第十三話 作家になりたい人が多すぎる
二年前に担当した著者の女の子から電話があった。
「本の門社の自費出版奨励賞に応募して、最終選考まで残りました!」
言われたとおりに電話を片手にその場で本の門社のサイトを開いて見てみると、確かに、「最終選考に残った十作品」のリストの中にその子のペンネームの作品があった。
「すごいじゃないですか! おめでとうございます。十作品の中に入っただけでも、本当に大したものですよ、自信持っていいと思います」
もちろん本の門社がいくら大手といっても、自費出版系は自費出版系だから、賞のレベルはそこまで高くはないと推測される。だが、これは確か、本の門社が年に一回だけやっているメインの賞だ。あの会社なら千を超える応募があるだろうから、そのトップテンに入るというのはやっぱりそれなりに優れたものに仕上がっているはず。
だが、私は内心「ええーっ、あなたが?」と思っていた。
出版当時彼女は二十一歳で、父親が娘を溺愛するあまりに出版費用を出してあげただけで、父親自身も「作品の出来は正直、話にならないと思っています」と言っていた。実際そのとおりで、辻褄は合わないわ日本語はおかしいわ、めまいがするようなテキトー小説だった。あれから二年で、彼女にいったい何があったのだろうか。
ただ……当時、どこがおかしいかを指摘して、辻褄が合うようストーリーの手直しを提案して、書き直しの文章を示して、一生懸命教えてあげたことを、彼女が「勉強になります!」ととても素直に聞いていたことを思い出す。そして、こちらが提案した内容を元に「だったら、こう直すのはどうですか?」とまずは自分なりに頑張った修正案を出してきて、それもおかしかったら編集者の案を素直に受け入れていたのを思い出す。おかげでまあまあ読める作品になり、父親からも丁寧なお礼状をいただいたっけ。
彼女は自分の作った登場人物に愛着があるらしく、校了しても「この二人にはサブストーリーがあって……」「幼少期は~~だったっていう設定なんですー」といろいろ語っていたので、老婆心だとは思いつつも、こんなアドバイスをしてあげた。
「この作品にこだわりすぎると、同じところで足踏みしてしまうので、いい意味で『書き捨て』して、どんどん先に行くことをお勧めします。そういう裏設定とかは、軽く書いてネタだけ貯めておいて、もっとずっと後に小説にまとめてもいいかもしれませんよ」
そう、本ができてからも再三再四その自分の本を読み返して「ここはこう書けばよかった」などと延々言っている人は絶対に伸びない。編集が始まるなり「もう次の作品を書いているんで、この作品についてはよきにはからってください」と誤字脱字以外気にしないような、親離れならぬ「作品離れ」のいい人は伸びる。これは「傾向がある」とかでなく、厳然たる事実と私には思える。
私の一言多いアドバイスを受けた彼女は、当時「そうなんですかー」と素直に受け止め、間もなく「全然別のキャラクターでまた作品を書いています!」という近況メールを送ってきた。確かに、いい「書き捨て」ができたようだった。
親御さんの溢れる愛情を受けて、いささか素直に育ちすぎたこのお嬢さんは、きっとこの二年間で「そうなんですかー」と多くの人の意見を吸収し、「こう直したら、どうなるかな?」という試行錯誤もちゃんと自分でやりつつ、とにかく前へ前へ進んできたのだろう。
あの『天恵の魔法機械』受賞といい、今回のことといい、この仕事は(不毛なことも多いんだけど)本当にやりがいがある。
なんてことを思っていたら、例の『天恵の魔法機械』の著者さんについて、また丸川書房の編集長さんから電話が入った。上司は私のスケジュールを確認して、その日の午後、突如私を交えた丸川書房との打ち合わせの予定を入れた。やっぱり彼の文章がどうしても下手で困っているのだろうか……。
このちっさくてぼろっちい雑居ビルの当社フロアに、超でかい自社ビルを持つ丸川書房の書籍編集長さんがタクシーでやってきた。めいっぱい頑張ってはいるが狭くてへなちょこな応接にお通しして、私と上司は編集長さんと対峙した。
「本日は、お願いがあって参りました」
編集長さんは恭しく切り出した。こういうヘボ弱小企業を相手にきちんとした態度を取れるあたり、大手の偉い人はそれなりなんだなーと感心する。
「『天恵の魔法機械』の著者の彼の文章を、蕾花社さんに手直ししていただきたいのです。新作の原稿の、物語そのものは面白くなりそうです。でも……文章がちょっと……」
正直、電話があった時点で予測していた。上司も同じのようで、冷静に聞いていた。
「蕾花社で担当なさった編集者さんに、リライト(書き直し)を外注するという形で、文章の手直しを受けていただけないでしょうか」
結局そうなったか……。天下の丸川さんなら、なんとかするかと思ったが……。
「こちらも努力はしたのですが……手直しをさせると、どことなく漠然と上手い文章になって、作風が感じられないというか、誰かプロが書き直したのが見え見えになってしまうんです。『天恵の魔法機械』はすでに多くの人が読んでいますので、作風が違っているのもよくないし、それと……」
編集長さんは私の顔を見て、言った。
「冒頭はやはり上手くないですが、物語が流れはじめてからの彼の書き方は実にドラマチックで印象的です。文章に問題はあっても、勢いがあるというか、彼の脳内のイメージが上手くアウトプットされている感じがある。ですが、そこはかとなく上手い文章に直してしまうことで、その勢いや生き生きした雰囲気が削がれてしまう。蕾花社さんの編集部では、あの良さを殺さない、素晴らしい修正をされると思います」
「いえ、そんなことは……」
一応恐縮して謙遜しておいたが、多分そうだと思う。当社から出す書籍は「著者が、大金を払ってまで世に出す自分の作品」であって、商品でもあるが「僕の、私の宝物」でもある。文章を読みやすくはしても、不当に「上手く」はしない。レベルはアップしても「著者が書いたっぽく」延長線上を狙って良くしていく。そうでなければ自費出版の意味がない。「まるで別物の商品」になってはいけないのだ。
喜んで引き受けたいと思ったが、大きな障壁があった。そこはさすが大手さん、しかもマルチメディア戦略の雄……。
「作品の長さは、『天恵の魔法機械』より若干短いくらいになりそうです。その分量を、今月いっぱいで修正できますか?」
今日この話があって、納期が今月中!
月末までは三週間もない。前作はまる二週間かかった。もちろん他の仕事がなければ余裕だが、今、蕾花社は私と上司の残業でやっと出版本数が回っている状態。私が二週間もこれをやっていたら当社の出版が滞ってしまう。
返事は「今日中に」とさせてもらって、編集長をビルの一階までお送りし、最敬礼でタクシーを見送った。さて、困ったぞ。どうしたものか。
リライト料金は、破格の三十万円を提示された。だが、今『天恵』バブル状態で混んでいて、私一人で月に五冊以上のペースで刊行をしなければならない。この通常業務にしわ寄せが行くとなると、蕾花社的には三十万では割に合わない。カレンダーを見ながらうんうんうなったあげく、私は上司にこんな提案をした。
「通常業務の範囲内では絶対無理です。でも、月末まで、土日が三回と祝日が一日あります。前回のが、他のこともそこそこしながら会社の七時間勤務×二週間(正味十日)でできたから、土日祝で一日十時間も頑張ればできる計算になります。私に休日出勤の割増賃金を出しても、三十万だったら蕾花社的には利益が出るんじゃないですか?」
私が派遣会社からもらっている時給はピンハネされたものなので、蕾花社が派遣会社にいったい時給いくら分を払っているのか、私は知らない。だが、高く見積もっても、丸川書房からの支払いが三十万あれば蕾花社は元が取れるだろう。
上司はうーんとうなって首を振った。
「月に何日以上、何時間以上働かせちゃダメっていう契約に違反するから、それは無理」
しまった、そういえば派遣契約内容に「月○日以上の労働、月○時間以上の時間外勤務はダメ」みたいなことが書いてあったような気がする。長年勤めてるのに、会社のメリットになりそうな大手さんの協力要請に、「派遣社員だから」という理由で貢献できない悲劇……。私を正社員にしておけば、こんな時に便利に使えたのに。とか言いつつ、派遣じゃなければもっとこき使われて、とっくに疲弊してドロップアウトしてたかもしれないんだけど。正社員にはしんどいサービス残業が待っている。ううん社会の歪みと矛盾。
「えー、じゃあ、断っちゃうんですか? まさか、今担当してる案件の著者さんたちに『急に他の仕事が入っちゃったから、刊行延ばさせて~』とか言えないし、私、今月の通常業務はこのままやりますよ。でも丸川さんの要請、受けた方がいいと思うんですけど。丸川のほうで本が売れてくれれば、ウチの本もまた、もっと売れるだろうし……」
「だよねえ」
上司がしばらく腕組みして考えていたので、私はとりあえず通常業務に戻った。やがて総務の人事担当のところに行って何やら話していた上司は、戻ってくると変な気持ち悪い猫なで声で私に言った。
「こちらの業務に支障をきたさない範囲内なら、派遣社員は特に副業不可ってわけじゃないから、丸川さんの仕事、個人で受けてもらうってことはできないかなあ……」
えっいいの。受けちゃうよ。著者さんの力にもなりたいし、丸川効果で『天恵の魔法機械』が売れて蕾花社が安泰になってくれれば私も安心できるし、過酷ではあるけど正味七日で三十万稼げたら超ラッキーだし。
というわけで、私は丸川書房からフリーのライター扱いで『宙空刑事マロン』のリライトを引き受けることとなった。だが、蕾花社が相手なら「リライト三十万」という話だったが、フリーで契約できるなら……ということで、条件が変わった。
「著者が印税を十パーセントから八パーセントにする代わりに、印税の二パーセントはリライターに支払う」。つまり、商業出版の印税は十パーセントが相場なのだが、著者が八、私が二の形に分割するらしい。初版の刷り部数は一万部。書籍の予定価格は千円。初版分の私の印税は、千円×二パーセント×一万部=二十万円。三十万円からだいぶ減ったが、
「でも、このほうが、本が売れた時はあなたの収入は増えますよ」
とのこと。まあ、お金は二の次というか二番目くらいにしか大事じゃないから、金額はどうでもいいんだけど。
さすがは金にシビアな大手出版社、単純にリライトに三十万円かけるところを、著者との分け合いにして実質ゼロにしちゃったよ。蕾花社が相手だと、こういう契約はややこしかったんだな。まあいいや、休日全部つぶれて大変だろうけど、七日間で二十万だって充分儲けもの。私はこの契約を受けた。
著者さんの取り分が減って申し訳ないとは思ったが、連絡して詫びてみたら「いや、僕の文章では本にならないですから、半々でもいいくらいです」とのことだった。まあ、確かにそうだよね。どの当事者もそれなりに儲かる、そこそこのバランスに落としてきたってことか。多分、相手が蕾花社の場合は、「一人の従業員の月給より多めの額を出すから、三週間弱、一人借りるよ」っていう金額を提示してたんだろうな。
こうして、『宙空刑事マロン』は無事刊行された。今回も、「最初、先の空間に行けるのはマロンだけなので、まずはマロンだけが活躍できて、ある程度条件が揃うと仲間が協力して大きな捕り物ができる」という二段構えが上手く機能して、メリハリのあるおもしろい作品になっていた。そして伏線を埋め込むのが上手いのか、黒幕も(あらかじめ全員を疑って読んでいたのに!)やっぱり意外な人物で、ラストの「おお~、そう来たか」という仕掛けも効いていて、読後はものすごい満足感だった。やっぱ、文は下手だけど、この人才能あるわ……。
見事初版印税の二十万円(源泉徴収されて十八万弱だけどね)を手に入れた私は、もう一つおまけに、社内秘のゲームの企画書も見せてもらえた。
私自身、ゲームもたしなむのだけれど、「最初はマロン一人で捜査」のところはアドベンチャーゲームの形を取り、捕り物のところはアドベンチャー+ゲームブック形式で、解くのに無駄に時間や手間をかけて手腕が疑われたらRPGモードでマロンの能力を磨く訓練が必要になるというオマケもついて、なかなかおもしろいゲームになりそうだった。
なおこの件、予想もしないことが二つあった。
一つは、著者の文章が若干上手くなっていたこと。ひどい文章には変わりないが、特に後半からは、「意味不明の呪文」から、「ノリはいいけど超へたっぴぃなダメ文」くらいになっていた。そのため、七日まるまるかかると思っていた書き直しが五日もかからず終わった。話が面白くてついのめりこみ、寝る間も惜しんで書き直していたせいもあるが。
そしてもう一つは……
「『宙空刑事マロン』、十万部突破!」の報がさっき届いた。私の印税が、なんと、のべ二百万円になってしまった。丸川書房さん、まさか私にもこんな大金を払うなんて、思いもしなかっただろうなあ。
なお、『マロン』のヒットに伴って、蕾花社刊『天恵の魔法機械』もさらに増刷を重ねて十二刷となり、計七万部発行となった。やったね蕾花社!
著者さんは、今、三作めのプロットを練っている。今回も私の文章の手直しが入る予定で契約しているが、おそらくそれで私はお役御免となるだろう。文章がどんどんまともになっているため、外注のリライトはほどなく不要になるはずだ。
私の金ヅルはなくなるけど(笑)、いよいよ著者さんも独り立ち。それはそれで「作家を育てた」という充実感がある。やったね私!
まさかの二百万円(源泉徴収で減るけど)、使い道はもう決めた。
われらが蕾花社のヒット作はまだ一作、輩出した作家もまだ一人で、強豪「本の門社」の足下にも及ばない。仕事のうえで、本の門社のノウハウをぜひ見てみたい。また、私もうら若きころは作家になりたいという夢があった。それらを併せて考えるに、つまり……
今、この原稿、実は本の門社に送ってみようと思って書いている。
さて、同業他社のことやこの業界の内情、いろいろ書いてあるこの原稿がどう扱われるだろう。もちろん「出版しませんか」と言われたら即了承する。お金はある。ビミョーなこと、デリケートなこと、いろいろ書いてあるけれど、はたしてどうなるだろう。門前払いでも、出版のはこびとなっても、前向きに考えれば何でも自分の肥やしになるもんね。
私もちょっとだけ夢を見させてもらいつつ、書き手の立場に挑戦してみようと思う。
ああ、ほんとに、作家になりたい人が多すぎる!
そうそう、この作品は、この言葉で締めておかなくては。
「本作はフィクションであり、実在の人物や企業、団体等とは一切関係ありません」……悪しからず!