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第2話 『はじめて』の雰囲気

「お疲れ様〜」

年末に近づくにつれてポツポツと催される「忘年会」。

今年も会社の忘年会はいつも通りの

チェーン居酒屋にて催された。

美味しいとは言えない銘柄のビールに、

詐欺のように薄いチューハイやカクテル。

そして揚げてからかなり時間が経ったで

あろうと思われる揚げ物群に、

新鮮味のかけらも無い刺身。

チェーン居酒屋の安い宴会料理とは、

どこもこんなものなのだろうか。

「飲み放題で飲めて、適当に食べられればいい」

なんていう魂胆が丸判りだ。

まあ忘年会なんて、そういう雰囲気が基本形であろうけど。


やっと不味い酒と不味い料理から開放されたのは21時頃だった。

明日は休みだし、まだ飲み足りていない。

とは言うものの、飲み放題の基を取るべく

ビールはジョッキに5杯飲んで、

日本酒もいい具合に空けてきたのだが。

その飲みっぷりに男性社員どもは圧倒されていたようだ。

が、心の底では酔い潰れるのを期待していたと思う。

飲み会で「アフター」を期待する男性ってのは、

結構居たりするものだ。

結局私に関してはそんな心配は無いのだが。


私の足は自然にいつものBarの方向へ向いていた。

ここからなら5分も歩けば着く。

酒を飲むことが判っていたから、朝会社へ行くときも

自分の車を使わずに、妹を叩き起こして送ってもらったのだ。

だからどれだけ飲んでも構わない。

寒空の下歩き始めると、後ろから誰かが

着いてきているような気配がした。

振り向くと1つ下の後輩、典子が居た。


「先輩、どこか行くんですかぁ?

 家とは逆の方向に歩いてるし…」

「あ、うん。もうちょっと飲みたいなぁ〜なんて」

「私ももうちょっと飲みたいんですよ、

 連れて行ってください」


典子は笑顔を浮かべて私の横まで小走りでやってきた。

見方によっては高校生くらいにも見える幼い顔立ちが印象的で、

たまに何人かで飲みに行くと、必ずと言ってよいほど

身分証明書の提示を求められる。


「いいけど、早く帰らなくてもいいの?お家の人が心配するよ?」

「もぅ、小学生じゃないんだからぁ!」

「アハハ、分かったわよ。じゃあ5分くらい歩くよ」


ふぐの様に頬を膨らましている典子を促して、

私はBarへ向かって歩き出した。

ここら辺一帯は居酒屋とスナックが軒を連ねている。

駅に近い事もあってか、この辺りにしては多少は栄えているところだ。

だが夜は酔っ払いばかりで治安が良いわけではないので、

私達は足早にBarを目指した。


「えぇ、私居酒屋とかに行くかと思ってたら、

 ここって、バーですか?」

「そうそう。私の行きつけの店」

「わー、私バーって初めてなんです。なんか緊張するかも」


「いらっしゃいませ」

扉を開くと、いつも通りジャズとマスターの声が出迎えてくれる。

私は典子をつれていつもの席に座る。他にお客は一人いた。

良くみる常連の加代さんだ。彼女も私と同じクチで、

Barで飲むことを何よりも楽しみにしている若い女性だ。


「あ、今晩は。今日は可愛い娘連れてるわね」


加代さんがタンブラーを傾けながら声をかけてきた。

手に入っている小さなタトゥーが光って印象的だ。


「うん、職場の後輩なの」

「こ、こんばんは」


典子は私の後ろで小さくなりながら、細々とした声で挨拶した。

元々結構人見知りする方だが、今日は時に酷い。

Barということもあってだろうか。


「今日は、どこかで飲んできたんですか? …はい、どうぞ」

「ちょっと会社の忘年会で。居酒屋の不味い酒

 沢山飲んじゃったから、お口直しに…」


マスターがお絞りを差し出しながら、鋭く推測してきた。

おそらく微かな息の匂いや、服についている

匂いから嗅ぎ当てたのだろう。いつもながら恐ろしい洞察力だ。

以前餃子を食べた後店に行ったときなど、

ボロクソに言われたものだ。

そして口の中を消毒しろと、ビーフィーターを

ショットで一気に飲まさせられた。


「今日は、何に致しましょうか?」

「うーん、ちょっとスッキリしたいからまずジン・フィズ」

「はい、かしこまりました。…お連れさんは?」

「・・・あ、私ですか?え、…えーと、カクテルを」


典子はいきなりオーダーを聞かれ、焦っているようだ。


「アンタねぇ、カクテルって言ったって星の数ほど在るのよ」

「ええ、でも分からないんですよ、こういう所初めてだから…」


カウンターの向こうでジンの瓶を取り出していた

マスターが急にこっちを向いて、クスっと笑った。


「そんなに緊張しなくてもいいですよ。Barだからって

 変に気を使う方が多いですけど、Barも結局は大衆的な

 飲み屋なんですから。飲みたいお酒のイメージを言って

 くだされば大丈夫ですよ。

 甘いのとか、辛いのとか、色が綺麗だとか」

「は、はい。じゃあ甘くって、そんなに弱くなくって

 綺麗なのを・・・」

「かしこまりました」


マスターはそういうと、冷蔵庫から銀色の装置を取り出した。

それは紛れも無く「エスプーマ・マシン」。

カクテルの材料の一部を泡にする機械なのだ。

これを用いたものを「エスプーマカクテル」と言い、

泡と液体、両方の食感を味わえるカクテルとなる。

中々これが出来る店は少なく、創始者は

G県のとあるBarのバーテンダーだという。


「あ、エスプーマだ!ズルイ、私も欲しいなぁ」

「スイマセン、これで今日の泡は終わりなんですよ。

 さっき加代さんにもお出ししちゃったから・・・」

「ええー、ショック」


私は腹いせにジン・フィズを半分くらい一気に煽った。

典子はと言うと、シェイカーを扱うマスターを

興味津々といった眼差しで見ている。やがてマスターは

完成したグラスを典子の前に差し出した。


「わぁ、綺麗」

「サイドカーというブランデーベースのカクテルに、

 巨峰のリキュールとジュースを合わせた泡を乗せたものです」


サイドカーのオレンジ色と巨峰の泡の、紫のコントラストが

綺麗に仕上がっている。

いつもながらエスプーマカクテルは、見た目も楽しめるものだ。


「美味しい!こんなに美味しいお酒はじめてかも」


典子は一口飲むと、恍惚の表情を浮かべた。


「ね、典子、私にも一口・・・」

「え、ダメですよ。これは私だけのもの」

「ケチ、ちょっとだけでいいから…」

「しょうがないなぁ・・・」


私は半ば強引に典子からグラスを奪うと、

泡と液体のなるべく中間を飲むように一口飲んでみた。

・・・サイドカーの少し強い味と、巨峰の泡の

クリーミーで甘い味が見事に調和している。

こういった味が重なると互いが自己主張しあってしまいがちだが、

このカクテルはそれが全く無い。

冗談抜きで、単なる酒ではなく芸術品の粋ではないだろうか。

私はあまりに感動して、しばらくボーっとしてしまっていた。


「先輩、そろそろ返してくださいよっ!」


その声で私は我にかえって、典子にグラスを返す。


「マスター、久々に感動しちゃったかも。これ、凄い」

「いやいや、そんな大げさな」

「いや、マジで。見た目、味、フレーバーどこをとっても、

 私が今まで飲んできたカクテルの中で3本の指に確実に入るかも」


私がまだ少しボーっとした目でマスターを見つめると、

マスターはグラスを拭く手を止めた。


「Barってのは、堅苦しいイメージがどうも拭えないらしいのですよ。

 だから中々Barの敷居は高く思われるみたいなんです。

 でもね、一度入ってしまえばこういったアットホームな

 雰囲気の中で色んなお酒が楽しめるんです。

「お酒を楽しんでもらう」ために、見た目、味、雰囲気を

 最大限にカクテルとしてお客様に提供するのが

 私の仕事ですからね。初めてBarにいらした方も、

 楽しんでいただけるようなカクテルを創るとこがね」


「じ、自分でアットホームとか言っちゃってるよ」


端の席から加代さんの笑い声が飛んだところで、

マスターの話は途切れた。


「…折角いい事言ったつもりなのに」


マスターは不貞腐れたような顔をして、またグラスを拭き始めた。

典子も私も大笑いをしながら、

加代さんと改めてグラスを重ねたのだった。

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