第1話 似非紅茶に騙されて…
冬の足音がすぐそこまで来ている。
既にコートやジャケットなどを羽織らないと
この時間は辛いほどだ。
夕暮れ時・・・ この時間帯を「逢魔刻」
なんて言うらしい。確かにこんな寒い薄暮時は
何か出てきそうな雰囲気だ。でも実際そんなのに
遭遇したことはないが。
私はブーツを履いた足を震わせながら、いつもの
バーの扉を開く。ここは季節を問わず私を暖かくも
涼しくも迎え入れてくれる場所だ。
少し大げさに着込んでいたトレンチコートを脱いで
いつもの場所に腰を下ろすと、マスターがいつもの
笑顔を見せてくれる…。「いつも通り」が詰まった
「行きつけの店」というのは安心できるばかりでは
なくて、何か嬉しさが沸いてくる。
「寒くなってきましたねぇ」
「外の木枯らしは凄いですよ。なんか身体を
芯から暖めたいな」
「何か温かいものでも創りましょうか?」
温かいもの… 定番で行けばホットウィスキーとか、
アイリッシュコーヒーとかだろうか。しかし今は
そういう気分じゃない。アルコールで芯から暖かく
なりたいのだ。
「うーん、じゃあアースクエイクで」
「おっ、また凄いの行きますねぇ。酒で身体を暖める
寸法ですか?」
…さすがマスターには見抜かれてるようだ。
アースクエイクとは、ドライジンとウィスキーとアブサン
を使ったアルコール度数の強いカクテル。お酒が弱い人とかには
あまりお勧め出来ないものだ。アブサンの代わりに
よくぺルノーを用いたりもする。
材料の頭を取って、「アブ・ジン・スキー」なんて呼んだりも
するらしいのだが、私はそんな風にいう人は見たことがない。
「地震」を意味する名称どおり、飲めば「震え上がる」程の刺激があるのだ。
一口飲んでから、メンソールに火をつける。
ここでの一服が、また良い感じに身体を暖める。
「いらっしゃいませ」
カランという入り口の鈴の音に反射的に振り向くと、見慣れない
男性が一人入ってきた。多分一見の客だろう。
「あー、寒い寒い!!ビールね、生!!」
男は腰掛けるなり、大声で言う。なんともバーには場違いな
客だ。マスターも顔では笑っているが、心の中では絶対
黒いものが渦巻いているのだろう。
「あれ、オネーチャン一人?」
男がビールを飲みながらこちらをいやらしそうな視線で見てきた。
私は無視するわけにもいかずに、コクンと首を縦に振る。
「へー、一人でバーなんてカッコいいねぇ。何飲んでんの??」
非常に大きな声で私に絡んでくる。
どうやらどこかでしこたま飲んできているようだ。
この辺りは少し歩くと、居酒屋やスナックが立ち並んでいる。
こんなに酔っ払っている客はBarには断然不釣合いだ。
早く出て行って欲しい…と思いながらも一応アースクエイクの
説明をしてみる。きっと男には「馬の耳に念仏」だろうけど。
「ふーん、なんかムズカシイな。でも詳しいんだねぇ。
マスター、俺にも何かカッコいいやつ創ってよ」
男がわけのわからないオーダーをする頃、
私はアースクエイクを飲み干した。次は何にしようかと
考えていると、また男が大きな声で話しかけてきた。
「なぁなぁ、俺さ、K市に住んでるんだよ。そいでしかも
彼女募集中なわけ。一応ちゃんと仕事もしてるし…」
ナンパの積りだろうか?適当に相槌を打ってはみるが、
いい加減ウザくなってきた。
と、その時。
「お待たせしました」
マスターが男に「カッコいいやつ」を供したようだ。
それは… ああ、コレかぁ。
私は見た瞬間にマスターの意図を理解していた。
「なんだこりゃあ。アイスティーじゃないか」
「いえ、カクテルですよ?」
「・・・なんかアルコール入ってるのかわかんねーな。
炭酸入り紅茶みたいで…」
男はそのカクテルを勢いよく飲み干した。私もマスターも
笑いを堪えるのに精一杯だ。男はまたビールをオーダーする。
…20分後
男はふらふらに成りながらチェックを済ませると、千鳥足で
店から出て行った。
「ロングアイランドアイスティーをあんな勢いで飲めば、
そりゃあ酔いますよ」
「マスターも悪者ですねぇ」
「いやいや、ああいったKY君は早々に追っ払わないとね」
ロングアイランドアイスティー… 名前の割には紅茶を
言って気も使わないカクテルだけど、見た目も味もアイスティー
にそっくりなのだ。しかしジン、ウォッカ、テキーラ、ラムと
4つのスピリッツを全て使うために、結構な度数になる。
飲み易いからと言ってガブガブ飲むのはご法度のカクテルだ。
あのような明らかに場違いな者には、丁度良い「お灸」だった
かもしれない。
いつものバー、いつもの席、いつものマスターの笑顔
そしてそこで起こるいくつもの出来事…。
きっとそこが酒場だからこそ、とりわけバーだからこそ
何気ない出来事ですら面白く思え、心も身体も暖かく
なるのかもしれない。