ウーロンハイ
Barといえば大袈裟なカクテルや大袈裟なハードリカー、値の張るワインなどを飲むような
先入観がある。逆にチュウハイなどは居酒屋などで飲むという先入観がある。
しかしそれらは人それぞれの価値観であり、Barでいかにも居酒屋的なチュウハイというのも
ありだろう。特にそれが、最もおいしく飲む定義でつくられれば…。
「今年一番出たカクテルは?」
「ソルティ・ドッグとジントニック、ですね」
「じゃあさ、カシオレやウーロンハイは?」
今年もあと二日。私は今年の飲み納めにヒトミちゃんのBarへ来ていた。
大晦日と正月はは妹の婚約者が来るので、そのために料理を作らなければならない。
と言っても材料の仕入れや調理はヒトミちゃんに手伝ってもらう予定だけど。
ヒトミちゃんが色々酒を持ち込んでくれるらしいので妹と竜也くんに何か飲みたいものは
ないかと聞いたら、「ウーロンハイ」と言っていたのだ。
「ここでウーロンハイって頼む人も、実は居るんですよ。まあ立ち飲みや居酒屋のほうが
似合うっていえば似合うんですが」
「なんとなく『安っぽい』ってイメージあるよね。でもさ…」
「まあ世の中にはウィスキーのウーロン割を好む人もいますし。ウーロン茶で割るとスッキリ
して飲みやすいから、好む人は多いのかも・・・ あ、いらっしゃいませ」
そんな話をしていると、女性3人組がやってきた。おそらく予約の、忘年会って所だろう。
二十歳そこそこで、イマドキのメイク。いかにも「ギャル」という言葉が似合う。
「わー、なんかオシャレなとこじゃん」
「チハルなんでこんなとこ知ってるのー?あ、カレシでしょ?」
さっきまで静かだった店の中が一気に騒がしくなった。
三人寄ればかしましい、とはよく言ったものである。
「いらっしゃいませ。何にいたしましょう?」
「えっと、なんにしよっかな?」
「私ウーロンハイ!」
「あ、じゃあ私もー!」
「私は生ビール」
ウーロンハイに生ビール…。なんとも居酒屋的である。
前の私なら「Barでそんなもの飲むなんて」と言っていたが、最近はBarであっても
居酒屋であっても「酒を飲む所」というのには変わりないと思ってきている。
ただし、BarにはBarなりのチュウハイの供し方、飲み方があるけど。
私はさっきからの「ウーロンハイ」という言葉で、五年前のことを思い出していた。
あれはまだマスターがいたころで、ヒトミちゃんはいなくて…。
Barに通い始めて一年ちょっと経った年末。ちょうど今日みたいに寒い日だった。
カウンターには私と、常連の加代さんとヒロシさん。カウンターの中にはマスターがいた。
私はすっかりいろんなカクテルを飲みつけて、その日もマティーニを飲んでいた。
「美紀ちゃん、すっかりカクテル飲む姿が様になったな」
「えー、そうですか?」
「最近は俺よりもカクテルの知識あるんじゃないかな?ま、ハードリカーについては
まだまだ負ける気がしないけどさ」
隣でヒロシさんがタバコを吸いながらジンを口に運んでいる。
「最近はマティーニにはまってますよね?」
カウンターの中でミキシンググラスを洗いながらマスターが少しだけ顔を上げて
話しかけてきた。
「私もBarが好きになった頃はよくマティーニ飲んでましたよ。同じ人でも日によって
微妙に味が違ったりするんですよね」
「そうそう、マスターの作るのも毎回微妙にだけど味違うんだよね。ヴェルモットの分量の
ほんの微妙な違いで」
「あ、加代さん。何か召し上がりますか?」
ヒロシさんと反対方向でジンフィズを飲んでいた加代さんのグラスがすっかり空いている。
Barという特殊な空間の酒場に通い初めて1年。私はすっかりBarの空気に酔いしれることを
覚えてしまい、居酒屋や立ち飲み屋をどちらかといえば「下等な店」だと思い込んで
しまっていた。だから・・・
「どーしよっかなぁ。じゃあウーロンハイ」
「はい、ウーロンハイですね」
「えー、加代さん、ウーロンハイって…」
「ん?美紀ちゃんどうしたの?」
思わず加代さんの言葉に顔を上げて驚いてしまった。
「Barでウーロンハイって。居酒屋じゃあるまいし・・・」
「おかしいかなぁ?」
「だって、Barでわざわざ飲むようなものじゃないでしょ?」
ウーロン茶の焼酎割りなんて、どこでも飲める。
それよりもBarではもっと高貴な感じのカクテルやハードリカーを飲むべきだと
思っていたのだ。だから加代さんがウーロンハイなんてオーダーをしたのを聞いて、
ビックリしてしまったのだ。加代さんはBar歴15年以上のベテランのはず。
そう私が狼狽していると、マスターがウーロン茶と焼酎を冷蔵庫から取り出しながら
言った。
「そうでしょうかね?Barってのは確かに敷居が高い空間だと思われてますがね、
結局は酒場。酒を飲むところというのには居酒屋やBarとは変わらないですよ。
だからそれぞれ好きなものを飲んでも、おかしくはないでしょ?」
「う・・・、そうだけど…」
「ただ、BarにはBarなりのウーロンハイの作り方、飲み方ってのがありますがね。
それこそ安さ自慢の店で出しているのと同じものを出してたらボッタクリですよ。
一番美味しい状態のウーロンハイを作るのが、Barという空間の役目です」
私はそのマスター言葉が胸に深く刺さった。それと同時に、今まで一方向でしか
考えてこなかった自分が急激に恥ずかしくなったものだ。
居酒屋だって立ち呑み屋だって、決して下等な店ではない。そういった店にはそういった
店の「役目」がある。そしてBarにはBarの役割があるのだ。
「でもさ、一番美味しい状態って言っても、普通のウーロン茶に、普通の甲類焼酎じゃん。
それで作れるの?」
ヒロシさんがカウンターの上を見て突っ込む。確かによく売られているウーロン茶とと焼酎だ。
なにか仕掛けがあるのだろうか?
「ヒロシさん、究極のドライマティーニの定義をご存知ですか?」
「えーっと、適量のジン、ヴェルモットのリンスの手早さ、そして・・・
限りない冷たさ、だったよな?」
「そうです。冷やして飲む酒は、できるだけ冷やして供することが、濃くして出すことよりも
大切、ってわけです。ウーロンハイも同様に、出来る限り冷やして作り供する。
ウーロン茶も焼酎もレモン汁もキンキンに冷やしてありますし、グラスはもちろん冷凍庫で
保管したものを使います。あとは焼酎とレモン汁を直前にシェイクして、氷を入れれば…」
「えー、なんかここのウーロンハイオイシー!」
「青木屋のと全然違う!」
「限りない冷たさ」を守り通したウーロンハイは、ヒトミちゃんにも伝わっている。
実際これは他のカクテルでも同様だ。ジンやウォッカなどのスピリッツは冷凍保存しておく
べきである。「冷やして飲む酒は、できるだけ冷やして供する」ってのは当たり前すぎて
割と見落とされがちなことだ。ピルスナービールなんかはその基本を守らないといけない
ことは常識になっているが、店で供されるチュウハイなどに関しては、無頓着な所が
多い気がするのだ。
私も一杯作ってもらったウーロンハイを飲みながら、まだ無知だったあの頃の自分と
マスターのことを、何気なく思い出していた。
今日帰ったら冷凍庫にいくつかグラスを入れておかないと。
明日のために。