プロローグ〜出会い〜
雨が降っている
霧状に降り注ぐ細かな雨を見続けていると、ある時視点が変わり、
雨は地上から空へと上昇していく
古の女王は、飛び降りたのではなく、この雨に乗って、空に還ったのだ
空?もしかしたら、もっと遠くへ
この霧雨に溶け込んで、異世界に旅立ったのだ
私はミロク、巫女になる部族の一人として生まれ、物心ついた時には巫女になる教育をされていた
だから、自分の前世も教育の中で知ることになった
私は夭折した禿、芙蓉という名前だった
花魁になるために教育を受けている途中、流行り病であっけなく逝ってしまった
どんなに優美な花魁になるだろうと言われた顔は、死してなお美しく、
下手に埋葬をケチると、恐ろしげな趣味をもつ痴れ者に、どんな無体な真似をされるやもしれぬと 、
心優しい姉さんたちに真似事のような葬儀をされた
「今度生まれてくるのなら、も少しばかりマシな時代が良いでありんすな…」
物言わぬ骸にではあったけれど、ぽつりと零れた一言はこの世を去りゆく私に届いて消えた
巫女になる教育を受けるようになって、日に何度か瞑想をするようになった
瞑想の中で話しかけてくる存在があった
深く深く集中している時に限ってやってくるのは翼竜の子ども
子どもといっても身長は翼竜の方が大きい
始めて話しかけられた時、瞑想中だというのに夢の中にいるようにはっきりと映像が見えた
どこかの建物の梁の上、天井近くから下を覗くとそこにいたのは、ガシャガシャとした昆虫が人間寄りに巨大化したものだった
鎧なのか、外骨格なのか分からない
『ダメだよ、あいつらは、僕らのようなものを喰うんだ』
「え?」
隣にいたのは翼竜、
「あなたは…」
「え?聞こえる?」
翼竜の方が驚いている
「聞こえるけど、あなたは…翼竜?」
「うん?ドラゴンというか…」
くるりと回って全身を見せてくれる
「翼があるから、翼竜か…」
そして、翼で私を隠すようにすると
「危ないから、もう少し奥に行こう」
下にいた、ガシャガシャしたものは通り過ぎて行ったが、いつまた戻ってくるか分からない
翼竜の名前はジルというらしい
「ジルは、私を食べないの?」
「うーん…、何というか…これは君の夢のようなものでしょ?本体はここにいないよね」
驚いた、確かに私は今、瞑想中のはずだ(いや、眠っているのかもしれないが)
「よく、分かるね。その通りだと思う…私はここにいて、ここにいないような…」
「だから、僕も同じようなものだよ。ここにいるけれど、本体は自分が住む世界で昼寝でもしているんだろう」
そうなんだ、ジルの夢と私の瞑想の世界が、交錯したってことか…?何だそれは⁉
「えっ?そんなことってあるの?」
「僕もよく知らないけれど、古の女王の物語の中にはそんな話があったねえ」
古の女王…何だろう、覚えているようないないような…
「さて、君の質問にもどるけれど、そういった僕らのような存在は、この世界の中ではお互いに摂取したりはできないってことさ」
「じゃあ、あのガシャガシャしたものは、私たちを摂取できるってこと?」
「そういうことになるね」
「摂取されたら、死んじゃうじゃない」
いきなり不安になる
「死にはしないよ、強制的に自分たちの世界に送り返されて、ただひたすらに疲労して目覚めるだけさ」
そうなんだ…そういう方式なんだ
納得するしか…嫌、そもそも信じていいことなのだろうか
難しい顔をしていたに違いない
ジルが面白そうに、私の顔を見つめていた
「人族の君、名前を教えてくれると嬉しいな」
「私の名前は…『芙蓉』よ」
さしたる意識はなかったのだが、口に出た名前は前世の禿の名前だった
「芙蓉ね、わかった。何か意味はあるの?」
「花の名前」
「花の名前かー、僕の知らない花なんだろうね」
『芙蓉』幼くして死んだ禿の名前
『芙蓉』は、『不要』に通じたのだろうか、ずいぶん執着なく生から手を離したものだ
芙蓉の花の儚げな風情が『あの子』にはよく似合っていたと思う
本名は忘れ去られ、知るものはいないだろう