メルファナ様と
「ごきげんよう、メルファナ様。お元気そうでなによりですわ」
「久しぶりだわ、アリィス。この泥棒猫。よくもわたくしの前に姿を現せたわね」
あまりの言われように目を瞬かせた。私、なにかした? 卒業が近いメルファナ様のカリキュラムの都合で、しばらくお会いできていなかったはずなのに。
「とぼけてもダメよ。わたくし見たのだから。わたくしの可愛いクリストファーを貴女が誑かしているところを」
「クリストファー?」
誰だっただろう。男性と会話する機会は少ないのに思い出せない。
「クリストファー様って、どなただったかしら」
「まあ、なんて白々しい。良くってよ、教えて差し上げるわ」
すくっと立ち上がったメルファナ様はおもむろに腕を広げ、深く息を吸い歌い始めた。
「これは悲しい恋の物語、運命の恋人たちが翻弄され精霊も涙する、悲しき一幕。遥か遠き彼方に見える光を掴まんと懸命に伸ばす幼き腕が」
出会い編からでは長くなると察した私は鞄から画集を取り出した。お気に入りの画集から、更に厳選した私の秘蔵画たち。秘蔵とはいってもいかがわしいものではない。描かれているのはジャンリ似の愛らしい妖精と、美貌の精霊。ジャンリが成長したらこうなるのではないかと、見るたび妄想してしまう。というかこの画集、モデルはデュランダール伯爵なんじゃないだろうか。
「おお、少年よ涙するな。煌めく光が夕日のような瞳を奪ってしまう」
ふむふむ、赤目なのね、珍しい。
頁をめくる。うーん、でもやっぱり別人かなあ。デュランダール伯爵家伝統の髪型と服装って、この画集とはかけ離れすぎている。それにしてもなんでデュランダール伯爵家は爆発頭が伝統になったんだろう。つけヒゲも似合わなかったし、眉は繋がるように書き足していたし。
「そうだ諦めてはいけない。不可思議な魅力を持つ精霊乙女にみたび巡り合うため、身にまとう闇色を誇り進むのだ」
むむ。これは難しい。身にまとうと言ったら服か? 髪の色か? それとも肌の色?
服装といえば、伝統衣装は何故大きすぎるパフスリーブに白タイツだったのか。本来はカボチャパンツとかもセットだったのではなかろうか。すごく昔の肖像画で、ほんの少しだけそれを彷彿とさせる服装を見たことがある。だとしたらどこでカボチャパンツが抜け落ちたのだろう。身長が低いうちは目のやりどころに困っていたものだ。
「ああ、少年よ。ああ、この世に姿を現したる妖精よ。その美しき漆黒の髪をもって全ての悲哀を隠し給え」
黒髪、赤目。
あっ、わかった。身にまとっていたのは濃紺のマントのことか。
すっきりしたところで画集に集中することにした。
「ちょっと、アリィス! いい加減戻ってきなさいな」
「あっ、ごめんなさい、可愛いジャンリを想っていたら夢中になりすぎていました」
成長とともに日々凛々しくも美しく育っていくジャンリに似合う髪型は、似合う服はと考えていると時間というものはあっという間に過ぎ去ってしまう。
「まったくもう、わたくしだから良いようなものの。お気をつけなさいな」
お互い様だと思います。口には出さないけど。
「それで、クリストファーのことはわかったわね」
「はい、しっかりと思い出しました。お名前は伺ってなかったので本当に知らなかったのですけれど」
ジャンリ以外の年下男性なんて興味ないし。
「クリストファー様は、メルファナ様のことを聞いてこられたのですよ。将来結婚を約束しているような方はいらっしゃるのでしょうか、って」
ふふ、愛されていますわね、と貴族令嬢らしく微笑んで言ってみた。ニヤニヤしてはいけない。
父は小規模な街の代官を任されている立場の上に、商いを主体としている男爵なので、私も実家では平民との気安い付き合いが多かった。気を付けないと、うっかり素が出てしまったりするのだ。
あの少年は、恥ずかしかったのか長く伸ばした前髪で瞳を隠していたけど、これ以上ないほど真剣だったのは見ていてわかった。ジャンリと同じくらいの年頃だったから、微笑ましく思ったものだ。
「その質問に、貴方はなんとお答えになったの?」
「ご婚約はされていないはずです、と」
無難だけれど間違っていない返答だったはずなのに、メルファナ様はなんてこと、と悲壮な声を上げて椅子に倒れ込んだ。
「どうかなさいまして?」
「ああ、わたくしが誤解をしたのね。狭量な女だと嫌われてしまったのかも」
さめざめと嘆くメルファナ様の言い分はこうだ。また長くなったので割愛する。
辛いことがあって庭園で泣いていたクリストファー様と、そんな彼を見ていられず慰めたメルファナ様は恋に落ちた。しかしここでもまた年齢差が災いし、家族に反対されてしまう。そこに、メルファナ様より年下の私がクリストファー様と談笑しているのを見た。クリストファー様が頬を染め笑っているのを見て、心変わりされたのだと思い込み、浮気男は嫌いだと冷たくあしらってしまった。そしてその後、会っていない。
想像はついていたけど、いつものパターンだった。何故か年下に惹かれる傾向にあるメルファナ様は、年下男子と恋に落ち、家族に反対され合わせてもらえなくなる。それか、お気に入りの演劇や物語に影響を受けすぎて一時的な情熱に燃え上がり、一気に鎮火する。だいたいこの2パターン。
思い返せばメルファナ様との付き合いも長くなった。主に歌劇場や美術館で偶然顔を合わせるだけだったけれど、5歳の時分から挨拶を交わしていれば、自ずと親しみを感じていくもの。学院に入ってからは時間が合えばお茶をするほどの仲になっていた。
「まあ終わってしまったことは仕方ないわね。クリストファーにとっての運命の相手はわたくしだったけれど、わたくしの運命の相手は別にいるのだわ」
「ええ、その通りです、メルファナ様。ただし、ジャンリは私の運命の相手ですからね」
恋をし、恋に破れてもサバサバとしてすぐに前向きになれるのはすごいと思う。ただ、サバサバしすぎて時間差ほぼなしで次の恋に入るので、恋多き女、年下を弄ぶ悪女と言われてしまうのだろう。
「ジャンリジャンリって、貴女、視野が狭すぎないかしら」
「どういうことでしょうか」
「貴女のジャンリを奪いたいわけではないから安心して。わたくし、そのような綺麗すぎる子は苦手なの」
そういわれてみれば、今までのメルファナ様の恋人たちは初め普通、といってはアレだが、輝くものが特になかったように思う。輝きだすのはメルファナ様とお付き合いをするようになってからだ。
「ジャンリを想う貴女の心は美しいわ。でもそれは恋心ではないと感じるの。全身全霊で慈しみ、全てを許すなんて、そんな一方的なものが男女の恋愛かしら。貴女はもっと違う感情を学んだ方が良いと思うの」
心当たりがありすぎて返事もできない私に、メルファナ様は続けた。
「いきなり別の男性に心を移すなんてできるはずがないわね。だから、まずは他の男性に興味を向けてみてはどうかしら。例えば」
あそこ、と視線で示された先には、金色の髪の細長い印象の男性。
「ダッソー先生?」
「ええ。彼、ほんの少しだけだけれど、貴女のジャンリに似ていると思わない?」
「ジャンリ…」
慌てて画集に目を向ける。こんなに長い期間ジャンリと離れていたことはなかったから、ジャンリ欠乏症になっている。いないことを思い出すと勝手に涙が溢れてくるから、画集からジャンリを探すのだ。
「ほら、少し婚約者離れしなくては。学院では、節度を持った恋愛は推奨されているのよ」
経験を積むため、だという。婚約者がいるならば相手が不快にならない程度に、婚約者がいないならば相手を探す意味で。恋愛経験もなく結婚した夫婦は、のちに家庭外での恋に嵌りやすくなるからと聞いた。
「そう、ですね。私、頑張ってみます」
「ただし、距離感は大切にね。淑女だということを忘れずに。そして、恋を楽しんで」
「ありがとうございます、メルファナ様」
ジャンリの前では格好つけて一端の令嬢ぶっているけれど、気が抜けていると下町風の態度を取っていることがあるらしい。下町の人々の距離感は近い。男女でも腕や背中を叩くなんてこともする。しかしその行為は、貴族としてはマナー違反。下手をすると誘っているように取られることもあるのだとかなり怒られた。
「何かあったらすぐに相談して頂戴。ロワイーズ辺境伯の力、見せて差し上げるわ」
メルファナ様は魅力的に微笑んで去っていく。駆け寄って行った少年は、次の恋のお相手だろうか。
「ジャンリ、私、頑張る」
前を向いて、どんな時でも余裕の微笑みを浮かべて。
ジャンリに依存している今の私では、足を引っ張ることになってしまうから。少しでも成長するために。
「なんてこともありましたね」
「あったわね」
久々にお会いしたメルファナ様は少し頬がふっくらしたように見える。幸せ太りというやつだろうか。言えないけど。
「予想よりも早くジャンリから手を引いたとは思いました」
「あれは、貴女がなにも変わっていなかったからよ。少し焦らせて危機感を煽りたかっただけ」
「私なりに変わったつもりだったのですけど」
「大人の女性を演じていただけでしょう。それにしても、予想を超えるネンネちゃんだったわ。貴女も簡単に引いてしまうから、私の方が危機感を感じてしまったじゃないの。父君の求婚を受け入れた貴女を見たジャンリは大泣きしてしまうし」
好みではないのにほだされるところだった、と大きなため息をついた。
周りを見ている余裕がなかったので、大泣きするジャンリを見逃したのが残念すぎる。
「メルファナ様が本気ならば、ジャンリを幸せにしてくれると考えてしまいまして」
本当に、一番安心して預けられるのだけど。メルファナ様は面倒見がいい。だから、年下に頼られているうちに恋愛感情が育ってしまうのだろう。
「それにしても、クリストファー様が隣国の方で、10年間も諦めずメルファナ様を想っていらしたなんて、素敵な恋物語そのものですね」
しかもその10年間は会っていなかったとか。なんという純愛。
「わたくしも、おかしいとは思っていたわ。あの年まで婚約者も宛がわれないのだもの」
内々に婚約が決まっていたけれど、束縛はしたくないとの思いやりだったとか。それもこれもメルファナ様への信頼の上に成り立っていたのだろうけど、もし何か間違いがあったらどうなっていたことか。
「それで、父君とは仲良くされているの?」
「ええ。ヴォルツ様は、ジャンリと張り合ってしまうような可愛らしさだけでなく、男らしくて素敵な面もおありにあるの」
「それは良かったわ」
思い出して顔が火照る。毎朝毎晩、愛の言葉を囁かれ、抱きしめられることがこんなに幸せなことだったなんて。
「初めはどうしようかと戸惑いしかなくて。婚約の当日に結婚して、すぐに初夜でしょう? 心の準備ができてないって言ったら、君はそのままで良いんだって、とても優しくしてくれて…。単純かもしれないけれど、肌を合わせたら急に愛おしく感じて。もしかしたら私、ヴォルツ様を昔から愛していたのかもしれないとか」
「単純」
わかってます。
「そうそう。ジャンリが各所で、いずれ貴女と結婚するんだって言いふらしているわよ」
「はあ?」
「あの子、一皮むけて良い感じになったわね。自分の魅力を理解した立ち回りが上手になってきたわ」
まさか、外でもあれを言っていたりは、さすがに、しないわよね。
「貴女はしばらく社交界から遠ざかっていたから知らないでしょうけど、逆ハーレム、だったかしら。奥様方の話題の中心になっていたわよ。お盛んねえ」
ころころと本当に楽しそうに笑う。ご自分がやり玉に挙げられていないから、とても楽しそうだ。
恨めしい気持ちを込めて見つめてもどこ吹く風。受け流すのが一番だとはわかっているけど。
「少しの間、メルファナ様のお屋敷にお邪魔させていただけないでしょうか。ジャンリが諦めるまでで良いので」
「いやよ。一生居座る気?」
本当に嫌そうに言われて、逃げ場がないことを悟った。
情報通だと聞く精霊様、ジャンリの運命の相手を探してください。もちろん私以外でお願いします。




