表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
壁の上  作者: 氷月涼
15/18

壁の上******


 放課後の話し合いをした日の翌朝、私はまぬけにも朝美の家に迎えに行った。朝美のお母さんが出てきて、朝美はしばらく祖母の家に泊まっていて、そちらから学校へ通うという。いつまでかと尋ねても、ちょっとわからないの、と朝美の母は済まなさそうな表情を浮かべる。その表情がいかにも作り物っぽい。これは私を遠ざけるための策だと悟った。

 あの話し合いの時、また仲良くできそうかと尋ねられて、朝美は微笑んでいた。それは嘘。どうしてはっきり言わないのだろう。本心をひたすらに隠して、良い子であろうとする朝美が許せなかった。


 チャイムが鳴る。終わりの会のあと、クラスの子どもたちはそれぞれ仲良し同士で連れ立って下校していった。朝美の姿を探すが、もう帰ってしまったようだった。私はいつもの通学路ではない道をわざと遠回りして下校することにした。

 しばらく歩いていると、見つけてしまった。私の歩くずっと前の方に、朝美が女の子と二人で並んで歩く後ろ姿。私は歩く速度を上げて、少しずつ二人との距離を詰めていく。二人はおしゃべりに夢中で私の足音に気づかない。やっと追いつき、朝美の肩を叩いた。

 振り返った朝美が私を見る。こわばった顔。

「卑怯者」

 私は朝美に冷ややかにそう告げた。

 朝美の隣にいる女の子は朝美の袖をひっぱって、もう行こうよと促している。

「話があるから、夕方、ゆりかごのある公園に来てよ。待ってるから。来ないとどうなるか、わかるよね?」

 朝美は固まったまま、何も答えず、女の子に強く袖を引っ張られ、私に背を向けて歩きはじめた。



 朝美と一緒に遊ぶようになった最初の頃、何度かこの公園で遊んだ。家の近くにある公園とは違って遊具がたくさんあって、なかでもゆりかごがあるのが珍しかった。最初にこの公園で遊ぼうと朝美を誘った時、朝美は渋い顔をした。別の地区の公園だから…と。いつもその公園で遊んでいる子たちに、よそ者の自分たちが遊びに行くと何か言われるのではないかと気にしていた。何それ、縄張り?バカじゃない?と私は一蹴した。誰が遊んでもいいはずでしょ。私の言葉で簡単に吹っ切れてしまった朝美と、その公園に時々遊びに行った。行った時は必ずふたりでゆりかごに乗って遊んだ。ひとりが座って、ひとりは揺らす係。疲れたらふたりで静かに向かい合って座っておしゃべりをした。

「心の中で今、歌っていたでしょ? 土曜の夕方にやっているアニメの主題歌」

 私が朝美にそう指摘すると、「どうしてわかるの?」とびっくりした顔をした。

「政恵ちゃんは魔女みたいね」と笑った。

「魔法使いじゃなく、魔女なの?悪いやつなの?」と意地悪く訊いてやると、「そうじゃないの」とあわてて「カッコいいの」と満面の笑みを浮かべた。

 

 私はランドセルを持ったまま、公園へ行き、朝美が来るのを待った。

 風が強くなってきていた。夕暮れの空に黒い雲が流れてきて、公園の中にある木の、細い枝が揺れていた。もうすぐ雨が降るのかもしれなかった。

 気配を察したのか子どもたちは次々に公園からいなくなっていった。朝美が来るまでの間、私はランドセルを木の根元に置いて、ひとり遊具で遊んだ。ブランコやうんてい、鉄棒。ひととおり遊んだあと、ゆりかごへ向かう。ゆりかごの鉄の枠を外から持って激しく揺らして、それに飛び乗って、鉄の棒につかまり、立ったまま揺られる。そのひとり遊びを私は何度も繰り返した。

 ゆりかごに揺られながら、こちらの方へ歩いてくる朝美の姿を見つけた。タイヤを半分埋めて作られた狭い入口を通って、ゆりかごの前まで歩いてきた。

「まあ、座ってよ」

 朝美にそう促し、私たちは向かい合って座った。

「話って何?」

 そう切り出した朝美の表情は冷ややかで、今までの笑顔が嘘のようだった。

「私さぁ、結局ママに殴られたんだ、あの日。学校で先生と三人で話し合った日の夜。朝美は私を同情してくれてたの?今までは?」

 朝美は何も言わず、うつむいていた。それに構わず私はひとりしゃべり続けた。

「朝美はいいよね、お父さんもお母さんも、おばあちゃんも、朝美のことを守ってくれて。私、ずっとお父さんがいないから、うらやましいよ。あんなに優しそうなお父さんがいて。ほんと、うやらましいよ。私、お父さんいないからさ……」

 うつむいたまま、朝美は小さな声を絞り出す。

「……あたし、どうしたらいいの?」

「お父さん、いない子って言えよ。言わないと殴るぞ」

 驚いた表情で朝美は私の顔を見た。私は嗤ってやった。

 「殴られてもいいんだ?」

 困った表情の朝美を、私は冷たく嗤った。

 しばらくして消え入りそうにか細い声で朝美が言う。

「……お父さん、いない子……」

 私はいつも加害者。被害者になることはなかった。それが今、被害者。

「なんで泣くの? 言わせたくせに」

 理不尽とばかりに朝美は私を責める。

 涙はぼろぼろこぼれて、ジーンズの膝に落ちた。丸い染みがいくつもいくつも出来ていく。

「あんたには私の気持ちなんてわからない! 一生わかんないよ!」

 私は吠えるように吐き出した。それしかできなかった。

 「ごめんね……」

 朝美はゆりかごの椅子から立ち上がって、私の肩に手を触れようとする。その手を私は払い除けた。

「謝るくらいなら最初から言うな! もう帰って! 帰れよ!」

 風はさらに強くなり、ポツポツと大きな雨粒が頭に、膝に落ちてきたかと思うと、それはすぐに勢いを増して激しい雨になった。

 申し訳なさそうな顔で私を見ていた朝美は、雨が強くなってきたという理由ができたことにホッとしたような表情を浮かべた。もう一度ごめんねと繰り返してゆりかごから降りて、駆け足で公園から遠ざかっていった。

 地面に激しく叩きつけられる雨のしぶきが白く煙って辺りをにぶく霞ませた。瞬間的にすべてを隠してしまうほどの雨音に支配され、私はびしょぬれになっても、ゆりかごから動けずにいた。自分の頬を伝うのが、雨なのか涙なのかわからなくなってしまって好都合だった。

 雨雲は強い力で風に流されて、ふいに止んだ。

 何事もなかったかのように音は消えて、水たまりやあちこちを伝う水滴が雨の名残り。

 私はようやくゆりかごから立ち上がった。濡れて重くなったランドセルを木の根元から拾い上げ、濡れそぼった服から水を滴らせながら、歩きはじめた。辺りはすでに闇の気配に覆われていた。これから帰る家は、真っ暗で誰もいない。もうママは仕事に出かけているだろう。髪の間から雨の名残りのしずくが顔を伝っていった。途中で涙も一緒になって。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ