表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
壁の上  作者: 氷月涼
4/18

政恵:深咲への手紙

 眠れないまま朝が来て家を出た。電車に乗って二つ目の駅で降りて、いつもとは反対方向へ歩き出す。駅へ向かう人々が向こうからやってきてすれ違っていく。私は野本さんの住む団地へと向かう。見知った顔に出会うことを恐れて少し早めに家を出てきた。一緒に登校したらかなり時間を持て余すことになるかもしれないが、その時は私と話をする時間にすればいい。

 自分本位を認めて、認めたことに安心して、それを自分本位の言い訳にしていた。

 団地に近づくと駅の方へ向かって歩いているコート姿の会社員をちらほら見かけた。ジャージ姿で自転車に大きなカバンを積み込んで白い息を弾ませて急いでいる様子の学生の姿もあった。たぶん朝練に行くのだろう。なんでもない、いつもの朝。私にとってはいつもではない朝。

 野本さんの部屋の前まで来て、一息ついてインターフォンを押してみる。やはり鳴らなかった。ドアをノックして呼びかけてみても返事はなかった。時間をおいて何度か繰り返すがやはり同じこと。

 持久戦は覚悟のうえだった。時間ぎりぎりまで扉の前で待つことに決めた。迷惑と思ってくれたらむしろ幸い。ノックと呼びかけを何度か繰り返したが、なんの応答もない。

 あらかじめ予測していたことではあった。

 予定外だったのは、学校へ向う途中、担当するクラスの男子生徒に声をかけられたことだった。部活の朝練で早く出ていると話していた。この道を通る私をはじめて見たと言われたので、友達の家に泊まってそこから来たのだと嘘をついた。


「不登校の生徒に対して、かたくなに登校刺激をするのもどうかと思いますよ」

 担任の大江先生から聞いたのか、私のクラスの生徒から聞いたのか。生徒指導のベテラン教諭の谷川先生が、今朝の私の行動を知って助言してきた。

「放っておくほうがいいと言われるのですか?」

 彼女のことに関して自分でも冷静さを欠いていると気づきながらも、むきになって答えた。

「そうは言ってません。登校刺激が生徒の重荷になって余計に登校を難しくすることもあると言っているんです」

 経験豊富な女教師の言葉は説得力を持つのかもしれなかったが、私は受け入れられないでいた。その方が良いことがあるというのは知識としてわかっていた。私は今、情に流されてしまっているのだ。それを止められない。いつか言われるだろう。ベテランの女教師に、野本さんの担任の大江先生に、同期でこの学校に勤務するようになった先生たちにも。「教師失格」と。


 翌日からはさらに人目を避けて、新聞配達のバイクの音だけが響く早朝に、ジャージ姿に自転車で野本さん宅まで来ることにした。玄関の扉についている新聞受けに手紙を静かに差し込んだ。かたん、と手紙が落ちる小さな音がした。

 私からの手紙で野本さんが何かきっかけをつかんでくれたらいいと思った。彼女からの発信はないかもしれないと思いながら、携帯電話番号と必ず話ができる時間帯を記しておいた。

 野本さんへの手紙は私自身への手紙でもあった。過ぎ去った日を思い起こしながら、今もまだ消化できていない、いやむしろ、してはいけないであろう出来事について、大人になった私があの時の私を再評価しているそんな手紙だった。



野本深咲さんへ


 突然、担任でもない国語教師からこんな手紙をもらって、驚いていることでしょう。最初に書いておきます。私は野本さんのことが気にかかり、個人的に関わろうとしています。なぜ気にかかったのか。それは過去の私と野本さんが似た状況にあると感じたからです。

 私が関わったことで、野本さんが学校へ来てくれるようになれば嬉しいですが、それは目的としません。野本さんが変わっていく力を得られる何かのきっかけになれたらと思って、勝手ながら手紙を書くことにしました。生徒指導の先生や担任の大江先生は私の行動を勝手な行動だと思い、決して認めているわけではありません。それでも私はやめるつもりはありません。傲慢な想いを一方的にぶつけているにすぎないかもしれません。でも、もし、手紙を読んで私と話してみたくなったら、後に記す電話番号へ電話してきて下さい。


 過去の私と似た状況と先に書きました。野本さんの家族状況と同じように私の母も水商売をして一人で私を育てていました。当時、私は母親の気分で殴られることがしばしばありました。母親が周囲とトラブルを起こすことが私にとっては耐え難いことでした。精神的に荒れていた私は転校先で避けられることも多く、私の母親がどんな人物か気づいた親たちが、私と遊ばないようにと子どもに諭すことも度々ありました。でも、私はいじめられていたわけではなく、むしろいじめていた方の子どもでした。当時の私はそうして自分を守っていたのです。

 そこは野本さん、あなたとは全く違いますね。もう転校されてしまったけれど、いつも西村律子さんをかばっていたと大江先生から聞きました。野本さんは向かっていく力を持っていると私は感じています。

 そんな野本さんがどうして学校に出てこないのか気になります。

 何か困っていることがあるのだろうと思います。力になれるかどうかわかりませんが、一人で解決していくより、誰かの力があったほうがいいこともあります。誰の助けもいらない、と野本さんは思っているかもしれません。頼ることが頼られる人の助けになることだってあるのです。それは西村さんを助けていたあなたならきっと感じているはずです。

 やはり少し傲慢でした。

 もし、私と話してもいいと思ったら遠慮なく連絡してきて下さい。

 夜九時から十一時までは電話に出ることができます。 090ー○○○○ー××××


 市立二中 国語担当 相沢政恵


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ