②
結局、夕食は食べる気が起きなかったのでそのまま寝てしまった。窓の外から差し込む陽光と鳥のさえずりで朝が来たと知る。
レオンはもう出て行ったようだ。1人で朝食を済ませ、郵便を確認していると執事が部屋の扉を叩く。
「どうぞ」
「失礼いたします。お嬢様、先日ご依頼されておりました探偵事務所より書類が到着しております」
「ありがとう」
執事は詮索することなく、アイヴィに書類を手渡す。すぐに部屋を出て行ってくれた。口数は少ないが、気配りは誰よりも出来る素晴らしい執事である。
アイヴィは封筒を開けると、探偵からの調査報告書を取り出す。結論から言うとレオンは黒だった。報告書によると、レオンの不倫相手であるリリアナ・エスカーダという女性は平民階級出身で、酒場で給仕係として働いているらしい。年齢は22歳でアイヴィの1つ下だ。
週3回の頻度でレオンとリリアナはホテルに行き、肉体関係を結んでいるそうだ。レオンが早く帰って来るのは1週間に1回だが、リリアナに会わない日は同僚と遅くまで酒場に入り浸っているらしい。不倫を疑われた時のアリバイ作りだろうか。
そして、探偵から送られてきたのは報告書だけではなく、写真も入っていた。メモ用紙に“閲覧注意”と注意書きがされている。アイヴィは早まる鼓動を耳にしながら、写真を見ていく。映っていたのは体を結び付けているレオンとリリアナだった。それも何枚もある。場所も様々でホテルの寝台や、野外で行為に至っているものもあった。
「信じられない、良い大人が……」
アイヴィの怒りの炎が激しく燃え上がり始めたのを感じる。許せない。
「幸いにも今日はレオンが早く帰って来る日だわ」
アイヴィの予想通り、レオンは早く帰ってきた。玄関まで出迎えたアイヴィを抱き締めようとする。アイヴィはレオンの腕を避けると、氷のような冷たく鋭い視線をレオンに向けた。
「リリアナ・エスカーダを今すぐここに呼んで」
笑顔を浮かべていたレオンの表情は一瞬で固まる。満面の笑みから引きつった笑みに変わっていた。
「どうしてその名を……?」
「私は全て知っているの。言い逃れは出来ないから全て正直に話してちょうだい」
リリアナが来てからね、と付け加えるとレオンの顔が青くなる。アイヴィの目の前でリリアナに電話をかけた。小さく震える声で話すレオン。アイヴィは少しだけ彼を信じようとしていた気持ちが綺麗に無くなっている事を感じた。
リリアナがやって来たのは、数十分後だった。真っ青な顔で小刻みに震えながら玄関で正座をさせられているレオンを見てぎょっとしたようだったが、アイヴィを見つけるとすぐに状況を把握したようだった。
「単刀直入に聞くわ。貴方達、不倫しているわね?」
レオンとリリアナは同時に頷いた。不貞行為をしている自覚はあったのか、と呆れる。
「いつから知り合って、どのようにして関係を結んだのか。私と彼女の前で正確に話してちょうだい、レオン」
レオンはちらりとリリアナを見やると、俯きながら答えた。
「……知り合ったのは3年前です。俺が飲みに行った酒場で給仕をしていたのがリリアナでした。可愛いな、と思って声を掛けたけど彼氏持ちだって言うんで、連絡先だけでも交換してくれないかとお願いをしました」
内容が合っているかリリアナに視線をやると、彼女は不服そうに頷いた。
「最初は普通に手紙のやり取りをしているだけでした。近況報告とか悩みとかを話す、良い文通相手でした」
「それで?」
「関係が変わったのは半年前の事です。リリアナが彼氏に振られ、落ち込んでいるという内容の手紙を受け取ったのがきっかけでした。友達を励ましたいという気持ちで酒場に行きました。酒を飲んで、楽しく話せば気持ちも晴れるだろうとリリアナに酒を勧めたんです」
レオンは泣きそうになりながら話続ける。泣きそうなのは私の方よ! と内心思っていたが、口を挟まず静かに聞いていた。
「そして、ホテルに行き関係を結びました。頼られたのが嬉しくて、何度もリリアナに会いに行き、体を重ねました」
「リリアナ、今までの話は本当ね?」
アイヴィはリリアナに確認すると、彼女は不敵な笑みを浮かべて頷いた。リリアナの態度に苛立ちを覚えたが、彼女は正妻より選ばれたのは自分だとしてアイヴィに喧嘩を売っているのだ。感情に任せてしまえば、彼女の思うつぼである。
「それより早くレオンを解放してあげてください」
「解放してあげてください?」
「だってレオンは、デブでブスなあなたに魅力が無いから別れたいって言っているのにあなたが離婚に応じてくれないんですってね。みっともないのは体だけにして早く別れてくださいよ」
リリアナは自身の行いを悪びれる様子もない。アイヴィに意見を言える立場ではないということを理解しているのか分からないが、どちらにせよ考えを巡らせる事が出来ないのだろう。
「夫からは離婚話は聞いておりませんけど」
「虚勢を張っても無駄です。愛のない関係なんて幸せにはなりませんよ」
まるで自分達は真実の愛を見つけた、とでも言いたげな表情でリリアナは言い放った。
ここまで来ると怒りを通り越して呆れる。アイヴィはため息をつく。
「貴方達の幸せが私の不幸の上に成り立つものでも良いってこと?」
「私の不幸ってあなたは被害者のように振る舞っていますけど、レオンがあたしの所に来るのはあなたに原因がありますから。あなたは加害者なんです」
支離滅裂なリリアナの主張にアイヴィは真っすぐに目を見て告げた。
「仮にそうだとしても不貞行為をする方が悪いわ、自分達を正当化しないで。リリアナ、帰っていいわ」
アイヴィはリリアナを帰らせる。最後にアイヴィの方を睨みつけてきたが、相手にする気はない。
リリアナが去って青白い顔をしたレオンと2人きりになる。
「レオンは結局どうしたいの?」
アイヴィ―が聞くと、肩を震わせ答えた。
「離婚はしたくないです」
「陰でリリアナと私の事を馬鹿にして、私を裏切り続けてまだ結婚生活を続けられると思っているの?」
そう言うとレオンは黙った。
「貴方が離婚したくない理由は、私の実家が結婚生活を続けている間、貴方の実家に金銭的援助をしているからでしょう?」
アイヴィの実家は国一番の豪商チェスター家である。対してレオンは、ペリアル子爵家の次男。貴族の爵位を持つが、商人の家であるチェスター家よりも遥かに貧しい。歴史だけは長い子爵家がチェスター家にアイヴィとレオンとの縁談を持ち掛けてきたのだ。
チェスター家は貴族と親戚になる事で箔が付くだろうと考え、ペリアル子爵は経済的困窮から逃れようとしていた。
「家同士が決めた結婚だから離婚も私達だけでは決められない。実家に相談して結論が出るまで、貴方はあのリリアナの家に泊めてもらってください」
アイヴィはレオンを立ち上がらせると屋敷から追い出した。レオンは泣きながらアイヴィに許しを請うが、その声は扉の音にかき消された。
早速チェスター家に連絡し、父と母に話したい事があるから明日来て欲しいと告げる。
翌日、朝早くにやって来た父と母は、アイヴィの気迫を感じ取り、何かあったのかと問うた。訳を話すと、父は顔を真っ赤にして激怒し、母は涙を流した。
「あいつがそんなことをする奴だとは思わなかった! ペリアル子爵は歴史が長くて由緒正しい家柄だと思ったから縁談を承諾したと言うのに。見る目が無かったお父さんを許しておくれ……!」
「わたくしもあんな家とは金輪際付き合いたくありません。アイヴィをここまで傷付けておいて、謝罪だけでは済みませんよ」
父も母も離婚に賛成してくれた。結論は出た。後はレオンを呼び出し、必要な手続きを踏むだけだ。
「セバスチャン、レオンを今夜屋敷に呼び戻してちょうだい」
「かしこまりました」
その日の夜、アイヴィの指示通り、レオンが呼び戻された。
どこに泊まっていたのか分からないが、顔はげっそりとしていて、服は汚れている。
「結論が出ました」
レオンはびくりと体を震わせた。目を大きく見開き、焦点の合わない目でアイヴィを見やる。
「離婚です」
レオンは目に見えて肩を落とした。ぽつりと呟かれた言葉は尚も自身の事だけだった。
「……アイヴィと離婚ということになれば、俺は子爵家を追い出されることになる」
「リリアナに世話をしてもらえば? もう貴方とは他人、今すぐ荷造りをして出て行って」
レオンは何も言わず、子どものように泣きじゃくりながらアイヴィの言う通り、荷造りをした。その間、ずっと“遊びだったんだ、本当に愛しているのはアイヴィ、君だけだ”と言っていたが、遊びで心を殺されたアイヴィにとって何も感じなかった。レオンが泣こうが何をしようが興味がない。
レオンは号泣したまま、屋敷を出た。丸まった背中を見ながら、アイヴィは怒りがふつふつと湧き上がるのを感じた。
“デブでブスな”、“太っていて醜い”、レオンとリリアナの言葉が反芻する。
「……痩せてやろうじゃないの。痩せて綺麗になって見返してやろうじゃないの!」