表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
陰謀論の住人  作者: 六年生/六体 幽邃
1部 死なない死刑囚
6/21

5章 物怪(もっけ或いはもののけ) 


 5章 物怪(もっけ或いはもののけ) 

 

 朝、再び署長から命令が下る。

 赤ん坊捜索の打ち切り、並びに母子草親子への接触禁止。

 

 せめて1発、殴ればよかった。

 自分の理性を火泥は恨んだ。

 

 ●

 

「先輩、眉間の皺」

「ほっとけ」

 

 信楽の気楽な声にぶっきらぼうに返す。

 見回りに行く気にもなれず、火泥は背もたれに身体を預ける。

 

「おかしいだろ、どう考えても」

「上にはなんかあるんスよ、多分……」

「所詮所轄が何考えるんだよ!」

 

 もっと上、それこそ警察庁ならいざ知らず。

 そう思った瞬間、火泥は氷室の事を思い出す。

 

 その事を見透かされたのか信楽が畳み掛けて来る。

 

「先輩、警察庁の人と会ったんでしょ?」

「そうだけどさぁ……」

 

 やけに署長を庇うな、と睨みつけると両手を上げながら信楽が慌てて言い訳を始める。


「あんな化け物と会うと、その」

「……まぁな。無事で良かったよ」

 

 何事もなかったとはいえ実際に病院送りにされているのだ。

 信楽の発言は尤もである。


 互いに言い淀み、妙な沈黙が流れる。

 それを破ったのは火泥のスマホから流れる着信音だ。

 

「……もしもし」

『あ……』

 

 薫だ。


 火泥は周囲を見回し、デスクの陰に隠れる。

 何故か信楽も近付いて会話を盗み聞く。


 何と言うか迷っていると薫が切り出した。

 

『今朝、警察の人が来て……火泥さん捜査出来なくなったって……』

「はい……。申し訳ありません」

 

 そんな手回しまでしているのか、と逆に吹っ切れそうである。

 火泥の謝罪に薫が淡々と返す。

 

『いえ、母が何かしたのでしょう』

「……」

 

 実際の所は火泥にも判らない。

 鍵を握るのは氷室だろう。


 氷室は揉み消しの為に動いているのだろうか。

 それとも別の何かがあるのだろうか。


 何もかも闇の中だ。


『それに私、晃を見つけたんです』

「……え?」

 

 様子がおかしい。

 明らかな異常事態であるのに冷静すぎる。

 

 何処で、と聞く前に薫が答えた。

 

『赤光の家です。母の車も止まってるし……。それに見えたんです。

あれは晃です。絶対そう。母について行って奥の大きな建物の中に居るのが見えたんです』

「見えたって」

 

 声に混じる狂信に、しどろもどろに対応する。


 晃は8カ月の赤ん坊だ。

 塀の外からどうやって赤ん坊が見えるというのだ。


 ましてや奥の建物はマジックミラーだ。


『だから今から取り返してきますね』


 通話が切れた。


「……」

「先輩……?」

 

 スマホを耳に当てたままの火泥を信楽が心配そうに覗き込む。

 ツー、ツーと音がするスマホをそのままに、火泥はふらふらと立ち上がる。


 白紙のコピー用紙を用意し、デスクの引き出しから封筒を取り出す。

 さらさらと文章を書き、封筒に退職願と書いた。


 もうどうにでもなれ。

 封筒を信楽に投げ渡す。

 

「後は任せた!」

「ちょ……! 先輩!」


 信楽の声を背に火泥は赤光の家に向かう。


 ●


 赤光の家。

 その奥にあるマジックミラーの建物。

 

 自動ドアを割って入る。

 児童養護施設に似つかわしくないそれは研究所の様な内装だ。

 

 遠ざかる足音が聞こえる。

 羽衣のものだ。

 

 薫は急いで足音を追う。

 音は地下に向かっている。


 ●


 車から転がるように降り、火泥は赤光の家を見る。


 開かれた門。

 無人の施設。


 中に入り奥の施設に向かう。

 割れた自動ドアの前に氷室が立っていた。


「警視……」

「!」

 

 火泥の声に氷室が顔を上げた。

 務めて冷静に声をかける。


「まさか割ったんですか?」

「そんな訳あるか。来た時には割れていた」

「ですよね……」

 

 と言う事は薫が割ったのか。

 急がねば、と中に入ろうとする火泥を制し、氷室が目隠しの奥から鋭い視線を寄越す。

 

「何故居る」

「っ……、電話があって」

「電話?」

 

 拒絶の色を隠さない氷室にたじろぎながらも火泥は答える。

 薫からの電話の内容を伝えると氷室が建物の中を見た。

 

「署に戻れ、悪いようにはならない」

「戻りません、退職願出してきました」

「……」

 

 ずかずかと建物内に入る火泥の後に氷室がついて来た。

 体格差を承知しているのか、無理矢理引き留める素振りは無い。

 

 受付の人間すら居ない建物の中を進む。


 氷室は沈黙を貫いている。

 何の説明も無い事に火泥の苛立ちが頂点に達した。


「揉み消すのに俺が居たら不都合ですか!」

「!」

 

 ヤケクソ気味に振り返ると氷室が唇に人差し指を当てながら周囲を見回した。

 火泥は思わず口に手を当てる。


 何処かからか言い争うような声が聞こえる。


「地下か」

「あ……」

 

 今度は氷室が先に進んだ。

 火泥は何も言わずに後を追う。


 足音を立てないようにゆっくりと階段を下りる。

 

 階段を下りた真正面。

 真っすぐな廊下の先に1つだけ部屋がある。


 声はそこから聞こえていた。


 壁に張り付きながら氷室が部屋に近付く。

 火泥もそれに倣い、じりじりと近付き、部屋を覗き込む。


 コンクリートで出来た、悪趣味な手術室。

 部屋の感想はそれに尽きた。 


 緑色の壁にべったりと血が着いている。

 見える限りの器具は錆び付いている。


 壁の上部がガラス張りになっており、向こう側からこちらが見下ろせるようになっている。

 見学部屋、といった感じだ。


 手術室自体も大人数を入れるかのような無駄な広さ。

 何にしてもこの部屋が本来の役割を果たさないのは目に見えた。


「晃はどこ」

「貴方が知る必要は無い」

 

 入り口から見て部屋の手前に居るのは薫だ。

 その奥に50代程の女性が居る。


 写真で見た事がある。

 母子草 羽衣だ。


 白いスーツを着ている。

 生白い照明に照らされて妙にのっぺりしている。


「……!?」


 白いスーツに黒いシミが現れた。

 それは徐々に手の形を取る。


 体中に纏わりつく黒い手。

 大きいもの、小さいもの。

 それらが羽衣を逃がすまいと絡みつく。


 薫、そして羽衣本人は気付いた素振りも見せない。

 

 火泥は氷室の顔を見る。

 表情に変化は無い。


 幻覚なのか、火泥だけに見えているのか。

 何も判らない。


 薫の甲高い声が聞こえる。


「ここにあった死体の中には居なかった! どこに隠したの!」

「……! まさか駅の事件は貴方の仕業!?」

「そうよ! ああすれば嫌でも警察動くでしょ!」 


 今、薫は何と言った。

 火泥の硬直を他所に会話が続く。


 思考と会話を切るように氷室が動いた。

 ヒールの音が地下に響く。

 

 2人の視線が部屋の入口に向く。


「……!」

「あ……」

 

 薫が火泥を見て目を逸らした。


 何故、と聞きかけて何とか堪えた。

 理由など判り切っているのだ。

 

「……」


 口に手を当て、何も言わずに薫から目を逸らす。

 氷室が羽衣を見ながら冷たく言う。

 

「母子草 羽衣さん。六道星が話があると」

「……!」

 

 恐らく氷室の上司の名前なのだろう。

 羽衣がたじろぐが、すぐさま氷室を睨みつけながら言った。

 

「せ、責任を取れって話でしょ。機密を流出させたから!」

「……」


 羽衣の言葉に氷室は何も答えない。

 沈黙に追い詰められた羽衣が更に狂乱する。


「ならそれ以上の功績で挽回するわ! 偽物の一族よりも、私の実験の方が国家の役に立つって証明して!」


 お前を殺して!


 羽衣の声と同時に天井から黒い塊が落ちてきた。

 黒い布を被った化物。


 何度か見たその姿は血臭を放っている。 

 巨大な口に似合わない小さな声が聞こえる。


 ぎゃあ、おぎゃあ。

 

 怪物の顔らしき部分が裂ける。

 中から出てきたのは血に濡れた赤ん坊の顔。

 

「晃――!」


 耳を塞いでいる暇など無かった。

 

 悲鳴と叫び声。

 化物に取り縋ろうとする薫を火泥は辛うじて抑え込んだ。


 氷室が軽く袖をまくる。

 長手袋に覆われた腕に腕時計があった。


 氷室が腕時計を見ながら呟く。 

 

「事件ファイル、し-26。死なない死刑囚、晃のコトリバコ。ゼロキュウサンヨン、処理開始」

「公安局うぅぅうう!」

 

 羽衣が叫び、氷室の懐から取り出された拳銃が化物に向けられた。


 ●


 六の一族。

 裏の世界で語られる陰謀論。

 因果応報、悪は滅ぶという有り得ざるもの、誰にも等しく訪れる恐怖。

 

 陰謀論の世界で6という数字は特別な意味を持っている。

 悪魔の数字、六道、北極南極との境。


 彼らは名前の何処かに6を隠し持ち、瞳孔が明るいという人ならざる特徴を持っている為、目隠しをしている。

 公安局の職員達が使う偽名、或いは本名、そして目隠しはそれを模した物だ。


 ●


 まずは2人から化物を離す。

 氷室は化物に攻撃を仕掛け気を逸らす。


 火泥が薫を安全な場所まで離した。

 

 息子から離れまいと藻掻く薫を見送り、氷室は飛び上がる。

 頭、腕、足への蹴り。

 

 化物は防御態勢を取らず、ブヨブヨとした感触が足を弾き返す。

 着地の瞬間、化物の腕が振り下ろされ、コンクリートの破片が飛び散る。


 避けながら1発、胴に向かって撃つ。

 化物が腕で銃弾を止め、鉛玉が床に落ちる。

 

 間合いを取りながら氷室は胴体への攻撃方法を思案する。


 弱点は胴体、核になっているのは本物のコトリバコ。 

 だが胴体の何処にあるか不明、かつ真正面から胴体への攻撃など早々当てられる物でも無い。

 防御されるか、悪くて掴まれて投げ飛ばされるか、振り回されるかだ。

 

 まず懐まで飛び込んで至近距離で1発。 

 そこから抵抗され、化物の攻撃に当たる。

 喰らえば当然痛いが、割り出さねば話にもならない。 


 決まったと同時に鳴ったのは、氷室より重たい足音。

 革靴の足音。

 氷室は咄嗟に引き金に掛けた指を離す。 

 

 火泥の横入と攻撃。

 甲高い、金属が固い物に叩き付けられたような音。 

 消火器で胴体を殴られた化物が尋常ならざる泣き声を上げる。


 氷室の思考が刹那で回る。


 火泥が殴ったのは脇腹、人体で言う所の肝臓部分。

 音から判断し、木箱はそこにある。

  

 コトリバコ。

 死んだ子供達の箱。

 触れると死ぬ呪われた品。


「……っ!」

「もういい」


 追撃を行おうとする火泥を急いで止める。


 火泥の肩を掴み後方へ引っ張る。

 ぐしゃぐしゃになった顔を見ずに火泥の前に立つ。


「それ以上はしなくていい」

 

 火泥へと腕を伸ばす化物の懐に飛び込み、銃口を脇腹にくっ付ける。


 1発、2発。

 化物の体に穴が開く。

 

 3発、4発。

 穴から体中のコトリバコが見えた。


 氷室は化物の傷口に手を差し込み、コトリバコを掴んで引き抜こうとする。

 

 ぐい、と凄まじい力で氷室の体が引っ張られる。

 ガツン、とヒールを踏み鳴らし踏ん張る。


 コトリバコを体内に引き戻そうとする水流の様なもの。

 氷室ごと体内に取り込もうと絡みつく粘液、怖気、泣き声。 

 

 ぶちぶちと蔦を引き千切る様な音を鳴らし、穴だらけの木箱を体外に引き摺り出す。

 氷室は手の中の物を握り潰した。


 大量の黒い液体が噴き出し、化物の動きが止まる。

 泣き声が止まり、どさり、と音を立てて倒れる。

 

 もう化物は動かない。


 ●


「警視。母子草 羽衣の確保完了しました」

「判った」

 

 戦闘が終わると、黒い服を着た男達が部屋の中に入ってきた。

 特殊部隊の様な服だ。

 

 薫がフラフラと化物――晃――の死体に近付く。

 動かないそれに無言で触れ、撫でている。

 

「……」


 男達は慣れた様子で事後処理を進めている。

 火泥は壁にもたれかかりながら何も言わずに見ている。

 

 氷室が男達に指示を出している。

 令状等はどうなっているのだろうか、と考えて自嘲した。


 出る幕など最初から無かったのだ。


 もう涙も出ず、徐々に思考が暗く沈んでいく。

 意識も沈めてしまおうと目を閉じた時だ。


 どん、と大きな爆発音と揺れが起きた。

 火災報知器がけたたましく鳴る。 


 間を置かずに次の爆発音が続く。

 部屋の照明がチカチカと点滅し始めた。


 急いで片目を閉じる。

 照明が完全に消え、部屋が真っ暗になった所で両目を開けた。

 

 壁に亀裂が入り、割れる。

 見学部屋のガラス部分にもヒビが入り、砕け散った。


「!?」

 

 火泥は確かに見た。

 見学部屋の中に何か居る。

 

 2本の足で立つ、蜥蜴の様な水銀の様な何か。

 巨大な口が目に入る。

 

 それがこちらを見下ろしている。

 建物から逃げる素振りを見せもしない。


 口が嘲笑のような形をとった。

 それが何か判らなくとも、悪意をもってこの爆発を引き起こしたのは理解した。


「撤収! 総員撤収!」

 

 誰かが叫び、男達が静かに建物から避難する。

 火泥は薫の方へ視線を向けた。

 

 爆発など無いかの様に死体を撫でている。

 揺れに足を取られながらも急いで救助に向かう。


 氷室が火泥を思い切り引っ張った。 

 天井から落ちてきた巨大な瓦礫が進路を断絶する。


 次々と瓦礫が落ちてくる。

 諦めきれずに伸ばそうとした腕を手袋をした手が掴んで止めた。


「け」


 警視、と呼びかける前に氷室が首を振った。

 引き摺られながら瓦礫の向こうを見る。


 向こう側は驚く程に穏やかだった。


 赤ん坊が母親の腕に居る。

 そんな光景を見た。


 ●

 

「俺は、ただ、ちゃんと親の所に帰せたらって、それだけなのに」

「……判ってる」


 氷室に引っ張られ建物の外に出た瞬間、一際大きな亀裂音が鳴った。

 轟音と共に崩壊し、土埃が天に昇る。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ