10章 別に仔細なし、胸すわって進むなり
10章 別に仔細なし、胸すわって進むなり
例えば昨日の晩飯は旨かったとか、とか。
この島を案内する時は朗らかだったとか。
今思えば何処か言動が子供じみていた様な気がしていたとか。
火泥はその程度の事しか知らない。
だがそれは撤退の理由にはならない。
決してだ。
煙草を揉み消し、火泥は聞き込みを始める。
●
現場検証が終わり、検視結果が出た。
死因は眼球から細い針の様な物を刺され、脳にまで達した傷による外傷性脳損傷。
事故ではない、殺人事件だ。
所轄の刑事達に混ざり火泥達も島の老人達に聞き込みを行う。
様子がおかしい水引の様子見、そして事件解決の為だ。
だが、住民達の口は堅かった。
「昨日起きた事件の事でね」
「……」
和やかに話していた老人が事件の事になると黙り込んでしまう。
この反応は前にも見た。
火泥が地主――若美――の事に触れた時の被害者の様子とそっくりだ。
やはり何かあるのだろう。
「何か些細な事でも良いんだけど……」
「……ごめんねぇ」
港の雑貨屋の老人はこのような調子だ。
この中で一番、顔が怖くない水引が聞き取りを行ってもこの有様である。
どうしたものかと頭を抱えていると、若者集団の客が外から老人を呼びつけた。
「ちょっと、まだ?」
「はい、今行きます」
その声に老人が足早に駆ける。
不遜な若者が用事を済まさせる。
「……?」
その光景を見て火泥は違和感を覚える。
その服装は年齢の割に歳よりじみていて、そして上質な素材を使っている。
端的に言えば流行りに乗るような若者が着る服では無い。
そもそもこの島に若者が何をしに来るのだろう。
そしていつこの島に来たのだろう。
船は1週間に1回。
そして彼らの姿を見た覚えは無い。
『……』
3人は視線で互いに合図をする。
任せろ、と水引が若者達に話しかけた。
「やー、いい所ですよねぇ。そちらもこの前の船出来たんですか?」
「え? ああ……、うん……」
話しかけられた若者達がぎょっとした表情を浮かべる。
それに構わず水引が会話を続けた。
「そちらもフィールドワークですか? こういう島って珍しいですよね。
昔、島全部が売春街で人魚を信奉してたなんて」
「いやこちらはただ……温泉に入りに……。あぁ……、確かにそうかもしれないね」
水引の言葉に若者達が得心がいったように頷く。
何処か実感の籠った反応だ。
その辺りの事情は火泥も初耳で、2人の会話に耳を澄ませる。
「今じゃ全国その手の街は一部しか残ってないからね」
「ですよねぇ。お陰で記録するのも大変で」
それこそバブルの頃はこの島も栄えていたのだろう。
遊郭、風俗店。
戦後の売春防止法から風営法に始まり、様々な法律や時代の流れで消えた景色である。
火泥が生活安全課に居た頃はそれに絡む許可申請等にも関わっていたが指で数える程だ。
「まぁ、そういう街だとそもそも関係者が口を閉ざしたりするからね」
「ですねぇ、なかなか難しくて」
そろそろか、と火泥は水引を大声で呼びながら雑貨屋を出る。
それに合わせて水引が若者に別れを告げ、こちらに戻ってきた。
若者達が火泥と土塔を見て固まる。
それに構わず3人はその場を離れた。
●
人魚の肉を食えば不老不死になれる。
若さが命の遊女や売春婦達に信奉されるのも理解出来る。
そういった理由からこの島では人魚が信仰されていた。
それに目を付け、研究を始めた人間が居た。
歴史、人魚に関する研究。
だが、死なない死刑囚同様、研究は捻じ曲げられている。
不老不死への研究へと捻じ曲げられている。
●
木造の建物、はめ込まれた木の雨戸、今時珍しい瓦屋根、古い看板。
かつての遊郭街を抜け、氷室は1人、島の東に来ていた。
仏像が見守る、見渡す限りの墓地。
明らかに島の人間よりも多い墓石。
苔むした物から新しい物まで様々な墓石がある。
島の人間。
島の外から来た売春婦や遊女。
水子供養の物。
各所に貼られた白比丘尼の札。
その中にポツンとある廃墟のような寺。
半ば崩れかかっている。
「……」
ギシギシと鳴る階段を上り、扉を横に押す。
施錠されていない木の扉はあっさりと開いた。
本堂の窓は全て塞がれており昼にも関わらず真っ暗である。
僅かに差し込む光で中の様子を確認する。
無音。
半分に仕切られた本堂の手前側には誰も居ない。
更に奥の正面、前机に蠟燭の火があった。
更に奥の宮殿に納められているのは仏像ではなく、土塊かあるいは朽ちた木。
人と魚がくっついた様な形。
人魚。
人魚の木乃伊があった。
寺の中に入り、木乃伊を検分する。
木の洞の様な目が虚空を見ている。
「六付の方ですか」
振り返ればこの寺の住職であろう人間が陰に立っていた。
ぼろぼろの古びた袈裟を着ている。
歳は判らない。
相当に老けて見える。
「……そのようなものだ」
「そちらは」
「この寺の住職でございます」
六付。
公安局における目隠しを着けた人間。
苗字に六がある者。
そもそも公安局の存在を知る人間自体が少ない。
島の研究が暴走している可能性がある。
六道星からその情報を得て、氷室はこの島にやってきた。
情報元はこの住職か、或いは別の所か。
今は関係ない事だと氷室は話を進める。
「若美の顔を見て、この島で起きる事を見た」
「……」
「何年前からだ」
「既に30年以上は……」
氷室は単刀直入に物を言う。
「この島の老人は全員、子供だな。少なくとも20はいっていない」
「……」
「若返りの原料は子供の何か。それも採取の際に命の危険が有る物」
氷室の言葉に住職は何も返さない。
縋るような眼で見た後、絞り出すように声を出した。
「どうか」
住職の嘆願とその首から血が噴き出すのは同時だった。
開いたままの目が自分の血で濡れた人魚の木乃伊を映す。
鋭利な刃物の様な物で首が切り落とされ、嘆願の顔が皮でぶら下がる。
たたらを踏んだ住職がどさりと倒れた。
遺体に暗闇から伸びた金属様の何かが絡みつく。
ずる、ずる。
住職の遺体が闇に引き摺り込まれる。
入れ替わりに別の音が沸き起こる。
がさがさ。
がさがさ。
足元から壁から天井から音がする。
喧しい羽音。
虫だ。
大量の、床を埋め尽くす程の百足や油虫が奥にいる何かから逃げている。
「今更」
ギイギイと虫の鳴く声。
そして羽音の奥から声が投げかけられる。
「自分だけ綺麗に済ませようなどと」
「そう思うだろう、六付きぃ」
氷室は声に応えず奥の暗闇を睨んでいる。
引き摺るような音は徐々に遠ざかっている。
言いたいだけ言って姿を消すつもりのようだ。
氷室は今は追うべきでは無いと判断し、しかし警戒は怠らない。
それを向こうも悟ったのか攻撃を仕掛けてこなかった。
「……」
完全に音が消え、虫達も落ち着いた頃。
宮殿に目を向けると、人魚の木乃伊は何処かに姿を消していた。




