弐の刻
突然倒れた秋華に慌てた静流だったが、志乃が連絡を取ってくれたようですぐに救援がやってきた。
その男はくたびれたスーツを着たこの学校の国語教師の前川 明人だった。
中年男性ではあるが、まあまあがっしりした身体に長身。
顔は、悪くもないがさりとて良くもない。 最低限の身だしなみは整えてはいるがどこかだらしない。 それゆえにむしろ悪いほうに女子の印象が傾く男だった。
そして密かにその事で悩んでもいたのだが。
「おお、すまんな。 こっちも立て込んでいてな.」
そう言って前川が懐からタバコを取り出そうとして、志乃の睨み付ける視線に気づきそっと仕舞い込んだ。
「先生、そっちも?」
静流の質問に重々しいと自分では思っている調子で頷く。
前川達教師も遊んでいた訳ではない。
関係している休日出勤の教師は皆、駆り出されたのだ。
「まさかこっちも出現するとはな」
出るとすれば、前回の封印戦があった場所近くのはずなのだが。
今回はイレギュラーが多すぎる。
前川は、チラリと廊下に寝かせられた女生徒を見やる。
知り合いからの口添えで転校してきた少女。
前川は複雑な思いでその少女を見ていたが、軽く頭を振るいその少女を抱き上げた。
「とりあえず保健室いくぞ」
そう言って二人を連れていく。
日曜日の保健室は当然だが保険医はいない。
前川は慣れたものと、ドアの鍵を開け中へと入っていく。
そしてベッドに秋華を寝かすと、二人に事情を尋ねた。
「それで? なにがあった?」
二人は一瞬目線を合わすと、それだけで意思疎通が完了したのか志乃が主体になって話出した。
「なるほどな」
話しを聞き終えた前川は、しばし考え込んだ後二人を労った。
「ともかくご苦労だったな。 こっちはもういいぞ、持ち場に戻ってくれ」
前川にそう言われて静流は座っていた椅子から立ち上がったが、志乃は疑わしそうな視線を前川に送った。
「先生、そんなこと言ってこの子に変なことするつもりじゃ……」
教え子からの疑いの視線に前川は頬を引きつらせる。
「するかっ!? 第一そんな事をしたら空音になにを言われるか……」
「空音?」
前川が口にした名前に静流が反応する。
「空音…… 七霧 空音?」
遅れて志乃もその名前に思い至る。 その名前は彼らにとって、いやこの大原江市に送られてきた術者達にとって無視出来ない名前だった。
「いやなんでも…… ハァ、調べればわかる事か。 そうだ、その七霧だよ」
口を滑らしてしまったと前川が嘆息する。
志乃の、さっさと吐けとばかりの睨み付けにお手上げと、両手を上げ前川はシブシブ話し出した。
「七霧 空音が前回の封縛の巫女なのは知っての通りだろうが、この子は七霧が引き取った子だ。 名前は、七霧 秋華」
その名前を聞いて志乃達はまたなんとも言えない顔をする。
「秋華って、偶然なのか凄く気になるんだけど、たしか前回の供犠の巫女の名前が……」
そこまで言った時、寝かされていた秋華が呻き声を上げたのを聞き口を閉じる。
そして三人が見守る中、秋華がようやく目を覚ました。
ゆっくりと目が開き、寝かせる時に眼鏡を外していたためよく見えないのか少し目を細める。
その時、静流は彼女の眼が左右で少し色が違う事に気付いた。
ほんの些細な違いだが、彼には何故かはっきりと分かった…… ような気がした。
やがて三人に目線を合わせると慌ててベッドから跳ね起き、ようとして頭を抑え込み蹲る。
「ちょっ!? 大丈夫?」
志乃は秋華に近づくと、その肩に手をやり優しくベッドに寝かしつける。
「あ、ご、ごめんなさい」
そう言って秋華が再び起き上がろうとするのを止めると、志乃はイスに座りなおす。
「はい眼鏡」
そう言って、志乃は秋華に眼鏡を手渡した。
秋華は眼鏡を掛けたことでようやく落ち着いたのか、ホっと息を吐く。
そして今度はゆっくりとベッドの上で上半身を起こし三人を見やる。
「あの、私一体?」
だが自分で言って思い出したのか、ブルリと身を震わせると辺りをせわしなく見渡した。
志乃は、再びパニックに陥りそうになった秋華をなだめようとその背を摩ってあげる。
前川も安心させるように声を掛けた。
「もう大丈夫だ。 君は助かったんだ」
そう言われ、秋華は今だ青い顔のままであったが志乃に向き直ると質問する。
「あの、あなたが助けてくれたんですか?」
秋華の眼は志乃の方をはっきりと見据えていた
「ええ、そうよ」
どうやらそこら辺は覚えているようだった。
「あ、ありがとうございました」
志乃はそのお礼の言葉を受けて、少し照れた感じで何でもないと口早に答える。
そこで、秋華の顔色が今だ悪いことに気付いた。
「ねえ、顔色悪いけど大丈夫なの?」
「あ、へ、平気です。 ちょっと貧血ぎみなだけで…… じゅけ、いえなんでもないです」
顔色の事を言われ、秋華はそう答えて口を噤んだ。
「よし、二人はもう戻った戻った! 後は俺が見てるから」
それを見ていた前川が双子に退室を促した。
志乃は納得してない様子だったが、静流に促され保健室を後にした。
そして、保健室の扉が閉まるのをしばらく眺めていた前川がゆっくりと秋華に向き直る。
「俺は前川、ここの教師だ。 だからなにも心配しなくていい」
そして顔色を確認すると、勝手知ったるなんとやらと薬品が置いてある棚に近づくとゴソゴソし出した。
秋華はそんな前川の様子を何とはなしに見ていたが、彼が手にした物を見て驚く。
「えっ!? なんで学校にソレが?」
「ここはそういう所だと空音に言われなかったか?」
前川は手にしたアンプルを秋華に手渡しながらそう言うとベッド側の椅子に腰かけた。
秋華は礼を言うとソレ、呪血を受け取ると恐る恐ると、だが慣れた様子でパキッっと上部分を折るとそのまま口にする。
「ああ…… 直接口に含むのか」
注射器も手渡そうとした前川は所在なさげにポケットに注射器を突っ込んだ。
当の秋華は、苦かったのか顔を顰めていたが、慌てて前川に礼を言う。
「えっと、ありがとうございます。 前川先生? あの、空ちゃんをご存じなんですか?」
秋華の質問に前川は頷き答える。
「ああ、昔の教え子だ。 空音からなにも聞いてないのか?」
「いえなにも……」
ショボンとする秋華を見て前川はため息を吐く。
「秘密主義は相変わらずか……」
前川はそんな秋華を見て苦笑すると、気になった事を聞くことにした。
「で、空ちゃんって呼んでるのか?」
「え?」
「だからアイツの事をさ。」
そう言われ秋華はああ、と頷いた。
「その、お母さんって言うと怒るので何時の間にか。 その……」
秋華のその答えに前川は思わず噴き出した。
「ブハッ! ハハハッお母さん、お母さんか! あのはねっ返りがっ!」
前川はひとしきり笑った後、壁時計を見て秋華の顔色を確認し問題なさそうだと考えた。
「大分顔色もよくなったようだな。 立てるんなら学校から出た方がいい。 校門までなら送るぞ」
秋華はそう言われて、額に左の手首を押し当て目を閉じる。
やがて一つ頷くと前川の方を向く。
「はい、大丈夫です」
「そうか、なら行こうか」
時刻は13時を少し回った所で、まだまだ日は高い。
さきほどの事がまるで夢であったかのような暖かな春の日差しが心地よい。
そのまま、秋華の保護者の学生時代の失敗談を聞かせてもらいながら何事もなく校門へとたどり着く。
「じゃあ気をつけて帰るんだぞ。 空音によろしくな」
「……はい、ありがとうございました」
秋華は一瞬なにか言いかけたが、それを隠すかのように深々と頭を下げた。
明日からよろしくお願いします、と言って歩き去っていく秋華をしばし眺めた後、前川は踵を返し校舎へと向かう。
だが玄関には向かわず、勝手口のある方へ逸れて行く。
そして、勝手口の側にある古びた掲示板の前で足を止めた。
この学校にはこのような掲示板が異常なほど数多くある。 その殆どが使われずに放置されているが、ここの掲示板もその一つであった。
前川はその掲示板の表面を軽く二回ほどノックするかのように叩く。
すると……
その掲示板からヌッと人の、少女の上半身が突き出て来た。
その少女は半透明で後ろが透けて見える。 髪はボブカットで顔は整っているが無表情である。
そしてその服装は古臭いセーラー服であり、まるで水面から浮かんでいるかのように見える。
その異常な現象にも関わらず、前川は平然とその少女を見ていた。
その上半身だけの無表情な少女は前川を見るでなく、虚空を見やりながらその口を開いた。
「学内情報伝達システム ”ことほぎ” 正常に稼働中。 指示をどうぞ」
前川はタバコを取り出しながら”ことほぎ”と名乗った少女に質問する。
「現在の状況は?」
「現在、学内に怨霊の発生を認められません。 また封印の状況も常と変わりありません。 以上の事から、上より警戒レベルの引き下げが認められました。」
そう言われホッと息を吐く。 ならばとタバコを口にくわえ、職員室への帰還を告げようとした。
「そうか、なら「警告、本校内においては禁煙となっています。 指示に従わない場合はしかるべき処置を……」わかったわかったっ!」
慌てて箱にタバコを突っ込む前川に、納得したように一つ頷くと水面に沈むように掲示板の中へと引っ込んでいく。
前川は頭を掻きながら校舎の中に入っていくのだった。
続