17章 チェーンメール
17章 チェーンメール
現在のスーパーコンピューターの性能は人間の脳の1%である。
いずれは人間の脳を電子化、保存するという研究もあるがそれは未だ不可能である。
500年後、空に街が浮き、上下左右に電磁が飛び交う頃には実用化されているかもしれない。
戦後、仙薬の行っていた研究とはそういう物であった。
●
私立智嚢学園。
何の変哲もない私立高校、といった風情の校舎。
登校時間を過ぎた校門には誰も居ない。
校舎の窓から生徒達が移動しているのが見えた。
だだっ広い駐車場を抜け受付に向かう。
水引達が受付を済ませるとすぐさま応接室に通された。
ソファーとテーブル、観葉植物、業務用のパソコンがある。
「……?」
この場に似つかわしくない明らかな業務用のパソコンだ。
水引が首を傾げていると扉が開く。
60代程のうだつの上がらない中年といった風体の男が部屋に入って来る。
天薬幸夫。
智嚢学園学園長。
「け、警察との事ですが何か我が校の生徒が……?」
「いえいえそうではなくてですね」
水引は公園で出会った女生徒達の話を伏せて天薬に説明をする。
再度捜査をして欲しいと匿名の通報があった、といった風にだ。
「な、成程」
「同じ事を何度も聞いてしまうかもしれませんが……」
いや、と天薬が話を進めようとする。
土塔の方に視線が向いては逸らされるを繰り返しながら冷や汗を拭いている。
見ていて哀れになる程だ。
「そうですね、最近は生徒さん達に何か異変は」
「いえ、最近は何事も無く……」
汗を拭きながら天薬が答える。
まだ夏は来ておらず、部屋の空調は心地良いのにまるで真夏の炎天下の様相である。
「通報では行方不明になった生徒さんが失踪直前に怯えていたと聞いているのですが」
「はい、生徒達同士で気に掛け合っていたようではあったのですが」
事件は起きてしまった、と言う事か。
「通報でチェーンメールの話が出たのですがそちらでも把握していますでしょうか」
「ええ、把握しています」
ええと、と天薬が1台の携帯電話を取り出す。
何の変哲も無いスマートフォンである。
「こちら教師や生徒に貸与しているものでして、ある程度の内容は」
「拝見しても?」
「ええ」
水引は画面を見る。
メール、電話、時計、時間割。
学校で使うようなアプリが入っている。
「この時間割は生徒さん達の方も見れるんです?」
「ええ、その辺りは全ての端末に入ってますね」
「チェーンメールが流行ったのもこちらの端末?」
「ええ……」
ですので生徒の悪戯だと思っていたのですが。
そう天薬が言い淀む。
警察ならまだしも、民間がチェーンメールを辿り、どこから送られて来たかを調査するのは現実的ではない。
ましてや相手がインターネット上では、だ。
「行方不明になった生徒さんの端末は本人が?」
「はい、恐らくは。こちらでは見つかっていませんね」
「そうですか……」
基本的な所は聞けただろうか。
「ちなみにちょっと気になったのですがあのパソコンは」
「……最近はインターネットでの会議も多い物ですから」
「成程」
そういうものか、と話を切り上げる。
ついでに、と水引は学園長に向き直った。
「少し校内を見て回っても?」
「あまり生徒達を刺激しないのであれば……」
「ええはい、それはもう」
そう言って水引達は部屋を出る。
と言っても何か当てがある訳でもなく、ぶらぶらと廊下を歩く。
智嚢学園はアクラガス製薬が創設した学校法人である。
大企業が地域貢献の為に様々な法人を持つ事は珍しくは無い。
事件の影響もあってか、教室の引き戸の窓から見える生徒達の顔は浮かない。
生徒達は各自のパソコンと向かい合いながら授業を受けている。
情報の授業、という訳ではなくどの教室にもパソコンがあった。
「おぉ……最近の学校はどの教室でもパソコン使うのか」
「ここは相当力を入れてるんじゃないか。俺の学校ではこんな事は無かった」
「ふーん?」
感想を言い合いながらしん、とした廊下を静かに歩く。
少子化のこの御時世に珍しく教室が多い様な気がする。
減に幾つかは全く使われていないようであった。
パソコンを大量に扱う関係なのだろう。
冷房が効きすぎて寒いくらいだ。
「いやいくら何でも寒すぎないか」
「そうか?」
「お前はなぁ……!」
火泥以上の筋肉の持ち主ならばそういう感想にもなるだろう。
一通り校舎を見て回り、水引達は公安局へと戻った。
●
「そうか、分かった。そのまま戻ってくれ」
公安局に戻ると氷室が誰かと電話していた。
終わりかけだったようですぐにこちらを向く。
火泥は敬礼しながら挨拶をする。
「ただいま戻りました……。あれ、何です焦げ臭いですね」
「証拠品のスマホが爆発した」
「は!?」
戻った途端、とんでもない情報が耳に入ってきた。
火泥はずかずかと氷室に近付く。
「そっちは?」
「そんな事より怪我は!?」
「……」
氷室が何とも無い、という風に手を握ったり開いたりを繰り返した。
何事も無い、と言う事なのだろう。
そうしている内に水引達も戻ってきた。
「只今戻りました、警視」
「何だこの臭い」
土塔の発言に奥の職員が換気扇を回した。
火泥はそれ以上の言及をやめる。
「火泥?」
「……報告します」
納得いかないながらも火泥は報告を続ける。
店内に異常は無かった事。
珈琲を飲んだが今の所、体調に異常は無い事。
自身のメールアドレスを登録してきた事。
何度か川上は来店した事、死亡する直前にも来店していた事。
それらを告げた途端、火泥の携帯電話が鳴った。
●
こんにちは! ファラリスです!
大変申し訳ありません。
ご好評頂いていたリレーメールフェアでしたが想像以上の来客により一時停止となりました。
これからも変わらぬご愛顧の程をよろしくお願いします。
レストラン、ファラリス。
住所、T都MB区1-■-3。
電話番号、0×-×3××-×95×
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「ふむ」
「なんかあったんですかね……?」
警察官が来た、にしては動きがおかしい。
何か別の所で向こうにとっての異常事態が起きたと考えるべきだろう。
「そっちは?」
「はい」
氷室が水引に水を向けた。
水引が行方不明になった女生徒に関する情報を報告する。
チェーンメールを馬鹿馬鹿しいと切り捨てていたが失踪直前には怯えていた。
何か心変わりがあったか、直接的な被害でもあったのだろうか。
被害者の川上はチェーンメールを誰かに転送していなかった。
そこでひとつの共通点が見える。
「被害者の共通点は」
「チェーンメールを止めた人間……?」
そう言うが早いか氷室は火泥のパソコンからインターネットケーブルを引っこ抜く。
パソコンに自分の携帯電話を繋ぐ。
「門叶」
「は」
向こうにとってもこのキャンペーンの中止は急な話の筈だ。
ならば痕跡がまだ残っているのではないか。
「火泥さんバックアップ取ってます? データ全部消えますけど」
「やっちまってください……」
門叶、と呼ばれた職員が作業を進める。
書きかけの報告書が全てパァだが背に腹は代えられない。
少し落ち込む火泥の後ろで氷室が情報を開示する。
「レストランファラリスはアクラガス製薬のグループ会社だ」
「そうなんです?」
それに反応したのは水引だ。
智嚢学園、という場所を捜査していたらしい。
そこもアクラガスの関係する場所だそうだ。
「製薬会社がレストラン?」
「健康は食から、とか理由は付けられるからな」
「なっるほど」
あまりピンと来ない組み合わせだったのだろう。
首を傾げる土塔に氷室が補足する。
門叶が作業を終わらせた。
「警視、バックドアです」
「……」
バックドア。
その名の通り、仕込む事で相手のパソコンに簡単に侵入できるようになるコンピューターウイルスの一種である。
メールで感染し、拡散するウイルスだ。
水引がそれを聞いて得心がいったように声を上げる。
「そうか、それで被害者に接触したんだ」
行方不明になった女生徒の動きにもこれで納得がいく。
問題はレストランの方だ。
「……警視」
「……」
火泥は氷室の方を見る。
恐らくは何かを掴んでいる。
だがそれを火泥に告げるのを氷室はしないだろう。
都市伝説の世界から火泥を遠ざけたいと思っている。
「証拠品のスマホが燃えたのと犯人に何か関係あるんでしょ」
「……」
氷室が長い溜息を吐いた。
「時系列から考えると、川上が店を訪れアドレスを登録する、チェーンメールを送らない、死亡の順番になるだろう」
「そうですね」
「そして体内から出てきたのは蜥蜴人間の幼体だ。さっき結果が上がってきた」
「!」
犯人の目的は明白だ。
あの生き物を増やそうとしている。
火泥の脳内が急速に回転を始める。
チェーンメールの痕跡。
行方不明者の身体。
それを管理できるのは何処だ。
「あまり時間も無い」
悩む火泥に氷室が1枚の紙を差し出した。




