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THE 1975のサウンドに実存を感じない

THE 1975の新譜を『とかげ日記』上で手放しで絶賛した自分。


だが、あれから深く掘っていくように聴き進めていくにつれ、なぜ、あんなにも自分が感激したのか分からなくなっている。


僕は『とかげ日記』上のレビューでは、そのアルバムを3周した後の感想を書くようにしている。3周した後と10周した後で肯定的と否定的の感想がひっくり返ることはほとんどないし、3周目くらいが聴いていて一番楽しいからだ。その感想が冷めないうちに、熱を失わないうちにレビューを書くというのが僕のスタイルだ。


"レビュー"と"感想"は違うから混同するなという意見の方もいると思う。だが、僕はあえてこの二つを混ぜる。"レビュー"は客観的、"感想"は主観的という区別ができると思うが、その境界線を危うくさせるようなレビューを書いていく。作品を俯瞰するような客観と熱を持った主観をミックスジュースのように混ぜていく。


僕のレビューは私的な感情を出発点としている。なぜなら、好きだ/嫌いだという気持ちが伝わらなければ、ただの機械的な論説文だと感じるからだ。大切なのは、好きな/嫌いな理由を論理立てて説明して説得力があるかだと思う。論理が私的な感情を公の場に連れ出してくれるのだ。


THE 1975の新譜を3周した時点では、その高い理想と優れたサウンドプロダクションに感激していた。だが、今は聴いていてもほとんど何も感じない。


それは、この新譜のサウンドに実存を感じないからだ。小綺麗すぎるくらい整ったサウンドには、はみ出た自分というものを感じることができない。歌詞では実存を感じるものの、サウンドには実存を感じない。


サウンドが"表現"になっていないと個人的に感じるのだ。何らかの感情を伝えるものになっていない。ただ、小綺麗な表情をして笑っているだけの平板なサウンド。"People"という曲だけは少し面白いけれども。


僕は神聖かまってちゃんやうみのて等、実存を感じるサウンドが好きだ。あなたのあなた自身を見せてくれと思っている。洋楽でいうと、Radioheadには実存を感じる。トム・ヨークのファルセットボイスや、バンドのサウンドにRadioheadのRadiohead自身を感じるのだ。


実存を感じないと、フックもなくなる。音楽に引っかかる部分がなくなってしまう。


その上、THE 1975の音楽性がどのように彼ら固有のものなのかも分からない。


ある方が「The 1975の新作は、パンクやネオアコ、エモ、アコースティックなどロック要素もありつつ全体的なカラーはエレクトロ〜アンビエント〜ハウス〜UKガラージに寄った作品」とツイートしていた。


そこまで聴き取れるのなら、このサウンドに革新性を感じることも可能だろう。だが、僕の耳では革新性を感じないし、THE 1975のオリジナリティも分からなかった。


僕はTHE 1975を聴けなくなってしまった。だが、彼らの理想には深く共鳴している。僕は彼らの新譜を3周している間は、彼らの見た夢を一緒に見れたのだ。今は夢から覚めた。それはとても寂しいことだ。

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