第3話 究極のドライマティーニ
「とうとうちらつき始めたよ」
「ついに降ってきましたか。今日は特に寒かったから…」
私は肩と頭に少しだけかぶってしまった雪を入り口で掃って、コートを脱いだ。
外はこの冬一番の冷え込みで、今年の初雪だ。例年と比べると少し遅めの初雪かもしれない。
しかし道路の凍結とか、雪かきとかを考えたら少しでも降っては欲しくないものだ。
「既に屋根はスノースタイルですか?」
「…分かる人にしか絶対笑えない駄洒落だよね、それ。ちょっと暖房もっと上げて!」
「いや、そういう積りじゃないですよ?」
マスターはバツが悪そうに私にお絞りを渡すと、本当に暖房の温度を上げた。
本来Barの空調は、暑過ぎず寒過ぎずが基本である。酒を飲むに当たってもそうだが、
酒自体の品質管理にもその方が適しているわけだ。しかし保存が難しい品質の酒は、夏でも
冬でも冷蔵庫や冷凍庫にいれておくべきであるけど。
「今日はどうしましょう?」
お決まりのオーダーを取るセリフが飛ぶ。
「そうだなぁ・・・折角雪が降ってるし…」
「スノースタイルのですか?」
「いや、それはもういいから」
いつになくマスターは親父ギャグっぽいのを連呼してくる。
何か飲んで酔っているのだろうか。それともどこかで頭でもぶつけたのか。
そんなマスターを尻目に、「冬っぽいカクテル」を考えてみた。
アラスカ、モスコミュール、ブラックルシアン、…いかにも寒そうな地域の名前ばかり。
雪国、マルガリータ、ソルティ・ドッグ …これじゃマスターの思う壺。
「じゃあ、マティーニ」
「は? はい。かしこまりました」
結局はいつも通りのチョイスになってしまった。あれだけ考えた挙句、
マティーニだったためにマスターも狼狽が隠せないようだ。
オーダーに困った時は、マティーニを頼むに限る。カクテルの王様とも
呼ばれているこのカクテルは、材料であるジンとベルモットの種類は勿論、
創る人によっても全く風味が違ってくるもので、いつ飲んでも飽きない。
「ええと、タンカレーとチンザノでしたね… あら!」
「え、どうしたの?」
マスターはチンザノの瓶を逆さにする。どうやらチンザノが品切れになって
しまっているらしい。
「スイマセン、在庫が切れてましてね。・・・ノイリープラットじゃあダメですか?」
「えー、ノイリー?」
私はチンザノのかすかな甘みとタンカレーのスッキリした辛さが調和したのが、一番
シックリくるのだ。ノイリープラットだと辛口になりすぎて舌が痺れる感じになる。
どうせマティーニにするのなら、あまりにも極端に辛口は避けたい。そうするくらいなら…
「じゃあマスター、タンカレーをショットで。あとそのチンザノの瓶もここに置いて」
「え、タンカレーだけで?あ、まさか・・・」
マスターは怪訝そうな顔でショットグラスを出すと、タンカレーを注いで、
チンザノの瓶と一緒に私の前に出した。これぞ、「究極のドライマティーニ」だ。
どうせノイリーを用いてそこまで辛口にするのなら、いっそこうしてしまった方が
良かったりする。飲み方は勿論、チンザノの瓶を眺めながらタンカレーのストレートを飲んで
マティーニの味を想像するのだ。これをやる人はそうそう居ないだろう。特に私のような若い女が
やっているなんて、日本中探して何人居る事か…。
でも・・・
「いかがですか?「ドライマティーニ」のお味は」
「…うん、やっぱりどう味わってもタンカレー。やっぱりマティーニはならないね」
「ハハハ、そうでしょう。私も実は一時期その飲み方にはまってたんですがね、余程の
妄想力が無いと、マティーニの味にはなりませんよ」
要するに、私にはまだこの究極のドライマティーニを味わうには色々と未熟なのだろうか。
やはりそれなりの経験と年恰好が必要なのかもしれない。何か恥ずかしさが沸いてきて、
私はショットグラスを一気に空けてしまった。
「やっぱり別なのにするかな…」
「じゃあ、スノースタイルの何かで宜しいですね?」
「いや、それはもういいから!・・・じゃあ冬っぽくオールドセントニックのウィンターライで」
「オン・ザ・ロックですね、雪っぽくフラッペドアイスで…」
「マスター、やっぱり酔ってるでしょ?」