16章 別件
16章 別件
医療や製薬会社に絡む都市伝説は多い。
歴史上、非人道的な実験による科学の進歩を否定出来ないからだろう。
軍、精神病院、或いは国の主導。
20世紀を超え、それらの実験は禁止され完全に消え去ったのだろうか。
断言は出来ない。
●
T都MB区。
その一角にあるレストラン、ファラリス。
煉瓦と土壁、木とガラスの扉、花壇の花は生き生きとしている。
可愛らしさと上品さを備えた外観は火泥に縁が無い物である。
「……」
火泥はコッソリと店の中を伺う。
外観の通り、店の中には女性客が多い。
いくら何でも火泥1人で入ると浮くのでは、それ以前に薬物疑いがある店の物を食べると拙いのでは。
そう考えた時である。
「あれ、先輩?」
「……んん!? 信楽!?」
声をかけられ振り返ると懐かしい顔があった。
信楽。
火泥が居た所轄の後輩である。
「どうした? 管轄外だろこんな所」
「いやまぁ、先輩が辞めた後に色々と」
「……いや、うん、すまん」
火泥はすっと目をそらした。
死なない死刑囚事件後、何かしらあったのだろう。
謝ってもどうにでもなる物でもないが思わず謝罪の言葉が漏れた。
「やだなぁ! 先輩の所為じゃ無いっすよ! ま、立ち話もなんですしここ入りましょ!」
「お、おう……。ん!?」
腕を引っ張られた事に気付いた頃には遅かった。
扉が開き、いらっしゃいませと店員の声が上がる。
「し、信楽」
「2人です!」
事ここに至って騒ぐ訳にも行かず案内された席に座る。
お冷が置かれ、ごゆっくり、と店員が去った。
「……お前こういう場所は」
「え? 詳しく無いっすよ」
メニューを見ながら信楽があっけらかんと答えた。
どうすんだよこの状況、と考えている間にホットコーヒーをふたつ注文される。
なるようになれ、とヤケクソで火泥は店内を盗み見る。
外観の通り上品な店内。
商品のポスター等は何も張られていない。
女性客が多く、注文しているのは何の変哲もない甘味に見える。
体調も普通、痙攣、震え等の薬物中毒者の様相は見られない。
店内も静かで誰かが倒れた、とかそういった事も当然無い。
食品に何かが盛られている、と言う事は現時点無いのだろう。
火泥は手持無沙汰にメニューを見た。
飲み物、甘味、軽食。
それだけのシンプルなメニューである。
珈琲を持ってきた店員にも不審な所は無い。
口を付けても問題ないか、と考える前に信楽が一口飲んだ。
「あー……珈琲うめぇ……」
信楽がしみじみと感想を呟く。
火泥もつられて珈琲を一口啜る。
程よい酸味と苦みが口の中に広がる。
もう一口。
所轄署の泥の様な珈琲とは別物である。
店内の様子は一通り探っただろうか。
火泥は信楽の近況を聞く。
場所こそ変わったが今でも変わらず所轄の刑事であるらしい。
「その辺は相変わらずか」
「まぁ何処も変わんないっすね」
公務員に絡む予算は減少の一途を辿っている。
必然、こういった嗜好品も最底辺の物になる訳だ。
「もうちょっとこういう部分に予算出ないっすかね」
「しゃあねぇだろ、上が何とかしてくれにゃ」
そう言えば下っ端とはいえ今やその上の組織に所属しているのだ、と思い出して苦笑いを浮かべた。
●
仮眠から目覚め、氷室はソファーから身を起こす。
先程の会話から1時間程、休憩としては充分だろう。
気怠い頭を冷め切った紅茶で覚まし氷室は公安局内を歩く。
火泥はまだ戻っていないようだった。
自身の携帯電話を見る。
何も報告は入っていない。
まだ目立った事は起きていないのだろう。
であれば、と氷室は別の作業の進捗を確認する。
局内に1つ、インターネットにも警察庁のサーバーにも繋がっていないパソコンがある。
現場にあったデータの解析用パソコン、手がかりのデータがウイルスに感染していても被害を広げない為の処置。
その前で1人の男が作業をしていた。
喪服の様なブラックスーツ、黒いコート、黒い革手袋の20代中頃の男だ。
「警視」
「まだかかりそうか?」
「いえ、もうすぐ」
門叶アガマ。
公安局清掃課、警部。
「……穴熊は?」
「前の事件の聴取に」
「あぁ」
そうか、と呟き氷室はパソコンの画面を見る。
現場で発見されたチェーンメールの解析はまだ終わっていないようであった。
「何か難しい部分でもあったか」
「珍しくお休みでしたのでゆっくりやろうかと」
「……起こせばいいのに」
「いやいやいやいや」
もっと寝てて下さい、と言いながら門叶がキーボードを叩く。
氷室はパソコンと繋がっている携帯電話の画面を見た。
電源が落ちている。
「門叶」
「はい?」
「来てるぞ」
「は? ……!?」
門叶がキーボードやマウスを押したり引いたりする。
だが何の反応も返ってこない。
パソコンの画面が急に真っ黒になる。
砂嵐、砂嵐、砂嵐、そしてメッセージ。
ザザザと不快な音の中に墨で書かれたような真っ黒な文字。
いつでも何処でも見張っている。
蜥蜴の種に手を出すな。
仙薬 丑夫。
「警視!?」
線ごとパソコンから携帯電話を引っこ抜き、金属バケツに投げ入れた。
バケツの中でバチバチと火花と火が上がる。
この携帯電話は二度と動かないだろう。
騒ぎに気付いた職員が消火器を持って来る。
門叶が氷室の手を取った。
「警視! お怪我は!?」
「問題無い」
氷室はメッセージを映すディスプレイを見た。
暫く明滅を繰り返していたそれはブツンと音を立てて再び真っ黒になった。
「仙薬 丑夫」
「今資料を」
「いい、覚えている。それよりパソコンの修理急げ」
「はっ……」
言葉少なく指示を出し、氷室はソファーに戻った。
蜥蜴の種、その意味を考える。
仙薬 丑夫。
アクラガス製薬創設者。
不老不死の研究者、その1人。
死亡日時、1952年5月7日。




