楽しさと面白さ(前)
「・・・で、久々に調理専門学校の同期だった子達と飲みに行ったんです」
「同窓会的なやつ?」
「同窓会ってか、報告会みたいなものですよ。みんな大手の食品会社に行ったり
市の給食センターで働いたり、結構しっかりやってるな、って」
「ヒトミちゃんだって店のオーナーじゃない。しっかりやってると思うけどね」
秋が深まってきたBarのアミューズは秋刀魚とかぼちゃのパイ。
そして飲み物はアンバータイプのビール。
まさに秋という感じだ。
「このパイ、なんでニシンじゃないの?」
「ニシンって春の魚ですよ…?あ、もしかして「あれ」言いたかったんでしょ?」
「『私これ嫌いなのよね~』」
「そんなつもりで作ったんじゃないんですよ。ハロウィンのカボチャと、秋の旬の
秋刀魚をあしらって、お洒落かなと」
アミューズとはいえ、さすが調理専門学校を卒業しているヒトミちゃんだけあって
お洒落で凝ったものをだしてくれる。やはり食も酒も「飲食する楽しみ」が無いと
駄目だ。このパイは別な意味での「楽しみ」もあるから面白いのだけど。
と言うのも、この間はトーストの上に硬く焼いた目玉焼きを乗せたもの、その前は
超厚切りベーコン。明らかに狙っているとしか思えない。
そんなに空を飛ぶものがヒトミちゃんは好きなんだろうか?
「そうそう、食べる楽しみって言えば、市内の給食センターで働いてる子が、
献立考えるの大変だって言ってましたよ」
「栄養士なの?」
「はい。栄養バランスだけじゃなくて、いかに食べる楽しみを与えられるかが
ネックだって。給食も「食育」って言って、教育の一環らしいです」
たしかに給食に関しては最近色々問題が起きているようだ。
給食費未納問題や、それが影響しての献立の極端な簡素化。
また、「居酒屋風給食」「超ミスマッチ献立」など、常識では考えられない
献立も数多く存在するそうで、私が小中学生のころとは大違いみたいだ。
「で、私も色々考えてみたんですがね。…それで美紀さん、お腹空いてます?」
「全然話のつながりないじゃん。まあパスタくらい食べられるくらいの空腹かな」
「じゃあ、ちょっとだけ試してほしいのがあるんですけど」
そういうとヒトミちゃんは奥へ入って行き、しばらくすると色々乗ったトレーを
持って運んできた。
「なにこれ?牛乳…? パスタ? それに…」
「はい、学校給食を参考に作った『大人の給食セット』です」
「じゃあもしかしてこれはパスタじゃなくて…」
「はい、ソフト麺です」
『大人の給食セット』は、見た目は普通の学校給食に見える。
しかしそれは本当に見た目だけで、恐ろしい「仕掛け」がしてあったのだ。
「へえ、ミルメークなんて懐かしいね… って、これカルーアじゃん!」
「はい。大人の給食セットですから。ミルメークに似たものといえばカルーアでしょ」
さらにソフト麺のソースは辛目のカレーソース、サラダはゴルゴンゾーラを使った
シーザーサラダ。おあつらえ向きにレタスなどはしっかり茹でてある。そしてブランデーに
漬けたラ・フランス。
「よくソフト麺なんか手に入ったね」
「最近はスーパーでも一般家庭用に販売しているんですよ。給食センターで働いてる子の
話聞いてたら、なんか懐かしくなっちゃって。正直私、給食の時間が憂鬱だったんです。
信じられないかもですけど、結構偏食だったし食べるの遅かったし。
だけど今振り返ると、なんか懐かしいからまた食べてみたいな、なんて思ったりして」
「あ、それは分かるかも。私のお父さんが昔、『脱脂粉乳はまずかったけど、いい思い出だ』
とか言ってたことあるもん」
ということはアミューズに出てきた秋刀魚とカボチャのパイも、この給食の理念から
ヒトミちゃんの頭に派生したいわゆる「食べる楽しみ」の一つなのだろうか。
確かにソフト麺なんて学校給食を食べなくなってからお目にかかったことは無い。
スーパーで販売されていたことすら知らなかった。
現役で食べていた頃は伸びきったパスタという感じでどうも好きにはなれなかったが、
今食べてみると懐かしい味がして、不思議と美味しく感じる。
人間の味覚って言うのは、こういうところが不思議だ。なにか「楽しみ」や「面白さ」
があれば、普段そうでもないものまで美味しく感じられてしまう。
私がすっかり食べ終わった頃には、ヒトミちゃんは既に店の片づけをしていた。
私も自分の食べた食器の洗い物を少し手伝い、ヒトミちゃんは店内の掃除をして
施錠をし、看板のライトを消すと、私と一緒にバックヤードへ入った。
「さて、と。美味しいものを食べたすぐだけど、また美味しいもの貰おうかな?」
そういって私はヒトミちゃんの肩に手をかける。最近はいつもここでヒトミちゃんと
愛を確かめ合っている。ヒトミちゃんの部屋ですればいいのだが、最近はお互いに
部屋まで待てないのだ。
軽い口付けの後一旦唇を離すと、今度は深い口付けを交わす。
既に私の手はヒトミちゃんの服の中に入っており、ヒトミちゃんの息は次第に荒くなって
いく。唇を離すとヒトミちゃんも私の胸に手を差し入れてくる。
それを合図に、私は手を下のほうへ持っていくと、ヒトミちゃんのスラックスに手をかける。
「…美紀さん」
「ん?どうしたの…」
「……その…、なんでもないです」
「そう」
スラックスを下げると、ヒトミちゃんをますます快感の渦にのめり込ませていった。
「どうする?部屋でもう一回する?」
一段落ついた後、テーブルの上で乱れた服も直さずにタバコ吸いながら寄り添っていた。
快感を得た後はあまり動きたくは無い。酒で酔う以上の心地よさがそこにはある。
だが、今日は違った。
「…美紀さん、ちょっといいですか?」
「うん?なんかさっきからヒトミちゃん変じゃない?なにかあったの?」
「その、…もうこんなことやめませんか?普通の関係に、戻ったほうがいいかなって
思って」
私は一瞬、ヒトミちゃんが何を言っているのか分からなかった。
「え?どういうこと?」
「どういうことって、そのままですよ。私は美紀さんが大好きです。だけどこのまま
こんな関係を続けてても、なんかダメな気がして。普通に男性と恋愛したほうが、
お互いのためなんじゃないかなって…」
「ちょっとまって。レズビアンが普通じゃないって言うの?ダメだって言うの?」
「そうじゃないです。でも、日本では同性同士の結婚は出来ないでしょ?それに世間からの
風当たりも良くないし…。女の人と付き合っている、なんて友達とかの前で大っぴらには
言えないですよ」
確かに今の日本では同性愛はタブー視される傾向にある。アニメや漫画などでは認知されている
らしいが、現実となれば引かれるケースが多い。現に私も家族や同僚、友達に女性と付き合って
いるとカミングアウトしたことはない。
でも決して恥ずかしいことだともいけない事だとも思っていない。もしバレたらその時はそれで
構わないのだ。
「でもさ、好きな感情に男も女も関係ないじゃん。私はヒトミちゃんを愛してるんだし。
ヒトミちゃんだっけ私を愛してるんでしょ?」
「そうだけど…。じゃあ美紀さんは結婚願望はないんですか?」
「…結婚かぁ。正直無いかな」
「・・・」
しばらくの間沈黙が流れた。聞こえるのは、マスターが遺していった時計の秒針だけ。
すっかり灰になったタバコを灰皿でもみ消すと、私は起き上がって下着と服を直し始めた。
本当はヒトミちゃんをもう一回押し倒そうかと思ったが、さっきまで残っていた快感は
すっかり消し飛んでいる。「楽しみ」や「面白さ」が無ければ性行為も「まずく」なる
ものなのだ。つまり強姦は焦げきったポテトと一緒。
「じゃあ今日はとりあえず帰るね。ヒトミちゃんはそう思ってても、私はヒトミちゃんの
こと、諦めないから…」
「・・・」
ヒトミちゃんから返事は無かった。軽くすすり泣く声を背に私はバックヤードの勝手口から
外へ出た。もしかしたらここから出るのも最後になるのかもしれない…。
眩しい看板が立ち並ぶスナック街は相変わらず酔っ払いの集団がノロノロ歩いている。
日常。
ヒトミちゃんと体を合わせているときは、ある意味非日常な快楽を歩んでいる。
しかしここは冷たい日常。思わずスナックの看板が滲んで見える。
なんとか抑えようとしても涙が止まらない。私はビルの陰に入ったところでしゃがみこんで
しまった。今まで「フラれる」という経験は人生の中で一度もなかった。
いや、正式にヒトミちゃんにフラれたわけじゃないけど。
少し落ち着くと近くのコンビニへ入り、ウィスキーのポケットビンを買う。
ポケットビンを手に私は公園まで行くと、ベンチに座ってウィスキーを思いっきり
流し込んだ。ひどくまずい。安いバーボンだけど、こんなにまずいはずは無いのに。
まずく感じるだけかもしれない。自棄酒は美味しいはずが無い。
でも、そうでもしなければモヤモヤした気分が落ち着くはずも無かった。
そんな飲み方をすれば酔いが回るのも当然で、すぐに目の前がグニャグニャしてきた。
それでも私はポケットビンを口に運ぶ。すっかり飲み干してしまったところでベンチから
身体が落ちて地面に突っ伏した。ひどく眩暈がする。喉が恐ろしく渇いて、焼けそうに
熱い。
「・・・!!」
誰かが呼んでいるらしいが、もはやはっきりと聞こえない。
そのまま私の意識は遠のいていった。