン侯爵家現当主でありながら、高級志向の香水ブランド『ヴィルガーデン』を立ち上げた実業家でもあった。
そんな凄い人物が自分に何の用だろうとアイヴィは思う。
彼女の疑問を感じ取ったかのように、マリウスは話した。
「僕の経営する“ヴィルガーデン”の専属モデルになって欲しい」
仕事の依頼は断らないと決めている為、アイヴィは承諾する。すると、彼は嬉しそうにはにかんだ。まるで子どものような笑みにアイヴィの心が引き寄せられるのを感じていた。
香水ブランド“ヴィルガーデン”の広告塔を務めたアイヴィは、世界に名を知られるようになっていく。
仕事も順調だったある日。マリウスにアイヴィと父が呼び出された。
応接室で待っていた彼の表情は硬く、良くない事が起きたのだと直感する。
「ご足労いただきありがとうございます。早速ですが、この新聞を見ていただきたいのです」
マリウスに手渡された新聞。記事には目を疑うような内容が書かれていた。
新聞にはふくよかな体型だった頃のアイヴィの写真が載せられ、彼女に結婚歴があること、婿にもらった夫を追い出した鬼嫁、と書かれている。
「本日の朝刊で発行された新聞記事です。ここにアイヴィ嬢の私生活に関わる事が載せられている発行前に情報を入手しておくべきでした。本当に申し訳ない」
マリウスは頭を下げる。
「謝らないでください。それよりも、私こそ昔の事を黙っていてごめんなさい」
アイヴィが言うと、マリウスは不思議そうに首を傾げた。
「謝るほどの事じゃないよ。誰にでも過去はある。それよりも、無断でアイヴィの私生活に関わるような内容を新聞社に流した人物が許せないんだ。こうした卑怯な事をする人物に心当たりはないかい?」
マリウスの言葉にアイヴィは思い出したくもない2人の顔が浮かぶ。今回、アイヴィの情報を流したのはどちらか、あるいは両方か。
アイヴィの反応にマリウスは察する。
「一緒に新聞社に来てくれないか」
マリウスと共に例の新聞社に足を運ぶ。応接室に通され待つこと数分。編集長がやって来た。
編集長はマリウスを見ると、しどろもどろになりながら自己紹介を始めた。
「こ、これはマリウス様。お目にかかれて光栄でございます」
「僕がここに来た理由、分かるね?」
編集長に興味がないというように、彼の自己紹介をマリウスは遮った。
「えっ、えっと……」
「例の記事の件だよ。誰がアイヴィ嬢の情報をクラシック新聞社に持ち込んだんだ?」
「それは……」
答えにくそうに編集長は、あちらこちらへ視線を泳がせる。その様子にマリウスは苛立っているようだ。質問を投げ掛ける目は全く笑っていない。
「言えないとでも?」
マリウスの気迫に押されたのか、編集長は頷いた。
「わ、分かりました……。情報提供者はリリアナ・エスカーダという女性です」
アイヴィは息を呑んだ。予想通りではあったが、レオンとは既に離婚しているし、リリアナとはもう関係が無いと思っていた。
マリウスは、編集長にリリアナをここに呼ぶよう告げる。彼は渋々ではあるがリリアナと連絡を取り、この場に来るよう説得してくれた。
待つこと数十分。応接室に現れたリリアナは、驚くほど容姿が変わっていた。半年前は、若々しく年相応だったが、今は見る影もない。実年齢よりかなり年上に見える。顔はげっそりとしていて、目の下には濃いクマが出来ていた。肌も乾燥していてまるっきり別人だ。落ち窪んだ目をぎょろぎょろと動かし、辺りを見ている。
「君がリリアナ・エスカーダ?」
マリウスが柔らかく問うと、リリアナは静かに頷いた。
「何故、アイヴィ嬢の情報を勝手に流したんだ?」
乾いたリリアナの唇がかすかに動き、しゃがれた声が響く。
「嫉妬からです。アイヴィさんとレオンの離婚後、あたしはレオンと再婚しました。でも、彼は働き口を見つけても仕事が出来ない、使えない人間って言われてすぐ解雇されるというのを繰り返していました。あたしが働いて何とか生活が出来ていたんですが、仕事で家に居ない間、レオンは他の女を連れ込んで関係を持つばかりで……」
リリアナは嗚咽しながら語り出す。
「あたしが必死で働いているのに、レオンは他の女と寝てばかりで……生活も苦しいし、もう辛くて。思っていた結婚生活と全く違う生活で精神的に追い詰められた時、たまたま街で見かけたヴィルガーデンの広告でアイヴィさんを見かけたんです。半年前とは違って、とても綺麗になっていて女性として磨かれ続けているアイヴィさんを見て、強烈な怒りが湧いてきました」
リリアナはさも自分が被害者のように語るが、最初から被害者はアイヴィである。アイヴィは、静かに話を聞きながら内心、リリアナに辟易していた。
「あたしはこんなに荒んだ生活をしている中で、アイヴィさんは華やかな生活を送っていると思うと悔しくて。それで太っていた事、結婚歴があることをバラそうと思ってやりました」
言いたい事はたくさんあるが、何から言えば良いのだろうとアイヴィが戸惑っている中、隣に座るマリウスが低い声で言い放つ。
「さっきから聞いていると、貴女は自分が被害者と思っているようだが、全て自分が蒔いた種だろう?」
マリウスの言葉にリリアナは、ますます泣き出した。
「でも、アイヴィさんは嘘をついているじゃないですか」
「嘘?」
思わずアイヴィは聞き返してしまった。
「昔は太った醜い女だったってこと!」
「過去のアイヴィ嬢が太っていたからと言って、それがどうして嘘になる? 彼女は努力して美しさを手に入れた。それを批判する権利は君に無い。それに過去の事を隠して今の地位を手に入れた事を嘘とは呼ばない」
リリアナは、マリウスの言葉に言い返せないらしく、泣くしかないようだった。
「泣いても無駄だよ。君の夫にはその涙は真珠のように思えたんだろうけど、僕にはゴミ同然にしか思えないよ」