8章 老人の島
8章 老人の島
白比丘尼島、地図
島からT都までの船は1週間後らしい。
それまではこの島に居る事になる。
船客の老人達はそれぞれの宿へと向かうようだ。
何人か洋館へ向かう客も居た。
透明な青緑の海。
濃い緑の木々。
人がすれ違うのがいっぱいいっぱいの道路。
潮風で錆びた看板や建物。
行き交う島の住人であろう老人達に挨拶をする。
宿の場所を聞くと気持ちよく教えてくれた。
「あー、ここはね、今の場所からもうちょっと進んでね」
「成程」
「4個並んでる旅館の左から2番目って覚えてね」
「成程、ありがとうございます!」
言われた通りに歩を進める。
島の中央にある鳥居の道が見えた。
鳥居は島の北へと続いており、その先に神社、更に船から見えた大きな洋館へと続いている。
洋館は島に似つかわしくない、アメリカの家の様な建物だ。
港から狭い道を歩き、宿へと到着する。
小さな民宿だ。
建物に入る老婆が気持ちよく出迎えてくれた。
部屋に案内される。
畳の和室に荷物を置く。
備え付けのポットで茶を入れた後、氷室の方に顔を向けた。
「それで、これからどうするんです?」
「……待機」
「待機ですか」
茶請けの羊羹を齧りながら氷室が言う。
火泥の不満そうな顔を見て、氷室が少し考え込む。
「そうだな……、暗くなるまでは歩き回っていいぞ」
「小学生じゃないんですから!」
そう言いながら火泥はスマホや財布を持ったか確認し、立ち上がる。
水引の呆れた視線を受けながら、部屋の外に出る。
宿のカウンターで暇を持て余していた老婆に何処を回ればよいか聞いてみる。
観光協会が配っているのであろう地図を見せながら愛想よく答えてくれた。
「そうだねぇ、この神社とか、もう少し向こうにあるトンネルの向こうは景色が綺麗だよ」
「こっちの方には何も無いのかい?」
火泥は島の東側を指す。
「こっちはお寺とお墓しか無いねぇ」
「成程……、そういやあのデカい建物は何だい?」
「……あそこはねぇ、ここの地主さんの家なの」
途端、老婆の顔の色が失せる。
快活さがなりを潜め、もごもごと口を動かす。
どう見ても何かある表情だ。
「……じゃあ、あそこに近付くのは止めとくよ」
火泥がそう言うと老婆はほっとしたような表情を見せた。
●
とは言っても滞在期間は長い。
まずは一通り見て回ろうとアテも無く彷徨ってみる。
まずは、と昼飯の為に食堂に入る。
当然のように魚がメインの料理が出てきた。
刺身と煮付けだ。
名前を聞いた事の無い地魚がたくさん盛られていた。
漁師料理のようなざっけの無さが嬉しい。
火泥の様な若い客は珍しいのだろう。
随分と大盛にして貰った。
港で昼飯を摂った後、ビーチを歩きそのまま東側に向かう。
墓地があると言われた場所だ。
東側の旅館からしばらく歩くと墓地が見えてきた。
森と山。
一面に広がる墓地。
それは北の方まで続いていた。
随分と広い墓地だ。
墓の中に小さな寺がある。
そこまで古い建物では無さそうだ。
開かれた扉の向こうに本尊が見える。
火泥はここに来るまで老人しか見かけなかったなと思い返す。
「……」
特に何があるという訳でも無いのだが祈る。
目を閉じ手を合わせる。
真後ろでびちゃり、と濡れたものが落ちたような音がした。
火泥は勢いよく振り返る。
濡れた物を引きずったような後が北に向かって続いていた。
●
「出かけてくる」
「警視?」
「おいおい、警視さんも出かけるのかよ」
火泥が出て少しした後、氷室も準備を始める。
土塔の発言に氷室は少し考え込む。
「……」
「いや……冗談だよ……、マジに考え込むなよ」
「そうか」
予想外の対応だったのだろう。
しどろもどろになりながら土塔が返す。
「護送っつったってこんな島で何があるんだ? お前も行ってこいよ」
「そんな訳にもいかん」
話を振られた水引が真面目な顔で言う。
土塔を睨み付ける。
「アンタには聞かなきゃならん事があるんだが?」
「こわ」
「頑張れ」
「はい!」
水引の返事を背に受け、氷室は外に出る。
島を歩いていると船の中で見た集団を見かけた。
鳥居をくぐり神社へと向かっている。
よく知っている顔だ。
政界の黒幕、芸能界の黒幕。
表には決して出てこない権力者。
都市伝説の生き物。
氷室は鳥居をくぐる。
前の集団は氷室に気付いたふうも見えない。
延々と続く鳥居と階段。
濃い緑が鳥居を覆っている。
『今から私はあの化物に特攻を仕掛ける』
『それでも殺しきれなければお前の体に封じてお前ごと殺す』
『良いな?』
20年前の父の声を思い出す。
結局、父と化物は相打ちになった。
風が吹き、目の前に神社が現れた。
何の変哲もない神社だ。
白比丘尼神社。
名前の通り人魚を祀っているのだろう。
社の更に奥。
場違いな洋館。
老人達の集団はそこに向かっているようだ。
平屋の洋館。
リゾート地にあるような、ある意味この島には似つかわしくない建物だ。
花の生垣。
プールやヘリポートが見えた。
館の中から中年の男性が出てくる。
これまた島の人間には似つかわしくない高級スーツを身に纏った男だ。
男のスーツに黒いシミが現れる。
それは何本もの黒い手を形どり、男の体を覆う。
「……」
若美 蓬莱。
この館の主人、そしてこの島の持ち主。
●
「あれ? 警視?」
もうすぐ日が沈む頃。
島を一通り歩き回った火泥は宿の前で老人達と話している氷室と会った。
目隠しが珍しいのであろう老人達の手と、死守する氷室の攻防だ。
「はいはい、そこまでねー。お兄さん困ってるから」
「はぁい」
間に入ると大人しく老人達は引き下がった。
この島の住人は随分と茶目っ気がある。
じゃあねー、と手を振りながら帰って行く老人達に手を振り返し、火泥は氷室を見る。
「出るならついて来たら良かったのに」
「……何か気になる物はあったか?」
「そっすねぇ」
船着き場のへりに座る。
コンクリートにぶつかった波が火泥の足にかかる。
「墓が……」
「墓?」
「随分多いんですよ、北の方までずーっとあって」
「……成程」
「あとあの洋館ってここの地主のもんらしいですよ」
「少し見てきた」
「えっ」
火泥は島を歩いて見た物、聞いた事を伝える。
きっとそれが氷室の力になるのだ。
「後、白比丘尼って人魚の事なんすね。あちこち人魚の銅像とか見かけました」
「そうか」
とりとめのない報告は老婆が晩飯の時間だと告げに来るまで続いた。
●
民宿の老婆の死亡が確認されたのは朝の事だ。
この島には警察署が無いようで、交番に駐在の警官が事情聴取と現場検証を行う。
随分と少ない配置だ、と火泥は思った。
「そ、そそそそれではですね、昨晩の」
「はい」
警察庁の職員が居る所為か憐れみを覚える程に緊張している。
氷室が馬鹿丁寧に対応している。
緊張しているのはその所為ではなかろうか、とは言わない事にした。
その近くで水引が医者の診断に付き合っていた。
老人の医者だ。
「老衰ですねぇ」
「……ふーん」
何か気になる事があるのか水引は遺体を見回っている。
火泥はしゃがみ込み遺体を見る。
「警部補?」
「血だ」
指さす方向を見る。
目尻に僅かに血が付いている。
瞼を開かせ、懐中電灯の光を当てる。
血で汚れた眼球の中央、そこに小さな穴、あるいは窪みがある。
「何の跡だこれ……」
「……」
明らかな事件性。
だが、何の事件だ。
これ以上は検視の必要があるだろう、と遺体を病院に運ぶ事になった。
遺体を運送する車を病院に取りに行く。
途中、観光客らしき集団とすれ違う。
「……あれ?」
火泥はその集団を目で追う。
若者が歩いている。
●
とある成分がある。
恐怖を与えた児童の眼球、その奥から採取できる成分。
若返りの成分とされているそれは、実際には若返り効果など無いとされている。