第十五話
アヤが駆けつけるとヴリトラはまだイルレオーネの街中へとは入っていなかった。
多くの兵士たちが、門のところで成すすべなく、ただただ棒立ちをして彼らの戦を見守っている。
兵士たちのその先で――キサラギ、マユユ、クレスの三人がヴリトラとの激しい攻防が見えた。
クレスがキサラギとマユユの前に立ち、ゾンビ化したヴリトラの攻撃を肉弾となってひたすら耐えているように見える。
もちろん直で受けれぬような、巨大な尻尾などはまともに受けようとはせず、体を捻ることで受け流し、キサラギとマユユが攻撃できる小さなひずみを作ることに専念していた。
尻尾を振ったヴリトラが体制を崩す。
恐らくゾンビ化し、ところどころ削ぎ落とされた体に慣れておらず、尻尾を振った際に自重を支えることが出来なかったのだろう。
その隙をキサラギとマユユは見逃さない。
キサラギは賢者なのであろう。ゾンビの弱点である炎を巧みに操り、死肉を焼く。
ヴリトラの尻尾の動きが不自然に引きつる。
相手が痛みを感じないゾンビであるからこそ出来る芸当。激しく広範囲を焼くこと水分が蒸発し、ごくわずかであるが収縮したのだろう。
少しでも切りやすく尻尾を焼き筋肉を収縮させ、剣に炎を纏わせかざしているマユユへとつなげる。
無言のやり取りは機械仕掛けの歯車のように正確で、マユユが一閃放ち、ヴリトラの尻尾の一部が、体の芯にまで響く重厚な音を立てて地に落ちた。
だが次の瞬間――
クレスが膝をついて、ヴリトラにその大柄な体がまるで小さなゴムボールのように弾かれる。
ゾンビ化による腐敗の散布の影響だろう。
マユユが血を流し気を失ったクレスの元へと駆け寄るが、マユユの攻撃方法を見る限り、恐らくは魔法剣士でゾンビ化したヴリトラの攻撃に耐えられるだけの能力は持ち合わせていないだろう。
それはキサラギも同じで、何とかしてヴリトラから繰り出される次の一撃を逸らそうと土壁を作り上げるが、あれでは耐えきれまい。
焦り、アヤはラグナロクをマユユとクレスの方へ向け、心の中で使い魔の名を呼ぶ。
――フェニックス
瞬間――周囲を仄かに照らすのは、まるで夜空を彩る無限の星を思わせるほど多くの火の粉を舞い散らし、地へと降り立つ紅焔の巨鳥、フェニックス。
降り立ったフェニックスはアヤを一瞥すると再び空をかける。
まるでただのそれだけで指示を理解したようにクレスとヴリトラの間へと向かいヴリトラの身体を――貫く。
ヴリトラの体が硬直する。
何が起きたのか分からなかったのだろう、マユユとキサラギが呆然とフェニックスを眺める。
けれども今はその時間すらも惜しい。
「マユユさん! 早く!」
アヤが叫ぶと、マユユはハッとして女性とは思えぬ力を発揮し、クレスをヴリトラの下から抱え運び事なきを得る。
そのままアヤのところまでやってくる。
「アヤちゃんがやったの?」
アヤは頷き、しかしヴリトラの硬直が解けたようで、再び大きく尻尾を振りつける。
だがフェニックスがそれを許さない。
紅焔が舞い踊り、ヴリトラの尻尾が大きく焼き切れ、アヤのところまで届くことなく切れた尻尾が力なく地へと舞い落ちる。
ヴリトラは何が起きたのか理解できなかったのだろう。
僅かな時間、動きを止める。
けれどもすぐに事態を把握し、腐ったヴリトラの体液をアヤへと向け吐き出す。
フェニックスを見ると、位置が遠い、間に合わない。
アヤはラグナロクを地へつける。
「イフリート!」
猛火が揺らめき、瞬く間に真っ赤な炎を纏った男が現れる。
「アヤァ! 貴様フェニックスを従えていたとは! 俺の立場がないではないか!」
「話してる暇はないよ」
「ふん、貴様に言われずともわかっおるわ! フェニックスめ、貴様の座いつか奪おうぞ!」
そういうとイフリートは業火の炎に包まれ、口から吐き出された体液を燃やし尽くす。
次の瞬間にはフェニックスが再びヴリトラを貫く。
ゾンビ化した代償であろうか、ヴリトラは痛みを感じることが出来ていないようで、必死で体を動かそうとしているものの、炙られた死肉は収縮し硬直し、運動量が減っていく。
例えどれだけ炙られ身体を焼失させたとしても、ヴリトラは不死者としてなのだろう、なお動こうとし続けていた。
けれども、もうそれすら叶わない。
フェニックスが粉を散らし大きく羽ばたく。
――そして。
太陽と見違えるほど多くの灼熱と、光を有すと、ヴリトラの死肉が、まるで別々の生き物にでもなったかのようにピクリピクリと奇妙に動き回り――完全に動きが止まる。
倒した――アヤはそう思うと、パタリ、とその場に座り込んでしまう。
その瞬間にイフリートとフェニックスが陽炎のように消えて行った。
歓声が上がる。
多くの歓声が次第に歓喜となり、兵士たちはアヤと、そしてキサラギとマユユ、気を失ったクレスを含め取り囲む。
キサラギがアヤの前にまでやってきて、話しかけてくる。
その様子は少し不服そうにも見えた。
「生前のヴリトラをやったのもお前か……」
もはやここまでして隠す意味などないであろう、アヤは首を縦に振って答える。
「はい」
キサラギが何かを言おうとしてるのが見えたが、マユユがアヤに抱きついてきたせいで見れなかった。
アヤのまだ完成していない体、マユユを抱きかかえようとするが、支えきれずにバランスを崩す。
「アヤちゃん! 私もうだめかと思ったぁー」
マユユは目に涙を浮かべており、本当に恐らく絶望の淵に立っていたのだろうと言うのがよく分かる。
「どけマユユ」
「ちょ、ちょっと!」
「アヤ、お前はいつからイフリートとフェニックスを……?」
「それは」
「キサラギ! もう! 良いじゃない、今は助かったの、分かる!?」
「だが……」
そういうも、キサラギは諦めたらしく、いつものように舌打ちをしてあらぬ方向を向く。
だが、アヤは小さく呟いた言葉を聞き逃さなかった。
「すまんな、助かった」
答えた方が良いのだろうか、とアヤは考えるもそっぽを向いたキサラギは話しかけるなと言っているようにも見えた。
やめよう。
「アヤ!」
この声は――そう思って声の方向を見れば、やはりロベリアだろう。
兵士たちが割れ、ロベリアが割って入ってきて、その後ろにはハンナもいた。
「また無茶して!」
「じゃあロベリアはゾンビ化したヴリトラを相手にできたのか?」
う、と詰まらせるが、すぐに反論する。
「そ、それを考えるの!」
果たして答えと受取ってよいのだろうか、とアヤは考える。
はい、と、いいえ、の答えに中道を答えてくるとはコミュニケーション能力が不足しているのではないか。
しかしロベリアの考えはハンナも賛同できたようで、割り込んでくる。
「そうだよ、アヤ。今回は良かったとはいえ、もう少し自分を大切にするんだよ、まったく」
「……はい」
そう言われると答えられない。
アヤは素直に頷く。
キサラギやマユユ、クレスを助けたかったとは言え、今回ゾンビ化したヴリトラを討伐できたのも、ヴリトラ自身が不死者となった自分の体に慣れていないと言う点も大きかったように思えた。
「アヤちゃん」
呼ばれ、見るとマユユが今にも涙を流しそうな表情で立っている。
どうしたのだろうか。
「はい」
「クレスが……」
指差された先を見るとキサラギが治癒魔法を使用しているらしく、柔らかい光がクレスを包んでいたが、血は止まる気配が見えない。
むしろそれどころか、より多くの血が流れだし、傷が深まっているようにすら見えた。
――腐敗毒。
ゾンビ化した魔物を討伐するにあたって最も厄介な存在だ。
これが恐らくクレスの体内に未だいるのだろう。
そしてアヤに相談してきたと言うことは、アヤであれば何とかできるのではないか、と思ったに違いない。
しかしアヤも多少の治癒魔法を使うことは出来たが、万能ではない。
ゲームであった頃、ゾンビ化した魔物を討伐する際は必ず解毒薬を所持して行っていたし、何よりアヤが使用可能な使い魔の中には治癒者はいなかった。
もちろんこの世界のどこかには強力な治癒魔法が使える使い魔が存在するのであろうが、少なくとも攻撃と言う点に特化していたアヤは、そちらの方向に関して全くの無知だ。
せっかく魔法学院へ入学をしたのだから、そちらの方向を調べよう、と思うが今は一刻を争う事態でまさか悠長に調べているわけにはいかない。
考えが巡り代案が思いつかずにいると、ハンナが名乗りを上げる。
「私に見せなさいな」
ハンナがクレスの元へと歩き、状態を確認する。
「アンタ、ちょっと退くんだよ」
キサラギはハンナを一瞥するも、自分ではどうしようも出来ず、ただ腐敗毒の進行を遅らせると言うことしかできないのが分かっていたのだろう。
ッチ、と舌打ちをするが素直にハンナへと明け渡す。
「なるほどねぇ……しかし無茶するんじゃないよ、まったく」
ハンナがそういうと、クレスに向かってまるで何かを取り出すようなしぐさをすると、不思議なものでハンナのもとへ赤茶色い腐敗したようにも見える液体が集まってきた。
そしてハンナが全身くまなく、何かを取り除くような動作を終えるとクレスが体を起こす。
腐敗毒を取り出す魔法と言うことだろうか。
少なくともアヤが見たことすらなかったので、近くにいたロベリアに小声で話しかける。
「……ロベリア、ハンナは何したの?」
「言わなかったっけ。ハンナはイルレオーネ屈指の預言者で、高度な治癒魔法が使えるんだよ」
「……なにそれ初耳」
「そっかぁー、アヤなら知ってると思ったんだけど」
ダミア村と言う閉鎖されたところに居てどこに知れる要素があるのだろうか。
相変わらず思考の順序が整っていないと思うが、ロベリアであるから仕方がないのだろう。
マユユはハンナに頭を下げてお礼を言っている。
と、突如、囲んでいた兵士たちが割れ、左右一列ずつ道を割って整列をする。
何が起きたのだろうか、と思い先を見るとアーベルが渦中の現場に歩みを進めていた。
それを見たキサラギがアーベルへ掴み掛る。
だが兵士は何もできない。ゾンビ化したヴリトラとの戦いぷりを見ていて、キサラギには敵わないことが分かっているのだろう。
「貴様がヴリトラの処理を命じたのか」
アーベルは答えず、ただ頷くだけ。
何かの琴線に触れたのだろう。キサラギが一国の王へ向けて怒鳴り散らす。
「てめえの引き起こした状況、分かってんのか? 兵士どもはクソほどにもつかえねえ、斡旋所に居る冒険者どもはゴミみたいな奴等ばかりだ! この国はどうなってやがる!?」
「おい、やめろキサラギ。俺は平気だ」
「クレス、てめえは黙ってろ! 欲に溺れたクソジジイに言うのの何が悪い! わか……」
マユユに支えられ、二人のところまでやってきたクレスの制止を振り切り、キサラギが口を動かしたその時、アーベルが頭を下げていた。
周囲がざわめく。
当然だろう、王が一介の冒険者へ向けて頭を下げている。
はたから見ても、たとえそうでなかったとしても間違いなく異例の事態。
キサラギですら驚いて言葉が続かない。
「全ては私の責任だ。欲に溺れ、ヴリトラの処理が一向に進まなかった。その結果がこれだ……下手をしたらキミたち三人を死なせていたかもしれない……本当に申し訳なかった」
「ッチ」
まさかここまで素直に謝られるとは思っていなかったのかもしれない。
キサラギは舌打ちをしてアーベルから離れる。
「アーベル、アンタは王なんだ。あんまりこんな公衆の面前で頭なんて下げるもんじゃないよ」
ハンナは忠告を入れるがアーベルはそれを手で制す。
やれやれ、とばかりにハンナは首を左右へ振り、諦めたかのように口を閉ざした。
「キミたち三人、お礼と、謝罪を兼ねて、ぜひともイルレオーネの城へ招待したいのだが来てくれるかな?」
「ほんと!?」
マユユは目を見開いて輝かせ、やった、と小さくガッツポーズをとっているのが見える。
その一方、キサラギはふざけるな、と吐き捨て、それをクレスがなだめ、しかしそれでも納得できないのか不機嫌を隠そうともしない。
やれやれ、とクレスは首を振るが、マユユが喜んでいるのを見て、クレスはアーベルに向けて頷く。
その光景を肯定と取ったのだろう、アーベルはアヤへと向き直る。
「アヤ、フェニックスはキミだろう?」
頷く。
「ロベリアとその愛弟子、そろって国を救われることになるとはね」
ははは、と小さく笑ってから再び、今度はアヤに頭を下げる。
「ありがとう」
――そして、ゾンビ化した腐敗臭の漂うヴリトラの処理を兵士たちへと任せ、アーベルが行こうか、と皆を促すのであった。




