11章 ひとでなし
11章 ひとでなし
都市伝説の誕生には類似した、或いはそのものの事件の発生が不可欠だ。
白比丘尼島の人魚信仰の発生にも当然、何かしらの事件があったのだろう。
現代ではもう影も形も無いものだ。
●
氷室が再び火泥と合流したのは日が落ちかけた頃だ。
差し込む西日の向こうから火泥がこちらを見てくる。
「警視、この事件は何なんです」
「……」
「わかりました、何聞いても突っ走りません、本当に」
火泥が公安局に来た経緯を思い出し、氷室は渋い顔をする。
それを察したのか火泥がしどろもどろに言葉を紡いだ。
だが、これ以上隠すのは無理だろう。
「まずこの島には人魚伝説があった」
「あぁ、島に石像ありましたね」
「そうだな。都市伝説自体は人魚の肉を食べると不老不死になるというメジャーなものだ」
「って割にはこの島……」
老人ばっかりですね、と言おうとしたのだろう。
火泥が微妙な顔で頬を掻く。
「バブル当時はそれを売りにしていたようだが、今となっては、というのが大体の所だ」
「だけど何故か、ってのを探りに来たんですよね俺達。護送も無くは無いんでしょうけど」
「……」
「あの殺人事件もそれに関係している?」
何か確信染みた声で火泥が言った。
伝えていた任務は土塔の護送、護衛だけの筈だ。
「……何を見た?」
「えぇと」
それが何を意味するのかは判らないが、と前置きを付け火泥が報告する。
妙に年寄り染みた服を着た若者達の事。
氷室達が来てから一度も船は来ていない事。
「……」
「すみません、報告が遅れて」
「いや……」
つい先ほどの話であるし氷室と別行動をしていた時の話だ。
火泥を責めるつもりは無い。
そこまで見境が無くなっているのか。
これでは護送、護衛どころの話では無い。
「……」
「警視?」
どん、どん。
火泥がこちらに来ようとするのを荒いノック音が遮った。
「なぁ、ちょっといいか」
「……どうした」
火泥が返事をすると土塔が入ってきた。
頭を掻き、眉間に皺を寄せている。
「警部補さん知らねぇか。さっきから見かけねぇんだが」
「……」
突っ走るのは火泥だけでは無いようだ。
●
もうすぐ日が落ちる。
その表情を敢えて形容するならば憎悪、と言うのだろう。
警察官の仮面を投げ捨て、水引は鳥居が続く階段を上る。
血走った目、早鐘を打つ心臓。
水引は興奮と疲労で上がった息を潜めながら奥へと進む。
古びた鳥居、真っ赤な鳥居。
神社を越え豪邸に辿り着く。
しんとした邸宅。
格子の様な金属の門から中を覗き込む。
中に居るのか、それとも誰も居ないのか。
巨大なガラス窓から見える建物内に人影は無い。
水引は門に手をかける。
門には当然鍵がかかっている。
生け垣を乗り越え、邸宅の中に入る。
場違いな水色のプールが揺れている。
窓に近付かないようにしながら入り口を探す。
周囲を歩き回っていると、建物に似つかわしくない錆び付いた扉があった。
可能な限り音を立てないようにドアノブを捻る。
鍵はかかっておらず、キィ、と甲高い音を立てて扉は開いた。
まず血の臭いに顔を顰めた。
消毒の気配すら無い、錆びた部屋。
明かりは無く、西日を飲み込む洞の様な入口が水引を迎える。
足元に注意しながら階段を下りる。
じゃり、とコンクリートを踏みしめる。
明かりは無く、目を慣らしながら奥へと進む。
足音を立てぬようにゆっくりと歩く。
ざり、ざり、ざり、ざり。
ざり、ざり、ざり、ざり。
突然の明かりに目が眩んだ。
裸電球の下に鉄枠を組んだような椅子。
黒い革の拘束ベルト。
資料通り、ここで実験が行われているのは間違いない。
子供の脳から採取した成分、それを老人に与え若返らせる実験。
島の伝説を隠れ蓑にした、本来起こりえない現象。
悪趣味で、ショー的なそれは島の地主という支配者となって行われているのだ。
だが水引の目的はそれでは無い。
「……招かれざる客だ」
「!」
背後からタックルを食らう。
掴まれた腰を振り回され壁に叩き付けられた。
裸電球の下に若美が現れる。
高級スーツ、40代後半程の高慢ちきな顔。
忘れた事は無い。
「公安局か? あの六付きではなさそうだが」
「……! 何の事だか!」
「ふぅん」
余裕綽々という風に若美が椅子に寄りかかる。
水引は若美の顔を睨み付ける。
「ん? お前何処かで」
「……!」
若美が何かを思い出そうと顎に手を当てた瞬間、
金属同士が激しくぶつかり合うような音と、黒板を引っ掻いた様な嫌な音が部屋に響いた。
●
「お前な」
「見逃してくれよ、緊急事態だろ?」
土塔のブーツ。
蹄鉄が仕込まれたそれが鉄の扉を蹴破った。
水引は何処だと目撃情報を追いかけてみれば、明らかに錆びた生臭い臭いの鉄の扉が半開き。
緊急事態だが蹴破る必要は無かっただろう。
「警視はちゃっかり耳塞いでるし」
塞いでいた耳を解放し、氷室が部屋の中に入る。
火泥は足早にヒール音を追いかけた。
打ちっぱなしのコンクリート。
血の臭い。
足早に階段を下りていく。
地下の広い部屋に照明の下に若美と水引が居た。
「警部補!」
「な、なんで」
「バレたくないのならもう少し見られないように動け」
水引の疑問に氷室がそっけなく答える。
氷室の姿を見て動揺している若美が突っかかってきた。
「れ、令状は」
「都市伝説の住人が法を語るか。お前が観光客……、
いや、顧客にばら撒いた物が何か、知らないとでも」
「……」
氷室の冷たい声が若美を口籠らせる。
「そうだろう、若美 蓬莱、95歳」
「……は?」
「……貴様!」
一瞬の沈黙の後に困惑と憤怒。
火泥は若美の顔をまじまじと見る。
どう見ても50代程だろう。
だが図星を突かれたかの如く若美の顔が物凄まじく歪んだ。
「だからどうした」
低い声。
それと同時に若美が懐に手を突っ込む。
「お前達さえ凌げばいいんだ……!」
懐から取り出した注射器を乱暴に自分に刺す。
中の薬液が減ると同時に若美の姿が変わっていく。
50代、40代、30代。
それは有り得ない早さで若返っていく。
「事件ファイル、し-16。白比丘尼、若美 蓬莱。ゼロイチゴサン、処理開始」
氷室の言葉と同時に人ならざる咆哮が地下を揺らした。




