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ツケの時効

既に12月。

夜になれば外に駐車してある車のフロントガラスが凍り始める。

ハードリカーや、ホットウィスキー、ホットバタードラムなんかで

身体を温めたい季節だ。


いつものBar。

そこには例え冬でも、独特のぬくもりがある。マスターがいた頃は、

優しさというぬくもりだったけど、ヒトミちゃんの店になってからは

優しさとはちょっと違うぬくもりで溢れている。

女性特有の、とでも言うか…。


「あー、なんか懐かしい味」

「マスター直伝のレシピですからね。ホットチキンってのもいいでしょ?」


私の前に置かれているのは、ウォッカとチキンコンソメスープのカクテル、

「ホットチキン」。

コンソメスープのレシピはマスター直伝で、在りし日に一回飲ませてもらった

あの味そのままだ。


「第三話『コンソメスープ』で、寒い日にマスターが飲ませてくれたんだよね。

 確か洋食屋で修行してたときに作ってたスープとか」

「もう何十年も前からある味なんですね。ちゃんと守っていきたいな」

「ねえねえ、所でヒトミちゃん…」


私は小声で言う。さっきからカウンターの端で女性と飲んでいるオヤジのことだ。

去年くらいからたまに見かけるが、毎回連れている女性が違う。大方、キャバクラの

同伴出勤なのだろうけど。いかにもどこかの重役って感じのオヤジだが…


「よーし、じゃあ行こうかね、アカネちゃん チェックね」

「はーい」

「…と、ここはカードが使えないんだったか?現金は持ち歩かない主義でね。

 すまんけど、またつけておいて貰えないかね?」

「またですか、遠藤さん。そろそろ最初のツケから数えて1年で10万円のくらいに

 なりますけど。ボチボチ払っていただかないと・・・」

「そのうちまとめて払いに来るから。なっ、頼むよ」

「・・・」


遠藤と呼ばれたオヤジはそういうと、そそくさと女性を連れて店を出て行った。

私の後ろを通るとき特有のポマードの匂いと、女性のキツイ香水の匂いが鼻をかすめ、

瞬時に不快指数が増加する。


「ちょっと、なにあのオヤジ」

「去年くらいから来てる、X薬品の専務なんですが。いつもツケでって言って、足早に

 店を出て行くんです」

「X薬品?有名なブラック企業じゃん。そこの専務ねぇ。なんとなく悪い奴っぽいね」

「最初に「ツケ」でって言われたのが1年くらい前で、まあ大企業の重役ならって

 信用してツケにしたんですが、それ以降もあんな感じで…」

「全くねぇ」

「それに、ツケを残したまま1年くらい来てない人もいるんですよ。それも会社の

 社長で…」

「…え?ねえヒトミちゃん。その人の最後にツケにした日ってわかる?」

「は?…はい、わかりますけど…・たしか帳簿に」

「あと2週間で一年じゃないの!」


Barなどの飲食店の貸し売り、つまり「ツケ」は法律上1年で時効になる。

だからツケを1年間放ったらかしにしておけば、時効ということでチャラになってしまう

のだ。ヒトミちゃんから聞くところによれば、ツケの張本人はA工業の社長、橋本一二三。

約15万円の飲み代をツケにして店には顔を出していないらしい。無論書面での請求は

したものの、それにも応じていない。


「どうしましょう…。踏み倒されるなんてことになったら・・・」

「よし、私の友達に法律事務所で働いてる子がいるから、力を借りましょう!」

「・・・はい」


ヒトミちゃんはすっかり落ち込んでしまっていた。私は何とか元気づけようとする

ものの、空回りで終わった。


翌日。開店前のBarに、私は高校時代からの友人の早苗を連れてきていた。

大学も法学部、法科大学院を卒業し、いずれ司法試験を受けるために法律事務所で

勤務している。今回の件で力になってくれるには十分だろう。


「美山ヒトミです。よろしくお願いします」

「針山早苗です。美紀から事情は聞いてます。早速ですが、帳簿を見せていただきますか?」

「はい」


早苗はヒトミちゃんから帳簿を受け取ると、食い入るように見始めた。


「どう、早苗?」

「…うーん、美山さん。確かに形式上はあと2週間で時効は成立します」

「やっぱり…。踏み倒されることになるんですか?」

「ところが、そうやすやすと時効にはならないのですよ。ほら、ここ見てください」


早苗が指をさした所には、「橋本一二三 1000円」と書いてある。


「これは、橋本氏から1000円支払って貰った、ということで間違いはないのでしょうか?」

「はい。最後に店に来たときに、ツケを精算してくださいって言ったら、今は現金で

 これだけしかない、と言って、置いていった1000円です」

「美山さん、ツケの分は、2週間後以降でも回収できますよ」

「ホントですか!?」

「早苗、ホントなの?」

「ええ。実は…」



二週間後の月曜日。私とヒトミちゃんと早苗はA工業の本社に来ていた。


「針山さん、お忙しいところスミマセン」

「いえいえ。私が付いて行ったほうが相手もビビると思いますし」

「さすが法律の専門家。将来弁護士になる人は違うねぇ」

「…美紀、今日の分の報酬は、美山さんの店の私の飲み代ね。あんたが払うように」

「はあ?なんでよ!」

「学生の頃にさ、随分私が飲み代立て替えたよねぇ。お金持ってないとか言って。

 そういう借金の時効は5年だけど、用立てて取り立てよっか?」

「うわー、とても法曹とは思えない発言。ヤミ金の借金取り並だー」


そんなことを話していると、社長の橋本が応接室へ入ってきた。

見るからに柄の悪そうな顔に、でっぷりとした体型。こりゃあ確かにケチそうだ。


「これは若くてキレイなお嬢さんが3人も訪ねてきてくれるとは、光栄の至りですな」


橋本はいやらしくそう言うと、私たちの向いのソファにドカッと腰掛けた。


「橋本さん、お久しぶりです。Barのお勘定が溜まっておりましてね。そろそろ清算して

 いただきたいのですが…」

「…ククク…。ワハハハハハハ!」


ヒトミちゃんの言葉を聞いた途端、橋本は持っていた湯飲みを置くと、勝ち誇ったように

馬鹿笑いを始めた。


「お姉ちゃん、今頃来ても遅いんだよ。私のツケはね、昨日で時効が成立してるんだから!」

「やっぱりツケの時効をご存知で」

「当たり前だ。昨日で丁度一年。私に払う義務はなくなったんだ」

「所が、そうはいきません!」


口を挟んだのは早苗。途端に馬鹿笑いを続けていた橋本が、表情を変えた。


「なんだね、アンタは」

「法律事務所の者です」

「ふん、法律事務所の人間がなんだって言うんだ。裁判になったとしても、私の

 価値は目に見えている」

「そうでしょうかね?残念ながら、今回の場合、ツケの時効は発生しないのです」

「なに!?出鱈目を言うな!」


橋本は机を思いきり叩いて立ち上がる。私とヒトミちゃんはびっくりして思わず

後ろのめりになったが、早苗は表情一つ変えてない。さすがだ。


「美山さんのお店の帳簿をみさせて頂きました。そこには橋本さんが美山さんに1000円

 支払ったという記録があります。更に領収書の複写もありました。これが、その

 コピーです」

「ああ、確かに1000円は支払ったさ。そのお姉ちゃんが余りにしつこいんでな。

 それと何の関係があるんだ」

「1000円支払ったと言うことは、「ツケを支払う意思がある」ということになります。

 支払う意思があると言うことは、ツケの時効は恒久的に無くなるのです」

「なにぃ? …い、いや、1000円なんて支払った覚えは無い!」

「いまさら足掻いても無駄です。これまでの会話はICレコーダで録音してますし、

 帳簿の記録や領収書の複写で十分な証拠になります」

「う・・・」

「どうしても納得いかないのであれば、裁判で決着をつけましょうか。

 ただし貴方には勝ち目はありません。それにA工業社長がツケ滞納で訴訟される

 なんてスキャンダル、マスコミは喜んで食いつくと思いますが?」


勝ち目を完全に失った橋本は、諦めたようにうな垂れると秘書に15万円を持ってこさせた。

さっきまでの勢いはどこへやら、完全に黙り込んでしまった橋本から現金を受け取ると、

私たちは早々に退却した。ヒトミちゃんはうれしそうな、早苗は少し勝ち誇った顔をしながら。



「針山さん、ほんとに有難うございました。もうこれからは貸し売りは一切お断りにします」

「それがいいですよ。その方がこんなトラブルも無くなりますし。 …さてと、仕事はここまで。

 じゃあお酒貰おうかな」


その夜、私と早苗はヒトミちゃんの店に呼ばれた。ぜひお礼としてご馳走したいとのことなので、

私も早苗も遠慮なくお邪魔したのだ。


「早苗、頼むから飲みすぎないでよ。ほら大学のとき…」

「え、どうしたんですか?」

「普段はクールなインテリぶってるけど、酒が入ると酒乱になるの。大学の時なんか居酒屋で

 飲みすぎて寝ちゃって、そのまま寝ゲr・・・」

「はーい、くだらない話はそこまでにしようねー!!」


三人ともジンフィズで乾杯した。

そういえば初めてヒトミちゃんに作ってもらったカクテルも、このジンフィズ。

あのときに比べるとずいぶん成長した気がする。こういったトラブルもたまにはあるけど、

店の中に色濃く残っていたマスターの面影が、少しずつ薄れて行っている。

それは少し寂しいけど、素晴らしいことでもあるのだ。ヒトミちゃんのぬくもりと、

ヒトミちゃんの色。これこそが今のBar"Grief & Cocktails"なのだろう。

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