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壁の上  作者: 氷月涼
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政恵:担任との会話

 市立図書館で自分の電話番号のメモを渡してから一週間待ったが、朝美からの連絡はなかった。それ以後仕事が早く終わる日は図書館へ足を運んでいたが、一度も朝美には会えなかった。休んでいるのか、別の図書館に転属されたのか、いずれにせよ、会えないことは偶然ではないことはわかっていた。朝美は私から逃れようとしている。それだけのことをあの頃の私は彼女にしたのだし、それを今になってどうかしようというのは虫の良すぎる話だった。今、いくら謝ったところで、なかったことになど出来やしないのだ。この罪悪感は死ぬまで持ち続けて当然のもので、それを相手に伝えて、どうしようと思っていたというのか。結局のところ私自身、何も行動を起こせないまま、一ヶ月が経ってしまった。

 野本さんへ手紙を届けはじめてからも一ヶ月が過ぎていた。一方的に想いを手紙に託して届けるだけで、野本さんからの反応は何もなかった。

 担任の大江先生は電話連絡と訪問を続けていたが、いずれも居留守を使われていた。そんな折、同じ団地の別の棟に住んでいる男子生徒から野本さんを見かけたと大江先生に話があった。その男子生徒に学校からの手紙や学習プリントを野本さんへ届けてもらっているが、いつも留守で玄関の新聞受けに入れて帰っていてそれまで姿を見たことはなかったという。私は放課後、職員室で大江先生からその話を聞いた。

 その男子生徒によると、夜八時頃、棟の階段を降りてくる野本さんを見たということだった。以前は長かった彼女の髪が短くなっていた。野本さんは手すりに寄りかかるようにして階段を降りていて、体の調子が悪いように見えたと話した。その棟には野本さん以外若い子は暮らしていないらしく、男子生徒はすぐに野本さんだとわかったという。声をかけようかと思ったが、いつも居留守を使われていることもあって、勇気が出なかったと言った。

 また男子生徒は野本さんの母親のことも話していた。最近、茶髪の若い男と一緒に歩いているのをよく目にすると。

 「その男が野本に虐待したのかもしれないな」と大江先生は口に出した。

 まだ、続いているかもしれない。けれど、今の状態を知らない私たちは警察へ通報もできない。

 「やはりあの時、通報していればよかった」

 大江先生は唇を噛み、顔を歪めた。

 幼い子どもであればすぐに通報したのかもしれないが、自分で物事を考え、ある程度解決する力がある年齢だからこそ、詳しく話を聞いてから、と思ったのが仇になった。そうつぶやいて大江先生は俯いて口をつぐむ。

 「今、できることをするしかないんですよね。それにもしかしたらあの時はあった痣や火傷が今はないかもしれないですし」

 そんな私の拙い言葉ではどうにもならないのはわかっていたが、そう口にしていた。

「私は野本さんへ手紙を届け続けます。私にできるのはそれだけですから」

 その言葉に大江先生は俯いたままで何度も頷いていた。

「じゃあ、大江先生も協力して下さい」

「何を?」

 大江先生は俯いていた顔を上げる。

「今、学年で理科の単元がどこまで進んだかを教えて下さい。他の教科の先生にも聞いてもらっていいですか? 野本さんにプリントを届けようと思って」

「学習プリントはすでに届けているけど?」

「今の進度に合わせてわかりやすくした解説プリントと問題プリントを作るんです。まとめるのは私がしますから」

「そうだな、もう休んでからひと月だし、いい考えですね。わかりました。協力させて下さい」

 そう言った大江先生の目は少し力が戻っていた。

「どうして相沢先生はそんなに野本のことを? 担任でもないのに」

 その理由を私は言いたくないのかもしれないし、むしろ言ってわかってもらいたいのかもしれない。けれど口に出たのは理由でもなんでもない、私の願望。

「彼女にはあきらめてほしくないんです。自分の未来を」

「そうだな」

 私の言葉に大江先生は何度も頷いて、私に力をくれた。

 今の私は人からたくさんのものをもらっていることに気づけるようになった。だから私もまわりの人にあげることができるなら、あげたいと思う。だから私は動くのだ。未来を想って。


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